25話.行方不明のラストナイト
ピピピピピピ……!
耳障りなアラームの音で、私は強制的に現実へと引き戻された。
「んん……っ」
重い瞼をゆっくりと押し上げると、視界に飛び込んできたのはいつもの見慣れた自室の天井だった。
(……え……っと、私、どうやって帰ったんだっけ……?)
ズキズキと痛む頭を押さえながら、のっそりと上体を起こす。
昨夜の記憶を辿ろうとするが、途中からすっぽりと抜け落ちている。シバケンの提案で、気晴らしにバーへ行ったことまでははっきりと覚えている。最高にムードのあるバーカウンターだったはずだ。そこで、柴崎くん相手に、日頃の夏波への鬱憤を盛大にぶちまけたことも、うっすらと記憶の底にある。
そこから先が、どうにも思い出せない。
自分でまともに歩いて帰ったのか、それともタクシーに乗ったのか。あるいは、誰かに送ってもらったのか。全く記憶がないのだ。
ベッドから這い出し、フラフラとリビングへ向かう。
「……夏波?」
静まり返った室内には、私の少し掠れた間抜けな声だけが響いた。
時計を見れば、すでに夏波が登校している時間だ。今日は彼の高校の文化祭の一般公開日である。クラスの出し物の準備で忙しいらしく、とっくに家を出てしまったのだろう。
(とりあえず、昨日は柴崎くんにめちゃくちゃ迷惑かけちゃったし……連絡して謝らなきゃ)
私はソファに腰を下ろし、手元のスマホの画面をタップした。メッセージアプリを開こうとしたその時、すでに一件の未読通知が入っていることに気がつく。
相手は、まさにその柴崎くんからだった。
『先輩、昨日は大丈夫でしたか?』
(うわぁ、やっぱり心配かけてる……! 最悪だ、私……)
社会人として自己管理もできないなんて。自己嫌悪で頭を抱えそうになりながら、続くメッセージに目を落とした。
『今日、何してますか?』
『先輩の弟さん、今日文化祭ですよね。よかったら一緒に行ってみませんか?』
「……えっ?」
思わず、スマホの画面を二度見した。
一緒に、夏波の文化祭に……?
(……なんで、よりによってアイツの文化祭に!?)
昨日、バーで私が盛大に弟の愚痴をこぼしていたから気を遣ってくれているのだろうか。
それにしても文化祭の話までしたのだろうか?
可愛い後輩からのお誘い。しかし、記憶のない昨夜の出来事と、最近様子がおかしい夏波の顔が脳裏をよぎり、私は柴崎くんの突拍子もない提案に完全にフリーズしてしまった。
スマホの画面を睨みつけながら、私は激しい葛藤に襲われた。
反抗期に突入している義弟の文化祭なんか行ってもろくなことがないだろう。
うざがる姿が目に浮かぶ。
だけど——。
(昨日の夜、私、柴崎くんに相当迷惑かけたんだよね……)
失われた記憶の穴ぼこが、私の罪悪感をチクチクと刺激する。
それに、少しだけ……ほんの少しだけ、気になってしまったのだ。
義理であろうが姉のラブドールなんて特注してしまう、あの不気味で陰湿な義弟が、外の世界……つまり学校で、一体どんな顔をして過ごしているのか。
もしかしたら、あいつの最近の奇行の原因が学校にあるかもしれない。
「……ええいっ、行ってやるわよ!」
私はヤケクソ気味に画面をタップし、返信を打ち込んだ。
『昨日は本当にごめんなさい! 途中から記憶がなくて……迷惑かけちゃったよね? 文化祭、せっかく誘ってくれたし、一緒に行きましょう! 何時にどこで待ち合わせる?』
送信ボタンを押した直後、まるで待ち構えていたかのように「既読」がつき、すぐに返信が送られてきた。
『よかったです! 迷惑だなんて全然。先輩のいろんなお話が聞けて楽しかったですよ。じゃあ、11時に駅の改札で! 無理しないでくださいね』
(いろんなお話って……私、何喋ったの!?)
一抹の不安を抱えながらも、私は重い体を鞭打ってベッドから這い出し、シャワールームへと向かった。
熱めのシャワーを浴びると、段々とアルコールが抜けて意識がはっきりしてきた。
(夏波の学校の行事なんて参加するの久しぶりだな。)
流れ落ちるお湯を見つめながら、ふと、まだ夏波が小学生だった頃に見に行った運動会の時のことが頭に浮かんだ。
あれは夏波が小学3年生の運動会。
忙しい両親に変わり、当時高校1年生だった私が保護者として参加することになったのだ。
運動会に向けて、私は毎日夏波の走る練習に付き合っていた。けれど当日の本番、必死に腕を振って走っていた夏波は途中で派手に転んでしまい、結果は5位だった。
悔し涙を堪えながらも、最後まで一生懸命走り切った小さな夏波。私はそんな彼を思い切り褒め称え、すりむいた膝に貼った絆創膏の上に、ペンで小さな『王冠』のマークを描いてあげたのだ。
『最後まで走り切った勇敢な夏波に、傷が早く治るおまじないだよ』
そうすると夏波は涙を拭い満面の笑みをくれたんだ。
(……あの時は、本当に可愛かったなぁ)
いつから私たちは、こんな風に顔を合わせれば喧嘩ばかりするようになってしまったのだろう。
どうにか思い出そうとしても、昔すぎるせいかどうにもモヤがかかったように思い出せない。
シャワーを止め、湯気で曇った鏡越しに自分を見つめる。
今日、あいつの学校に行けば、少しは昔みたいな素直な一面が見られるのだろうか。それとも、また憎まれ口を叩かれるだけなのだろうか。
複雑な思いを胸に抱えながら、私は身支度を整えた。




