22話.ごめんねロンリィマカロンside夏波
すっかりと日の落ちた住宅街を、此坂夏波は少し早足で歩いていた。
その腕の中には、クラス委員長のちえりとの取引で手に入れた幻の『プレミアム・マカロンセット』が、形を崩さないよう大切に抱えられている 。
(凪ちゃん、きっと喜んでくれるよね)
凪子の大好物であるマカロンを1秒でも早く届けようと気持ちが早る。
家の玄関前に到着した夏波は、ふぅと小さく息を吐き出し、立ち止まる。
そして、手元の可愛らしい小箱を見つめながら、誰に聞かせるわけでもなくボソボソと呟き始めた。
「……ただいま。これ。……昨日は言い過ぎた。ごめん」
(いや、これじゃあぶっきらぼうすぎるか?)
「……ただいま、昨日はごめん。これ買ってきたから、一緒に食べよ? 」
(……うん、こっちのほうが自然だな)
一人でぶつぶつと謝罪のシミュレーションを繰り返す。
思い出すのは昨日、今日の失態。
その激しい後悔を取り戻すための、これが最大のチャンスなのだ。
夏波は意を決して、ガチャリと玄関の扉を開けた。
「……ただいま」
少しだけ期待を込めて声をかける。しかし、返ってくるはずの「おかえり」という声はない。
それどころか、玄関の電気は消えたままで、靴箱の前に凪子のパンプスはなかった。
リビングに続く扉を開けても、部屋の中は真っ暗でひんやりと静まり返っている。
「……帰って、ないの?」
時計を見上げると、時刻はとうに凪子の定時を大幅に過ぎていた。
普段ならとっくに帰宅して、スウェット姿で缶チューハイを煽っている時間だ 。
夏波は眉をひそめ、慌ててズボンのポケットからスマホを取り出した。
メッセージアプリを開くが、凪子からの『今日は遅くなる』といった連絡は一件も入っていない。
「……っ、なんなんだよ」
リビングの明かりだけをつけ、夏波はソファにドカッと腰を下ろした。
テーブルの上にマカロンの箱を置き、貧乏ゆすりをしながらスマホの画面を何度もタップする。
五分が過ぎ、十分が過ぎる。
時計の針が進むたびに、夏波の胸の内でイライラとした焦燥感が膨れ上がっていく。
(残業? いや、だとしても連絡くらいしてくるはずだろ)
頭の中で、色々な想像が最悪の方向へと駆け巡り始めた。
(何か仕事上のトラブル……?。いや、それとも……あの胡散臭い柴崎とかいう男と、一緒に飲みに行ってるのか……?)
もしそうだとしたら、最悪だ 。
自分の態度に愛想を尽かして、あんな男に癒やしを求めているのだとしたら。
自分があげた『バカ』というメモを見て、本当に家に帰るのが嫌になってしまったのだとしたら。
それとも、事故にでも合っているのかも.....。
「……くそっ!」
いてもたってもいられなくなった夏波は、勢いよくソファから立ち上がった。
(探しに行く。駅前か、会社か……とにかく、こんなところで待ってられない)
険しい顔で玄関へと向かった、その瞬間だった。
——ブーッ、ブーッ。
静まり返ったリビングに、スマホの無機質なバイブレーション音が鳴り響いた。
夏波は弾かれたようにスマホの画面を見る。
しかし、そこに表示されていたのは『凪子』ではなく、『ハルちゃん』という文字だった 。
「……っ、こんな時に」
舌打ちをして無視しようとしたが、万が一と思い直して通話ボタンをスワイプし、耳に当てる。
「もしもし、ごめんハルちゃん、今ちょっと取り込み中で——」
『あ、夏波ちゃん? よかった繋がって! 今ね、アタシのお店にねー……』
電話越しに聞こえてきたオネエ言葉のマスターの声に 、夏波はピタリと動きを止めた。
『あなたのお姉さんの、凪子ちゃんがいるのよ。完全に酔い潰れちゃってて……お迎え、お願いできるかしら?』
「……は?」
夏波は困惑していた。どうしてよりにもよってあの場所に凪子が....。
「わかったごめん。……今から行く」
短い言葉と共に通話を切った夏波は、戸惑いと焦りが入り混じった重い足取りで玄関の扉を開け、夜の街へと飛び出していった。
テーブルの上に残された美しいマカロンの箱だけが、静寂に包まれたリビングでポツンと主の帰りを待ち続けていた。




