19話.酒と涙と非行少年?
ふわふわとしたアルコールの微睡みの中、私の意識はいつの間にか、忌々しくも懐かしい『ある夜』の記憶を映し出していた。
***
夜十一時。静まり返ったリビングで、私は一人、コントローラーを握りしめていた。
画面の中では『GAME OVER』の無機質な文字が虚しく点滅している。
(ああもうっ、全然エイムが合わない……!)
普段なら、会社での理不尽なストレスを発散させるために深夜までFPSゲームに没頭するのだが、今日の私は明らかにミスが多く集中できないでいた。
理由は明確だ。チラリと壁掛け時計を見上げる。
――十一時を回っても、高校生の義弟が帰ってこない。
昔はあんなに可愛くて「凪ちゃん、凪ちゃん」と私の後ろをトコトコついて回っていたのに。高校に入ってからはすっかり反抗期をこじらせ、最近はこうして夜な夜な遊び歩くようになってしまったのだ。
(保護者同伴でもないのに、こんな時間までどこで何をしてるのよ……。補導でもされたらどうするつもり!?)
ガチャリ。
不意に、玄関の扉が開く重い音が響いた。
私はコントローラーをソファに放り投げ、勢いよくリビングを飛び出した。
「ちょっと、夏波! 今何時だと思っ――」
「……うっわ、びっくりした。暗がりで飛び出してこないでよ、怖いな」
玄関の土間で靴を脱いでいた夏波が、心底鬱陶しそうに顔をしかめた。
深夜まで遊び歩いていたくせに悪びれる様子もないその態度に、私の中でプチッと何かが切れる音がした。
「怖いのはこっちのセリフよ! 高校生がこんな時間まで出歩いて……お酒とかタバコとか、変な遊び覚えてないでしょうね!?」
「はぁ? 誰がそんなダサいこと。はぁ……うるせー、説教すんな」
夏波はあからさまな舌打ちをして、私から視線を逸らした。
その時、ふと気がついた。
(あれ……? 香水の匂いとか、タバコの匂いじゃなくて……なんか、すごく濃いコーヒーの匂い……と、なんだろう?煙っぽい..お香?)
それに、遊び歩いていたというわりには、夏波の顔には色濃い疲労が滲んでいて、目の下にはうっすらとクマまでできている。
一体、毎晩どこで何してるの?
私がさらに問い詰めようと一歩踏み出した、その瞬間だった。
ブーッ、ブーッ。
私の言葉を遮るように、夏波のズボンのポケットでスマホが震えた。
舌打ちをしながら画面を確認する夏波。その手元から漏れた光に、はっきりと『ハルちゃん』という文字が浮かび上がっているのが見えた。
(ハ、ハルちゃん……!? 女!?)
「……あ、あー、うん……」
電話に出た夏波は、一瞬だけ気まずそうにこちらをチラッと見ると、渋々というように答えた。
「わかったごめん。……今から行く」
「はっ!?? ちょっと夏波!」
私が止める間もなく、夏波は脱ぎかけた靴を再び履き直し、重い足取りで玄関のドアを開けて出て行ってしまった。
バタン、と無情な音が響き、再び家の中は静寂に包まれる。
「……なんなのよ、あいつ……」
真夜中の玄関に取り残された私は、得体の知れない苛立ちと、胸の奥がチクッと痛むような寂しさを抱えながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
***
(……そうよ、あの時も『ハルちゃん』だった。深夜に呼び出されて、ノコノコと出かけて行って……!)
冷たいカウンターに熱を持った頬を押し付けながら、過去の記憶がドロドロとした怒りに変わっていく。
(年上の女にたぶらかされて! あんな、疲れた顔してまで会いに行って……っ!)
――チリリン!
不意に、軽やかなドアベルの音が店内に響き、私のまどろんだ思考を現実に引き戻した。
「……ん……?」
重い瞼を少しだけ開けた私の鼓膜を打ったのは、聞き慣れた、少し息を切らしたような声だった。
「ごめん、ハルちゃん。遅くなって……」
その直後だった。
「きゃーーっ! 夏波くーん!!」
「嘘、ホントに来てくれたぁ! 相変わらず超イケメン〜ッ!」
「こっちこっち! えっほんとにかっこいー!」
店内の空気が一瞬にして華やぎ、奥のテーブル席にいた常連の女子たちが、悲鳴のような黄色い歓声を上げた。
キャーキャーとはしゃぎ、あからさまに色めき立つ女の子たちの声がボーッとした頭にキンキン響く。
(ハルちゃんに……女の子達にちやほやされに、わざわざ来たってわけ……!?)
「んん?ハルちゃん……!?」
私は可愛かった義弟を非行の道に連れ込んだ『ハルちゃん』の顔を拝んでやろうと、勢いよくカウンターから顔を上げた。
限界を突破した怒りで視界がぐらりと揺れる中、入り口のほうを睨みつける。
視線の先、店の入り口に立っていたのは――見間違えるはずもない。
少しだけ気まずそうに店内を見渡し、息を切らしている現実の夏波だった。
店に入ってきたばかりの夏波の顔には、はっきりと焦りと心配の色が浮かんでいた。
しかし、彼の視線がカウンターに座る私を捉えた瞬間。
その心配そうな表情が、スッと温度を失い、険しい怒りに満ちた表情へと変わった。
(な、何よ、その顔……。こっちだってねぇ、いや、こっちのほうが怒ってるんだから!)
心の中で文句を言い返そうとしたけれど、声が出ない。
さっきまで焦ったような顔をしていたのに、私を見た途端に親の仇でも見るような厳しい視線を向けてくる。
ただでさえお酒で弱っていた心に、その明確な『拒絶』の態度は、許容量をあっさりと超えてしまった。
「うっ……」
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、視界が滲む。
堪えきれずに、ポロポロと大粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「えっ……此坂先輩? どうしたんですか、大丈夫ですか!?」
隣で飲んでいた柴崎くんが慌てたように声をかけ、私を気遣って肩に触れようと手を伸ばしてきた。
しかし、その手が私に触れるより早く、いつの間にか私のすぐ真横に立っていた夏波が、柴崎くんの手をスッと無造作に払いのけたのだ。
見上げると、見下ろしてくる夏波の瞳は恐ろしいほど冷え切っている。
(あ、また暴言吐かれる……!)
きっと『人前でみっともないなブス』『大人のくせに自己管理もできない訳?』とか、そういう酷い言葉を投げつけられるのだ。
ー今はそんな言葉聞きたくない..!
私はビクッと肩を跳ねさせ、ギュッと目を瞑って身構えた。
――しかし。
「……凪ちゃん、帰ろう」
降ってきたのは、予想に反して甘く、どこか切なさを帯びた声だった。
まるで、毎晩夢の中で私を甘やかしてくれる、あのドール越しの夏波のような、優しい声を思い出すような。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます‧⁺ ⊹˚.
皆さまに読んでいただけることが、何よりの執筆の原動力です。
次回からは視点が変わり、夏波sideのお話がしばらく続きます。
次話は同日の朝に遡り、夏波の視点から描いかいていきます。
物語は文化祭1日目に突入し、新キャラクターも交えた高校生らしいドタバタや、青春感の溢れるストーリーを目指して執筆いたしました。
お楽しみいただけたら嬉しいです




