18話.レディーキラーと酔っ払いside柴崎
自分で言うのもなんだが、俺は昔からかなりモテる部類に入る。
バーで隣に座った女性と少し目が合えば、それだけで連絡先が書かれたコースターを渡される。職場で落ち込んでいる同期の女子社員の愚痴を親身になって聞いてやれば、翌週には熱烈な告白を受ける。
甘いマスクと気の利いた相槌、そして少しの優しささえあれば、大抵の女性は俺に好意を抱いてくれる。それはもう、一種の才能だと思っていた。
だからこそ、今のこの状況は俺にとって想定外というか、ひどくもどかしい。
間接照明がグラスの氷を妖しく照らす、最高にムードのあるバーカウンター。隣に座るのは、俺が密かに想いを寄せている職場の先輩、此坂凪子だ。
絶好のシチュエーションのはずなのに——。
「ねぇっ! 聞いてる!? 柴崎くん!?」
「あはは……聞いてますよー」
グラスを片手に身を乗り出してくる先輩の口から飛び出すのは、甘いムードをぶち壊す『反抗期で全く懐かない弟の愚痴』だ。
「だいたいあの子、最近までは夜遊びもひどくてさぁ! 朝帰りなんてしょっちゅうだし、こっちが真面目に心配してるのにお説教ババア呼ばわり! ほんっとうに腹が立つ!」
プンスカと怒る姿も可愛いなと思いつつ、俺は甘い声を作って微笑みかけた。
「まあまあ。でも、そんなふうに弟さんのことを本気で怒ってあげられる先輩って、すごく家族思いで優しいですよね。俺、先輩のそういう愛情深いところ、すごく素敵だと思いますよ」
完璧なフォロー。優しげな眼差し。我ながら完璧な褒め言葉だったが。
「……そう言って柴崎くん、最近わたしのこと面白がってるでしょ」
(うーん、手強い...)
凪子先輩は、俺の言葉を信じるどころか、まるでペテン師でも見るかのような見事なジト目で流してきた。
シバケン、痛恨の空振り。俺のこのスマートな褒め言葉をこんなにあっさりあしらってくるのはこの人くらいのものだ。
これでは引き下がれないと、俺は少しだけ真面目なトーンに切り替えた。
「やだな、先輩。からかってなんかいないですよ。俺ね、本当に先輩に憧れてるんですから」
「……」
「普段は周りに気を遣って優柔不断に見えることもあるけど、いざという時は誰よりも芯が強くて、絶対に逃げない。先輩は覚えてないでしょうけど、俺が配属されたばかりのあの時も——」
真っ直ぐに目を見つめ、渾身の口説き文句を語り始める。
だが。
「……あれ? どうしました、先輩?」
凪子先輩の視線は俺を通り越し、背後にあるボックス席へと向けられていた。完全に意識が他所へ飛んでいる。
彼女の耳を惹きつけたのは、後ろの席に座る若い女の子3人組と、この店のマスターとの会話だった。
「あれー? 今日も夏波くん来てないのー?」
声の主たちの相手をしているのは、ガッチリとした屈強な体格に、長い髪を後ろで一つに結んだインパクト抜群のマスターだ。
「あーん、夏波ちゃんなら最近顔出してくれないのよぉ。でもね、アタシも今、必死にお店に来るよう猛烈アピール中だから、もう少し待っててちょうだい?」
野太い声にオネエ言葉を乗せて、マスターがウインクを飛ばす。
すると、常連らしき女の子が、連れの友達に興奮気味に説明を始めた。
「前にね、ハルちゃんがお店の近くでナンパして連れてきた男の子なんだけどね、もう超〜〜イケメンで可愛いの! 甘え上手っていうか、たまんないんだよね!」
「えーっ! 何それヤバい! 私も絶対会いたい〜!」
キャーキャーとはしゃぐ声が店内に響く。
その瞬間、隣の空気が一気に冷えた気がした。
凪子先輩が、ゆらりと立ち上がったのだ。
「あの……っ!」
先輩はカウンターから身を乗り出し、マスターに向かって食い気味に問い詰めた。
「その『夏波』って、もしかして『此坂夏波』ですか……ッ!?」
鬼気迫る形相に、屈強なマスターも思わず後ずさる。
「そ、そうそう。此坂夏波ちゃん。あら、お知り合い? もしかして、あなたもあの子のファンかしらぁ?」
ピキッ、と。先輩の額に青筋が浮かんだのが見えた。
先輩は手元のグラスに残っていた酒を一気に煽り、空になったグラスをカウンターに『ドンッ!』と叩きつけた。
「いいえ!! 全っったくの赤の他人ですっ!! マスターさん、お酒! おかわり!! 一番強いやつ!!」
「え、ええぇ……?」
マスターも突然の剣幕に完全に困惑している。
そこからはもう、惨状だった。
「ひっく……マスター、おかわりっ!!」
「やだあ、もう。お客さんペース早すぎ! ここ、居酒屋じゃないのよー?」
完全にやけ酒モードに入った先輩は、強いお酒を水のように次々と空け始めた。俺が止める間もない。
「……わたしが毎日毎日、残業して仕事に明け暮れてるなか、あんたは随分といいご身分ですねえぇ!? 夜な夜な女の子にナンパされてチヤホヤされて!? ええ、ええ! そりゃあ、あんたから見れば、わたしの恋愛経験なんて無いに等しいもんだわ!! 悔しいっ……腹立つぅぅっ!!」
弟の充実したナイトライフへの怒りと、自身の枯れたプライベートへの悲哀が入り混じった、ドロドロの感情の吐露。
「ちょっ、此坂先輩! 流石に飲み過ぎですよ、もう帰りま——」
俺が慌てて先輩の肩を抱き寄せようとした、その時だった。
「……ん? ちょっと待って」
マスターが、カウンター越しにじっと先輩の顔を覗き込んだ。
「さっき『此坂』って言ったわね? ってことは……あなた、もしかして夏波ちゃんのお姉さんの『凪子ちゃん』!?」
ビクッとして、先輩が真っ赤な顔を上げる。目は完全に据わっていた。
「んー! 違いマシュ……ッ! あんなチャラ男、わたしとは何の関係もないれしゅ……! ううん……むにゃ……」
限界を超えていたらしい。
先輩は呂律の回らない言葉で全力否定したかと思うと、そのままカウンターに突っ伏して、スースーと寝息を立て始めてしまった。
「あーあ、完全に酔い潰れちゃった……」
俺が頭を抱えていると、マスターは「困ったわねえ」とため息をつきながら、エプロンのポケットからスマホを取り出した。
「しょうがないわね。お迎え、呼んであげようかしら」
タップされた画面の向こう側にいるのは、十中八九、渦中の弟くんだろう。
俺の完璧なバーでの口説きタイムは、先輩の破天荒な弟の影によって、見事に打ち砕かれたのだった。




