16話.激甘の監獄
深く沈み込むような感覚のあと、ゆっくりと意識が浮上していく。
(……また、この夢だ)
金縛りのように指一本動かせない、特有の重たい感覚 。
薄暗い部屋の中で、ふわりと爽やかなシャンプーの香りが鼻をかすめる 。
頭の後ろで、スッ、スッと一定のリズムが繰り返されていることに気がついた。どうやら、丁寧に髪をとかされているらしい。
「凪ちゃんの髪は本当に綺麗だね。黒くて艶々で、本当に綺麗」
降ってきたのは、穏やかで優しくどこか甘さを含む夏波の声だった 。
恐怖体験でしかなかったこの時間も、夢だとわかればなんてことは無い。
(……なんか、すごく落ち着く……)
他人にゆっくりと髪をとかされるなんて、本当に久しぶりな気がする。
規則正しいブラシの感触が心地よくて、子供の頃、まだ時間がゆっくりと流れていた穏やかな記憶がじんわりと蘇ってくる。
「凪ちゃん、昨日はひどいこと言ってごめんね。凪ちゃんに恋愛経験なんてなくて良い。初めてもさいごも全部僕のなんだから」
優しく囁く言葉がなんだか少し物騒だった気がするんだけど、頭を優しく撫でる手つきがあまりにも気持ちよくて言葉が入ってこなかった。
会社での気疲れも、現実の夏波から毎日浴びせられる憎まれ口も 、この瞬間だけはすべて忘れられる気がした。
(……たまには、こういう癒やしの夢も悪くないかも……)
私はこの甘い夢に身を委ねようとした。
――その時だった。ふいに、ブラッシングの手が止まった。サワッ、と服擦れの音がしたかと思うと、顔のすぐ横に人の気配が近づいてくる。
すぐそばで、熱い吐息が耳元に触れた。
「大好き……凪ちゃん、だぁいすき」
甘え切った、すこし湿度を帯びた声色に全身の毛が逆立った
(ひゃっ……!?)
ドールの中の私は声を出せないが、心の中では特大の悲鳴を上げていた。
鼓膜から脳内へ直接響くような、甘すぎる愛の囁き。背筋にゾクゾクと悪寒にも似た電流が走り抜け、一気に思考がショートする。
(こっ、これ!! 本当に!? ほんとうに全部『わたしの願望』なの!!?)
パニックで頭の中がぐちゃぐちゃになる。(弟相手に、私いったい何考えてるのよーーー!?)
現実の、あの眉間にシワを寄せた生意気な夏波の顔がフラッシュバックする 。
あいつにこんな激甘なセリフを耳元で囁かれることを、私は無意識のうちに望んでいたというのか。
好き、好きと囁かれながら延々と髪を撫でられる拷問のような時間。
恥ずかしさと混乱で、全身の血液が沸騰したように熱くなるのを感じながら、私はこの甘くて恐ろしい「自分自身の願望」から早く覚めてくれることだけを必死に祈っていた。




