15話.寂しい帰宅side夏波
「……ただいま」
深夜近く。静まり返った玄関の鍵を閉めそっとつぶやいた。
文化祭の準備の後、だらだら残って打ち合わせをしていたせいで、すっかり遅くなってしまった。ローファーを脱ぎ、重いスクールバッグを床に下ろす。
リビングに入ると、明かりは消えていた。視線を落とすと、ソファの上に、案の定「それ」があった。
今日着ていたはずのブラウスとタイトスカートが無造作に脱ぎ捨てられ、ストッキングまで丸まって床に転がっている。おまけに仕事用のカバンはラグの上に放り出されたままだ。
「あーもー……脱ぎっぱなし……」
眉をひそめ、ボソッと文句を零しながらも、体は自然と動いていた。床のストッキングを拾い上げ、ソファの上のタイトスカートとブラウスのシワを伸ばすように丁寧に畳む。放り出されていたカバンを持ち上げ、リビングの隅の定位置に綺麗に整えて置いた。
「外じゃあんな猫かぶってる癖に、家じゃこれだもんな……」
誰もいない空間に向けて、小さく毒突く。けれど、自分だけが知っている彼女の無防備でだらしない一面に、口元が少しだけ緩んでしまうのを止められなかった。
一通りの片付けを終え、夏波はリビングの真ん中で「ふぅ」と深い溜息をついた。
自然と、視線がリビングの奥――廊下の先にある、姉の部屋の扉へと向かう。
完全に閉め切られたドアの隙間からは、明かりは一切漏れてきていない。もうとっくに眠っているのだろう。
(……まだ怒ってる、かな)
昨日の出来事を思い出し、身を震わせる。
普段は優しい凪子だが、本気で怒った時はとにかく恐ろしい。と夏波は思う。
(ただ今朝の凪ちゃんは、怒っているというより少し戸惑っているというか)
一瞬怯えたような目を向けていたことを夏波は見逃さなかった。
何も考えていないようでいて、その実、誰よりも周囲の空気に敏感な凪子に
血の繋がらない弟である夏波が、本当はどんな目を凪子に向けているか。
それだけは絶対にバレないように細心の注意を払っている。
まさかそれがバレた訳ではないだろう。
(...やっぱり昨日は言いすぎちゃったかな...)
ドアを見つめたまま、夏波は音を立てないように歩み寄り、ドアノブにそっと手を伸ばした。
「ごめん」と一言だけでも伝えたい。
けれど、もしこの扉を開けてしまえば、今の危ういバランスで成り立っている姉弟という関係すら壊れてしまいそうで、ひどく怖いのだ。
伸ばしかけた手を空中でぎゅっと握りしめ、ゆっくりと下ろす。
「……おやすみ、凪ちゃん」
分厚い扉に向けたその声は、誰の耳にも届くことなく、深夜の静寂に溶けて消えた。
凪子への気持ちを押し込め夏波は足早に自分の部屋に戻った。
読んでいただきありがとうございます˖ ࣪⊹
次で凪子sideの夜に戻ります




