第2話:高校ダンジョン
4月14日(火)
「...大変だった」
1年生になって初めての6時間授業を終えた裕靴は、廊下で首を揉んでいた。想像以上に授業が難しく、付いていくだけでも大変そうだった。やはり高校は中学とは桁が違う。
「裕靴く〜ん!」
彼が少し憂いの含んだ表情を浮かべていると、隣の教室から宴が出てきた。今日も今日とでテンションが高い。
「よう、宴」
彼は軽く手を挙げる。宴はパタパタとこちらにやって来た。
「いや〜、今日の授業難しかったね」
「そうだな。これから、大分苦労しそうだ」
「特に化学なんて、全然分からなくて」
「確か、亘理先生だよな」
「うん。あの先生、ちょっと淡々としてるよね」
「まあ、それはそうだな」
2人は廊下を歩く。1年生のフロアは、既に喧騒に包まれていた。見ると、運動部のユニフォームに着替えた生徒もちらほら見受けられる。もう決めてしまった生徒も居るのだろう。
「...で、今日はどうするんだ」
「んー、取りあえずは部室探しかな。そこさえ見つかれば、当分は活動ができるから」
「確かに、そうだな。でもそんなに、都合良く見つかるもんなのか...?」
裕靴の指摘に、宴は首を傾げる。
「まあでも、何とかなるっしょ」
「...何とかなるか?」
少し不安ではあるが、2人は部室探しへと出発することにした。
*
「まずは、1号館から探す感じか?」
「うん、そうだね」
裕靴と宴は、高校の中心部にある1号館を訪れていた。ここには正面玄関と1年生教室、講堂や職員室などがある。
「ぱっと見では、空いてる教室は無さそうだが」
「えっと...1階が講堂だっけ」
2人は廊下をぽくぽく歩く。正面玄関から右へ向かうと、600人近い全校生徒が集まることが可能な講堂があった。試しに2人は、扉を開けてみる。
中では、卓球部と空手道部が活動していた。数多の視線が2人に突き刺さる。
「ごめんなさいっ!」
2人は慌てて扉を閉めた。なんか凄い微妙な気分である。そもそも講堂は駅前の一等地(?)でもあるので、空いている筈が無いのである。
「そりゃそうか。講堂は運動部の縄張りだもんな」
「ちょっと邪魔する訳には行かないね」
「...この校舎で空いてる場所って、あとどこなんだよ」
「地下の会議室とか?」
「...流石にまずいだろ」
裕靴は階段を上がる。宴もそれに追随した。
「1年生の教室は——空いてる訳無いか」
「色々面倒くさいしね」
「じゃあ自習室とかどうだ?」
宴は踊り場で肩をすくめてみせる。
「無理無理。だって私たち、全然勉強できないし」
「それもそうだな」
2人は3階まで上がった。このフロアにはコンピュータ室や、自習室などがある。
「コンピュータ室は使えるかな」
宴はしゃがみ込むと、扉の下から部屋の中を覗き込んだ。端から見れば、完全に変態である。
「何やってるんだよ、宴...」
「見りゃ分かるでしょ。覗き、だよ」
「違法行為をしれっと言われてもな...」
裕靴は側でつっ立ったまま、彼女の様子を見守る。彼女はほぼ寝転がった体勢で扉と向き合っているので、どうも目のやり場に困った。
「...どうしたの?」
宴がこちらを向く。その影響で、彼女はなんか変な体勢になった。
「何でもねえよ」
彼はぶっきらぼうに返す。宴は小首を傾げると「そう」と返して再び扉の下を覗き込んだ。
「裕靴くん」
「何だよ」
「コンピュータ室、パソコン部に使われてる」
「...そりゃそうか」
彼は扉の脇に視線を向ける。そこには「パソコン部活動中」と書かれた紙が貼られていた。
「...おい」
「ん?」
宴は起き上がる。ようやく変な体勢が解除された。彼女は立ち上がってスカートに付いた埃を払うと、裕靴の隣で貼り紙を眺めた。
「あ」
「...わざわざ覗く必要無かったな」
「あはは。無駄骨だったじゃん」
彼女は貼り紙を見て笑った。裕靴も腕を組みながら眺める。
「いや〜、これは盲点だったね」
「...ああ」
裕靴は曖昧に返す。さっきはヒヤヒヤしたが、彼女は変な体勢だったことに気付いていないらしい。
「ねえ、裕靴くん」
「何だよ」
「さっきから黙ってるけど、何かあった?」
「...何も」
彼はスタスタ廊下を歩いていく。宴も慌てて追いかけた。
「もしかして、変な妄想してる〜?」
「...してねえよ」
「本当かな〜?」
「する訳ねえだろ」
「捗った?」
「だから違うだろ...」
裕靴は心底面倒くさいと思いながら、宴の質問攻めに付き合った。
「よし、次は2号館だね」
「番号順で攻めていくんだな」
2人は高校の東側に位置する、2号館にやって来ていた。ここは2年生の教室や図書室、学食や放送室などが所在している。さっきの1号館が玄関ならば、ここは華やかな食堂だ。
「...学食か」
「そう言えば、ここでご飯食べたことないね」
「今日は弁当だったからな」
「私も〜」
学食を窺うと、そこには人が殆ど居なかった。まあ放課後の微妙な時間なので、無理もないだろう。
「ここで活動とか、どう?」
「...学食でか?」
「うん」
「...大分カツいだろ。だって学食のおばちゃん達の視線もあるんだぞ」
「そう?」
「そうだろ。それに広々していて、落ち着かないし」
宴は腕を組んで考え込む。
「それもそっか」
「ああ」
学食での活動を阻止できた裕靴は、安堵の溜め息をついた。あとこの建物にあるのは、図書館とかか。
「じゃあ、次に図書館とか行かないか?」
「良いよ。図書館なら、落ち着いて活動できそうだし」
2人は廊下を歩き、図書館へと向かう。室内は間接照明が程よく使われており、どこか落ち着いた空間だった。
「...悪くないな」
裕靴は小さな声で呟いた。ここなら読書や勉強に集中できるだろう。さらに人もそんなに居ないし、まさに理想的な空間だ。
「良いね、ここ」
宴は値踏みするような視線で周囲を眺めていたが、満足げに頷いていた。彼女もこの空間を気に入ったのだろう。
2人は図書室の隅っこにある椅子に腰掛けると、荷物を置いた。しばらくここで様子を見ることにしよう。だがざっと見た感じ、先生も居ないしこっそりサボるにはうってつけの...
「...失礼」
扉の方を見ると、そこには筋肉質な男性教師が立っていた。片手に分厚いファイルを抱えている。
「...あれ、誰だっけ?」
宴が囁いてきた。先生に「あれ」は良いのか。
「生徒指導の志布志先生だろ。勉強してる振りをしようぜ」
2人は数学の教科書を開くと、シャーペンを動かして勉強中を装う。それが生きたのか、先生は2人の前を素通りして隣の棚に向かった。
「...先生も本を借りるんだね」と宴。
「そうだな」
2人が勉強する振りを続けていると、棚の向こう側から声が聞こえてきた。
「...君たち、携帯は禁止だったと思うんだが」
(...おいマジかよ)
裕靴は溜め息をついた。この高校では勉学に集中する目的で、学内でのスマホ使用は禁止されていた。確かに授業中にSNSを見たりする奴も居るので、有効だとは思うんだが。
しかし、最早スマホの下僕と化した深刻な依存者の中には、校則で禁止されていてもそれを使用する者も居るのである。きっと棚の向こう側の奴らも、そうなってしまったのだろう。
「...校則に従い、携帯は没収とする。あと、君たち全員には注意書が発行されるからな」
先生はそこまで告げると、何枚かの紙をファイルから取り出して生徒たちに渡した。生徒たちの舌打ちが聞こえる。
目の前で起きた検挙(あくまで比喩だが)に裕靴が固まっていると、宴が彼の袖を引っ張ってきた。
「...ゆ、裕靴くん」
「...ああ」
「...ここは、やめとこっか」
「...同感だ。心臓が持たない」
2人は改めて、「校内で堂々とサボる」ことの無謀さを痛感していた。
*
「...気を取り直して、次は3号館だな」
「うん。切り替え、大事だからね」
2人は2号館と渡り廊下で繋がっている、3号館に立っていた。この建物には3年生の教室と音楽室、美術室や家庭科室などが位置している。
「正直言うと、一番有望なのが3号館なんだよね〜」
宴はそう呟きながら廊下を闊歩する。
「そうか? 別に普通だと思うが...」
裕靴は周りを見渡した。確かに物静かではあるが、音楽室では吹奏楽部、美術室では美術部が活動している筈である。
「この辺にはね、隠れたパワースポットがあるの」
「...神社とかじゃあるまいし」
「いや、本当なんだって〜。昨日校内図を調べた時に、ここなら行けると思ったんだよ」
「...どこなんだ、それは」
「和室」
宴は右手の人差し指を立てる。だが「パワースポット」とか言ってた割には、意外とそうでも無さそうだった。
「...そうか? そもそも先客が居そうなんだが...」
「いや、和室を使う部活なんて無いっしょ」
2人は和室の扉の前にやって来た。本当に誰も居ないのだろうか。
「...いや、一応ノックしとくか」
「えー。別に誰も居ないって」
「保険だ、保険」
裕靴はそこまで言うと、扉を軽くノックした。だが2人が数分待っても、全く反応が無い。
「ほら〜。やっぱり誰も使ってないって」
「意外と空いてるもんなんだな」
「そうそう。教室確保なんてちょろいわ」
宴が扉を開けようとした時、扉が内側から勢い良く開いた。彼女は「ぐへ」と鼻をぶつける。
「あ、書道部の見学ですか?」
扉の内側に居たのは、眼鏡を掛けた男子生徒だった。右手には「希望」と達筆で書かれた半紙を掲げている。
「書道部はこの和室で活動しておりまして。初心者大歓迎です。ぜひぜひ、お二人とも中へお入りください」
男子生徒が手招きしていると、「ちょっと待った!」と云う声が聞こえた。和室の奥から、髪を赤い紐で結んだ女子生徒が出てきたのである。
「新入生は、収斂高校競技かるた部が頂く!」
さらに面倒くさいことに、彼女の隣からも着物に身を包んだ女子生徒が出てきた。
「茶道部、いかがでしょう。時を忘れて日本文化を楽しめますよ」
裕靴は、和室の前に立ったままドン引きしていた。先客が居るとは思っていたが、まさかこんなに混沌としていたとは。そもそも6畳やそこらしかない和室で、3つもの部活が同時に活動できるのだろうか。きっとローテーション制なのだろう。
隣の宴はと言うと、興味無さげに部屋の中を眺めていた。先客が居ると知った途端、やる気が失せたらしい。分かりやすいもんだ。
裕靴と宴が死んだ魚の目をしているのを見て、和室を使っている部活たちは揉め始めた。
「とにかく、最初に声をかけたのはうちなんで」と書道部。
「いやいや、ここは一番部員数の多いうちが」と競技かるた部。
「いや、うちの方が一番興味を示してくれましたから」と茶道部。
裕靴は頭がキリキリと痛むのを感じた。これでは埒が明かないではないか。それに自分たちは、和室を部室にできないと分かれば十分だった。
「...戻るか」
彼は小声で宴に尋ねた。彼女も首を縦に振った。
「余計な争いに巻き込まれたくないしね」
2人は「失礼します」と頭を下げると、言い争っている彼らを尻目に和室の扉を閉めた。あまり文化部のことを悪く言うつもりは無いが、到底和室は使えそうにない。
「...なあ、宴」
「ん?」
廊下を歩いていた宴は、裕靴の声に振り返った。
「結局、和室はパワースポットだったな」
「うん。でもパワースポットってことは、確かに人気もあるんだよね〜。ちょっと忘れてたな」
彼女は鞄を持ち直すと、仕切り直しだと言わんばかりに両手をパンと叩いた。
「まあ、そんな時もあるって。次は何とかなるよ」
「...そうだと良いな」
裕靴はそう呟きながら、次の建物へと向かった。
「宴。ちょっと良いか」
「ん、どうしたの?」
「...少し言いにくいんだが」
「うん」
「なんで4号館を素通りしたんだ?」
「え?」
宴は階段の途中で立ち止まった。素通りして当然だ、と言わんばかりである。
「いや、4号館にも何かあるかもしれないじゃねえか」
「何も無いよ」
「...?」
裕靴の脳内は、ハテナマークで埋め尽くされていた。ついさっき、4号館を通ってきたばかりなんだが。もしかして、この学校には「4号館」が存在しないのか? 「4」は「死」に通じるから?
「いや、だってさ」
宴は心底面倒くさそうに説明を始めた。
「4号館には何があるの?」
「体育館があるな」
「他には?」
「柔道場と剣道場」
「まだあるでしょ」
「グラウンドも近いな」
「それに屋上にテニスコートもあるし、プールも隣にあるよ」
「...まあそうだが」
裕靴は踊り場で立ち止まると、壁に寄りかかった。宴も隣に立つ。
「つまりさ、運動系の種目がオールスター勢揃いって訳なの」
「確かに」
裕靴は右手を顎に当てる。言われてみれば、体育関連の場所は全てこの辺りにあるような気もする。それに保健室がそこにあることが、その仮説を補強していた。
「だから、私は4号館には行かない」
「体育、苦手なのか?」
「大っ嫌い」
宴は吐き捨てるように答えた。余程体育のことが嫌いらしい。
「確かに俺も、あんまり好きじゃないけど」
「体育なんて、苦手な人にとっちゃ地獄に等しいでしょ」
裕靴にはよく分からなかったが、彼女にとって体育が宿敵であることは理解できた。
「...まあな。じゃあ5号館に向かうか」
「それが良いと思う」
彼女は少し棘のある声で答えた。まずいな、機嫌を悪くしてしまったみたいだ。
「なあ、宴」
「何」
「5号館には、有望な場所はあるのか?」
「...どうだろう。あんまり分からない」
「確か、理科室とかがあった気がするんだが」
2人は階段を下りていく。ようやく5号館に繋がる渡り廊下に辿り着いた。
「あと、技術室とか倉庫、書庫があったはずだよ」
「...海沿いの倉庫街か?」
「あと屋上にソーラーパネルが数枚」
「なんで知ってるんだよ」
「航空写真を見たから」
裕靴はツッコミが浮かばなかった。この女は頭が良いんだか悪いんだか分からない。
「どうしたの、急に黙り込んで」
「...いや、そこまでするんだなと思って」
「そりゃ何でもするよ。だって学校でサボりたいじゃん」
真顔でそんなことを言う宴を見て、裕靴は思わず苦笑した。
「確かに、そうだな。俺がお前に賛同したのも、それが理由だし」
「だから裕靴くん。もうちょっとだけ、付き合って欲しいな」
宴は両手を胸の前で合わせた。部室が見つかっていないことで、彼女も焦っているのだろう。そろそろ夕方も近づいていた。
「...分かった。でも5号館を探したら、今日の探索は終わりにしよう」
「そうだね。じゃあ、もう少し頑張ろ」
宴は右手を宙に突き上げると、やや駆け足で5号館へと向かった。裕靴も彼女に続いて建物に入る。
*
「おい、あれ見ろよ」
「...あれは、もしかしたら有りかも」
2人は人通りの無い廊下を歩いていた。5号館の中でも理科室や技術室の周辺は比較的整っていたが、一本脇道に入ると埃が積もりクモの巣まである始末だ。
そしてそんな廊下の突き当たりに、その部屋はあった。扉の窓から中を窺うと、本棚や古い地図、実験道具などが置かれている。部屋の名前は、「第三資料室」。いかにもミステリアスだ。
「ねえ、裕靴くん」
「...ああ」
「この部屋、誰にも使われていないみたいだね」
「そうだな」
「それに、そこそこ広そうだし」
「掃除すれば、使えそうだな」
「おまけに、こんな辺鄙な場所ならサボってもバレない」
「絶対来ないだろうな」
2人は顔を見合わせる。お互いの顔には、勝ち誇ったかのような笑みが浮かんでいた。
「勝ったね」
「この展開はアツいな」
宴は第三資料室の扉を開けようとする。だが、当然ながら鍵が掛かっており中には入れなかった。
「...開かないか」
「そりゃ、流石にセキリュティがあるだろ」
「いや〜、無防備に開いてるのを期待したんだけどね」
「どういう設定だよ、それ」
「いやまあ、開けゴマ的なやつで」
「呪文で開いたら苦労しねえだろ」
「まあ、部屋を見つけられただけでも十分過ぎるし」
宴は床に置いていた鞄を肩にかけると、裕靴の方を振り返る。
「裕靴くん、行くよ」
「そうだな」
2人は来た道を戻る。それにしても、本当に空いている部屋が見つかるとは思わなかった。これで明日からは、「准帰宅部」としての活動もやりやすくなる。
「明日から、どうしようかな〜」
「まずは掃除だろ。見た感じ、めちゃくちゃ埃が積もってたからな」
「うわ、そうじゃん」
「きっと何十年も使われてなかったんだろ」
「だね。じゃあ箒セットが必要かな」
「百均のやつか?」
「教室のやつをパクっても良いけど」
「...それはまずいだろ」
「行ける行ける」
宴は嬉しそうにこちらを向いた。部室を見つけることができて、かなり機嫌が直ったようだ。裕靴は安堵すると同時に、もう後戻りはできないことを悟った。まあ、創部を誘われた時点で逃げられないとは思っていたが。
「なあ、宴」
「どうしたの?」
「ここまで来たんだから、もう止められないな」
「それは、勿論。もしこれでコケても、その時は一緒に怒られようね」
「...そうだな」
「裏切らないでよ〜」
「流石に裏切らねえよ」
「もしそんなことしたら、どうなるか分かってるよね...?」
宴はいつになく低い声で裕靴を脅迫する。非力な男子高校生の彼には、それだけで十分過ぎた。
「...分かったよ」
「よし、偉い偉い」
宴は背伸びすると、頭一つ分背の高い裕靴の頭を撫でた。彼は目を瞑る。
「...おい、やめろ」
「裕靴くん、髪の毛サラサラだね〜」
「...うるせえ」
彼はそう言いながらも、内心ではかなり動揺していた。同級生の女子から頭を撫でられるなんて、勿論初めてだった。
「あれ〜、ちょっと顔が赤いね」
「赤くない! 光の加減だ!」
見苦しい言い訳をする彼を、宴は笑いながら眺めていた。




