喪失.弐
考えなければならないことも、やらなければならないこともたくさんある。
遺品整理や、各所への手続き、世話になった人たちへの挨拶……。親が亡くなってからしばらくは忙しく、方々走り回らなければならないことも分かっていた。
「……」
段ボールに母の遺品を詰め込む手を止め、栄清は食い入るように箱の中の荷物を見つめる。
仕事一筋できた自分の手の内に何も残っていないことに気付いて、こうして母の荷物を片付けていると、もっと大事なものがすり抜けていくような気がしてしまう……。
栄清は不意に立ち上がると、薄手の上着と財布、そしてスマホを手に家を出る。
特に目的はない。ただ、今、自分が孤独になっていることを認めたくなかった。
家を出て真っすぐ港へ向かい、昼過ぎにやってくる小型船を待って乗り込む。
船内に用意された椅子に腰を下ろすと、海面に近い位置を走る外の景色をぼんやりと見つめた。腹の底に響くようなエンジンの音を耳に受け、走る船に跳ね上げられる波が時折窓を雨のように濡らしていく様子を見つめること、二十分。船は小さな小島に到着する。
栄清はその島に降り立ち、目の前に広がる山を見上げた。
そんな彼を追い抜いていく観光目的の他の乗客たちは、皆目的の場所へ向けて歩いて行ってしまう。
――誰もいない……。
乗客たちが去り、船が次の島へ走り出してしまえば、この場にいるのは栄清だけだった。
初めて降り立ったこの島に一歩踏み入れると、左には「はなのみち」と手書きの看板が見え、その先には色とりどりの花々が、猫を象った丸いオブジェと共に咲いているのが見える。
右には、やや入り江を回り込むように道がくねり、その先に青や赤といったカラフルな屋根の小さな家がいくつも並んでいるのが見える。
「……」
栄清は右へ進むと、その小さな家々の前には花が手向けられ、その背面に塔婆が見えることから、それが墓だという事が分かった。
亡くなった人たちを弔う墓が石ではなく、まるで、小人が住むような小さな家を建ててあるその光景に、思わず立ち止まって見入っていると、一人の老婆が近づいて来た。
「こんにちは」
ふいに声を掛けられ、栄清は驚いてそちらを振り返る。
見るからにこの島に住んでいるのであろう老婆は、人の良さそうな顔をしてにこにこと微笑みかけていた。
――おふくろより、まだ歳がいっている。
無意識に栄清は目の前の老婆と母を比べてしまう。
母はまだ八十手前だった。病気を患っていなければ、この人のように今でも手押し車を押しながら元気にしていたのかもしれないと思うと、やるせない気持ちになる。
「これが気になるのかしら」
老婆が目の前にあるお墓を見る。
「これはね、もう気付いているとおもうけれど、全部お墓なのよ」
「……なぜ、墓石じゃなく家なんですか」
「これはね、霊屋って言うのよ。この島では、両墓制っていう風習があってね。このお家がある場所一帯は埋め墓と呼ばれて、昔は亡くなった方を埋葬していた場所なんですよ」
「両墓制……?」
栄清は聞き慣れない言葉に訊ね返すと、老婆は嫌な顔をせずに答えてくれる。
「簡単に言えば、埋葬する場所とお参りをする場所を分けることを指すの。今は火葬が一般的だから、ここにある霊屋のほとんどは、形ばかりのものだわ」
老婆は微笑みを崩すことなく答えた。
栄清は老婆から視線をそらし、再び目の前の墓に視線を戻す。
「……私の母も、つい先日亡くなったばかりなんです」
「あらまぁ……。それは、お気の毒に……」
見ず知らずの老婆に、そんな話をするつもりなど無かった。だが、目の前にあるのが墓と聞くと、つい無意識に話してしまっていた。
「観光で来た、というわけではないのね」
「……なんとなく、じっとしていられなくて……」
「そう。お母さまが亡くなられたばかりでは、気持ちに整理がつかないものね」
老婆は、寄り添うような優しい言葉と表情で静かに語りかけてくる。
「それなら、この島にある大楠へ行ってみたらどうかしら」
「大楠、ですか……?」
「樹齢千二百年の大楠で、この島の守り神みたいなものね。とっても立派なの。昔からここに住んでいる人たちも、それから‟夜になると帰ってくる人たち”も、皆大楠の主様に挨拶に行くのよ」
夜になると帰ってくる人たち、と言う言葉に栄清は不思議な引っ掛かりを覚える。
――仕事に出ている人が仕事を終えて帰ってくる、ということなんだろう。
栄清は今一度周りを見回した。
今ここに見えている家々はほとんどが朽ち果て、草が壁を伝い、今にも崩れ落ちそうだった。そして今隣に立っている老婆以外の人の気配はない。それでも、夜になれば人が帰ってくる「生きた家」がこの場所ではないところにあるのだろう。
「ありがとうございます。その、大楠へ行ってみます」
「道が滑りやすい場所があるから、気を付けてね。あぁ、あと、夕方から夜にかけては、大楠には近づかない方がいいわ。夜に帰ってくる人たちでいっぱいになるからね」
思い出したように付け加えてくるその言葉に、栄清は首を傾げる。
観光目的で来る人はもちろん、船の便が少ない以上、島の人間ではない人が夜までいることはないと思っていた。
――おかしなことを言う人だな……。
「分かりました。ありがとうございます」
栄清はそう言うと老婆に頭を下げて、「大楠へはこちら」という看板を目印に山の中へと踏み出した。




