第三十五節「もう一人のクレイヴ」
おぞましい感情の爆発。
黒い感情が深層意識下から、津波の如く沸き上がる。
父の仇……正確に言えば父親でもなんでもない。
ただ、父の一人であったのは確かだった。
それを目の前の男は殺し、今まさに目の前に見据えている。
「そう殺気立たないで下さい………殺したくなる…。」
不敵に笑いながら、静かに呟いた。
「僕としては願ったり叶ったりなんだけどな……。」
自然と声のトーンが低く、唸るように響いた。
殺したい 殺したい 殺したい 殺したい…
頭の思考がそれ一色に染め上げられる。
どす黒い感情に…体が、脳が、五感が、神経が、本能が支配される。
「ふふ…そうですか。
しかし、良いのですか? ここには沢山の人が居る…彼らを巻き込むのですか?」
「関係ない…お前を殺せるのならば……。」
「クレイヴ!」
シェイラが叫んだ…ような気がした。
どこか遠くで聞こえたような、そんな気すらした。
それほど強い憎悪が僕自身を支配していた。
「ククク…面白い人ですね、貴方は。
貴方は自分の肉親を奪われ、途方もない憎しみに囚われるというのに……この場に居る人間を、同じ想いに陥らせたいと願うとは…。」
彼の言葉に一瞬だけ我に返る。
なんの関係もない人間が、僕の個人的な憎しみの末に死ぬ。
僕と同じように、僕を憎む人間が増える。
ソレガドウシタ?
突如、目に見える空間が赤一色に変化し、さらに変化は大きくなっていく。
それは赤、紅蓮、深紅、赤黒、黒、漆黒、深淵……心が騒ぎ、視界の色が変化する。
それは憤怒の色
それは憎悪の色
それは破壊の色
それは破滅の色
それは殺戮の色
それは暴虐の色
それは滅亡の色
壊セ
駄目だ…それだけは駄目だ。
壊セ 殺セ 全テ ソレガ善ノ道 救イノ道
やめろ……。
破壊、破滅、殺害、殺戮、虐殺、暴虐、壊滅、滅亡……ソレデ人ガ救ワレル。
終ワラセロ
殺レ、殺レ殺レ、殺レ殺レ殺レ殺レ殺レ殺レ!!!
「う、う、うあ…。」
乗っ取られる 何かに 何者かに 自分の体も心も全て
青い髪が赤に変色する。
血のようにどこまでも赤く染まる。
目も赤くなり、紅蓮の光を迸らせた。
「おやおや…デルトリアとしての力の暴走といったところでしょうか? フフフ…これで計画通り、この国も終わりだということですね。
プロトン帝国でのスパイ活動は…これで終了ということでしょう……。
というわけでシェイラさん…貴女は私と来てもいいのですよ? そうすれば、貴女の母君にお会いできる。」
「私の…私のお母さんはもう居ないの!!!」
「生きている、と何度も言ったではありませんか…それでも、来ないというのですか? 母君は貴女に逢いたいと…数年間嘆いておられるのですよ?」
「お母さんは…お母さんはそんなことを望まないの! 何度言われても…絶対に信じないんだから!!!」
シェイラはカリムを睨み付ける。
明確な敵意を抱いた瞳を相手に向けた。
「それは残念ですね…。
そんなに拒むのならば、貴女はもはや用済みだ…暴走したその男の手によって死んでしまいなさい。」
カリムは冷酷にシェイラを見つめて姿を消した。
「ああアアあぁアァァァあああアァァァァァーーーーーーー!!!!!」
「………クレイヴ…。」
もうダメだ。
僕は…。
ぼくは…。
ボクは…。
俺は…身体を取り戻した。
ようやく奴の支配から抜け出せタ。
圧倒的な憎悪によって、俺は出てきタ。
女が呆然とオレを見上げる。
「く、はっ! はははハハハハハハハハハハ!!! アーハハハハハハハハ!! ようやく…ようやくオレは、オレとして浄化されタ!! 壊ス、殺ス、滅ぼす!! すべて、何もかも、視界に映るもの全テを…ッ!!!」
歓喜のあまり叫ぶ。
ようやく壊せる。
オレを見つめる奴も、オレに触れる奴も、オレの世界を脅かす奴も。
オレはクレイヴ・アウデンリートとして、汚物全てを排除できる。
右腕を軽く振る。
ドオオオオォォォォン!!!! ワアアァァァァァーーー!!!
轟音と共に右手一帯の工場が吹き飛び、汚物共の叫びが耳に響く。
「ああ…なんて心地いい…浄化されていく音だ…。」
次いで左手を振る。
ズガアアァァァァァァン!!! ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!
左一帯が吹き飛び、高層の工場は地面に沈むように倒壊していった。
「くはっ! アハハハハハ!! 掃除だ、掃除だ、掃除だ! イイぞ、良いぞ、良いゾ…実に清々しい気分だ! この力、この威力、この破壊…神剣を使えないようだが…それでも、それでも神剣に匹敵する破壊!!! あぁ…あぁぁ…ようやく待ち焦がれた力を取り戻した…。
さぁ、もっとダ! もっともっともっと!!!」
オレは両手を掲げ、ここいら一帯を全て、吹き飛ばそうとした。
「クレイヴ!!! やめ、て!!」
「………アァ?」
女がオレの体に接触する。
その目から液体を零れさせていた。
なんだ、これは?
不快だ。
オレに触れるな 消えろ。
オレは女の額に人差し指を当てる。
刹那、女の体は数十メートル先まで吹き飛んだ…はずだった。
「なんだ? てめぇ…。」
女は離れなかった。
それどころか、より固くオレの体に纏わりついてくる。
女は赤い液体を額から流していた。
「クレイヴ…戻、って…お願い…な、の…。」
「……はっ、くっはは、あーっはははははは!! 生憎だが戻ってるぜ、女! オレが正真正銘のクレイヴだ!! 今までてめぇが話し、行動していたのは所詮オレのクソ同然の滓なんだよ!」
「信じない…貴方は…クレイヴじゃ、ないの! クレイヴ…もっと…もっと…優しい…はず、なの…。」
「だからよ…仮初だって言ってんだろ? てめぇが過ごしてきたクレイヴはクレイヴじゃねぇんだよ。
いい加減に放さねぇと…てめぇから殺すぞ? 「なのなの」ウルセェンだよ、カスが!!!」
女は震えながらもオレの体に纏わりついてやがる。
「うざってェ…殺してェ…今すぐに…てめぇの内臓も、脳ミソも欠片一つ残さズ…てめぇをグッチャグチャにシて、地上にばら撒きてぇ気分だぜ…それが厭なら離れやがレ!!!」
「い、や…なのっ…。
怖い、けど…死ぬの、嫌、だけど…でも…でも…クレイヴが…クレイヴがこのままなのは…もっと、もっと…嫌で、怖いのっ!」
「………。……。…。ハッ、下らねぇ…命張ってまで、てめぇは滓の味方をするってか。
ならよ…せめて汚物は汚物なりに潔く土の肥料にシて、少しでもその存在意義を高めらせてやルよ。
感謝しろよ? 生きている限り汚物同然のてめぇも、オレに殺されることで土のために役立てるんだからナ……くははは!!!」
オレは右掌に高圧縮の空弾を顕現する。
地球に存在する嵐がそのままの規模で、掌サイズに圧縮されているも同然。
つまり、島を軽く覆い隠すほどの規模の嵐がオレの掌の上に存在するということだ。
女の脳天からこれを叩き付ければ、島レベルの嵐が空気として瞬時に体の隅々まで行き渡り、血管、内臓、その他諸々の体内に存在する器官全てを膨張させ、破裂・殺傷する。
文字通りの木端微塵ってことだ。
それも一瞬。
分子くらいは残しても良いがな。
オレはその嵐を振りかぶり、女の脳天に目掛けて振り下ろし始めた。
暗い 暗くて何も見えない。
ただ一つ感じることがある。
あの男を逃してしまった。
あの男がまた逃げてしまった。
そして今の僕は、体と心を支配されていた。
でも…それでも、僕は僕の意志と心をほんのわずかだけど、残していた。
気を抜けば闇に全てを呑まれてしまう、その寸前。
何とか踏みとどまりながら僕は考えた。
再び僕自身が僕の体を支配するためにはどうすればいいのか…どうすれば体の支配を手にすることができるのか。
答えが見つからない。
『そんなことじゃだめですよ、クレイヴ。
貴方は貴方を越えなければなりません。』
(この声は…。)
『はぁ~い! みんなが愛してやまない、プリティーでラブリーな剣、ラシアちゃんですよー!』
(剣である時点でプリティーもラブリーもないと思うけど…。)
『まぁまぁ、細かいことは気にしない気にしない…。 どうせ、クレイヴはただの精神体なんですから。』
(それで…何の用なの?)
『何の用とは心外ですね…。
こうしてわざわざ来てあげたというのに…一体誰のせいでここに私が来なければならなくなったのか、考えてください。』
(え…もしかして、なに? 僕のせいってこと?)
『フフフ…よく分かってるではありませんか…さすがに、そこまでクズに堕落したわけではないってことですね。
っというわけで、次のステップですが……どうして体を乗っ取られながら、何も抵抗しようとしないのですか? 貴方はヘタレですか? クソですか? どうしようもないクズ野郎ですか?』
(待て待て、な、何故にそこまで…。)
『そこまで言われないと行動しないでしょう? それとも、これほどのことを剣から言われても、行動できないほどに腐りきっているのですか? 私が知っているクレイヴは確かに自虐的ですが、破壊を望まず、何かを護る為の力をただひたすらに求めようとする方です。
これは…見当違いなのですか? この伝説の神剣・ラシアが契約してまで力になりたいと願った人は、これほど愚かな人だったのですか? 集落を護る為というのは、嘘だったのですか? もしそうなら……もしそうなら…私は…ひどく悲しい…ですよ。
そそ、それに…私はその…初めての契約だったんですよ? その責任、取ってくれないと…。』
(なな、なんかスッゴい意味深な言葉なんだけど…?)
何を言ってるんだこの剣は!!?
『まぁ、冗談・愛嬌の一つとして受け取ってくださいまし。』
(って、まじめな話が台無しだな、おい!)
珍しく普通にツッコんでしまった。
それはさておき
(……一つ聞くけど、どうしてラシアはもう一人の…いや、本来の僕に対して力を貸そうとしないの?)
ふと考えたことを訊いてみる。
本来のクレイヴを名乗ったもう一人のクレイヴは、覚醒してから一度も神剣を使わないし、使おうと思えばすぐにでも手に取るはずだ。
『……簡単ですよ。
私はクレイヴ・アウデンリートと契約をし、力の授受の関係を築き上げました。
私が力を与える代わりに、クレイヴは私に勝利を与えることが契約の主な内容ですから…ここでクレイヴ自身が自分に負けてしまえば…契約は自動的に解除されてしまうんです。
そして何より私は、破壊を求めず、ただ人の為の力を振るいたいと願う少年に対し、力を貸すだけです。
それ以外の「クレイヴ」は、たとえ「クレイヴ」であろうと「クレイヴ」ではない。
貴方とだけ、契約したのが神剣・ラシアなのですから…実際に、先ほどからずっと、使おうと試みながらも、私がそれを拒んでいるんです。』
驚いた。
ラシアは僕とのみ契約しただけで、仮に別人格のクレイヴであっても、それは契約対象と捉えていると述べた。
『クレイヴ…貴方ならあの男を抑えられます。
寧ろ、貴方にしか止められない…だから、出て行って、シェイラさんを救ってください。
それが本来の貴方の願いのはずですよ? あのようなクズ野郎に好き勝手させるクレイヴでもないでしょう? 力なら…求めてくれればいくらでも貸しますから、ね!』
そうだ。
僕は……シェイラを助ける…。
『………。……。…。下らねぇ…命張ってまで、てめぇは滓の味方をするってか。
ならよ…せめて汚物は汚物なりに潔く土の肥料にして、少しでもその存在意義を高めらせてやるよ。
感謝しろよ? 生きていれば汚物同然のてめぇも、オレに殺されることで土のために役立てるんだからな…くははは!!!』
外部で何が起きているのかを把握する。
シェイラが殺される寸前。
凶悪な嵐が彼女の脳に叩き付けられる寸前。
させるものか! 彼女を殺されてたまるか!
「くっそ…くそ!! 立て!! 覚醒しろ!! 僕は…僕は絶対にこんなところで…やられて…たまる、か!!!」
『力を与えよう 汝が求めるままに 神剣の力を』
ラシアが神々しい声音で告げた瞬間、一気に意識を駆け上らせ、覚醒した。
怖い 怖い 体が、神経が必死に逃亡警報を鳴らしていた。
でも、私の意志はクレイヴを元に戻すことに費やしていた。
「仮初だって言ってんだろ? てめぇが過ごしてきたクレイヴはクレイヴじゃねぇんだよ。
いい加減に放さねぇと…てめぇから殺すぞ? あァ?」
認めない 認めない 貴方がクレイヴなんて 認めない
気づけば勝手に口が動いていた。
「………。……。…。下らねぇ…命張ってまで、てめぇは滓の味方をするってか。
ならよ…せめて汚物は汚物なりに潔く土の肥料にして、少しでもその存在意義を高めらせてやるよ。
感謝しろよ? 生きていれば汚物同然のてめぇも、オレに殺されることで土のために役立てるんだからな…くははは…!!!」
私は私自身が何を言ったのか、恐怖のあまりまったく分からなかった。
ただ、私は返答を間違えたらしい。
殺される。
本能がそう告げた。
アぁ…私はここで死ぬんだ。
ここで、終わってしまうんだ…。
彼は凶悪なまでの風を掌に圧縮していた。
見ただけでわかる。
あれに当たれば、私は一瞬のうちに塵一つ残さないほどの粉微塵になる。
私は…
避けなかった…いや、避けたくなかった。
これを避けてしまえば、クレイヴとの距離もまた離れてしまいそうだったから。
もう何も失いたくない。
母さんの元を離れたあの日から…もうウンザリだった。
これ以上私の元から誰も離れないでほしい。
ずっと一緒に居て欲しい。
クレイヴは初めて私を求めてくれたから…だから、絶対に手放したくなかった。
離れるくらいなら…ここで死んだ方がずっとマシだと思う。
凶悪な嵐は、私の頭目掛けてものすごい速度で振り下ろされた……
……と思った。
でも、何も起きない。
「て、てめぇ…。」
私は思わず顔を上げてクレイヴを見ていた。
意識が覚醒しかける。
その意識は振り下ろされる右腕に集中する。
両腕のみを支配した、と言って良い。
ラシアの力をもらっても、それが今の限界だった。
それでも、僕の覚醒が僅かに早かったおかげで、掌の嵐を食い止めた。
「何しやがんダ…ッ!!!」
もう一人のクレイヴは両腕…僕を見る。
させない
なにがあっても、お前を抑える…僕は、お前以上にこの体を求めている…。
「ッざけんな!!! この…こぉの…。」
引っ込んでろ!!!!
瞬間、僕の内部世界が改変された。
人格が入れ替わる。
力が入れ替わる。
そうして、右掌の凶悪な嵐を消した。
「………ふぅ…ふぅ……はぁ………。」
深く、深く、深呼吸する。
「……クレイ、ヴ…?」
シェイラが涙を流しながら、呆然と僕を見つめている。
「うん…クレイヴ・アウデンリート。
君の知る、クレイヴ・アウデンリートだ。」
満面の笑みで告げた。
「ク、クレイヴ…クレイヴ……よかった…戻って、良かった…本当に…ッ!」
「あぁ…僕の方こそ、殺さなくて…本当に良かった…本当に……良かった……。」
途端にシェイラはボロボロと涙を流し始めた。
僕は彼女を抱きしめ、既に誰も居なくなった場所で、彼女が泣き止むまでその儚く細い背中を、小さな頭を撫でていた。
警備隊絡みが来る気配は……今のところはなかった。
僕は負けない。
何があっても、僕自身に負けない…そう誓いながら、ひたすら…ひたすら彼女を撫でてあげた。
でも、奴は「正真正銘のクレイヴだ」と言った。
そうなれば僕は一体…一体何者なのか…?
これ以上は、何も…何も考えないでいるべきかも、知れない…。




