第二十一節「フェルティナ」
誰も居ないとある一室。
所狭しと乱雑に散らばる研究用具。
壁や天井に張り巡らされたパイプは数々の培養槽へと続いている。
その一つに、燃え盛るような赤髪をした少女が培養液に浸かっていた。
少女はピクリとも動かない。
その少女の前に、黒い外套を身に纏い、フードで目元まで隠している男が立っている。
「未だ動かず、か。
あれからどれほどの時が過ぎたことだろう。
幾年も重ね、ようやくここまで成長してくれた。
そろそろ…そろそろ声を聞かせてくれてもよいのではないのか?」
男が培養槽を見つめながら、そう呟く。
しかし、培養槽の少女は反応を示さない。
まるで水につけた人形のようだ。
「ふふっ…殿下、そう急かさずとも、彼女は時が来れば目覚めますよ。
そのようにして毎日話しかけなくとも…。」
外套を身に纏う男の背後には、面のようなもので頭を隠している女が居た。
温和な声音で、培養槽の少女に話し掛ける男を、諭すかのように話し掛ける。
狡猾に何かを企む悪女のように…
すべてを包み込み、慈愛に満ちた聖母のように…
温和な声音の中にそうした色が浮き彫りになっている。
「分かっておる。
見ろ…この子が、我等の新しい子だ。
お前のガキよりも優秀な子だ。」
「えぇ…フフフ…それにしても…今頃あの子、親である私が死んだなんて思いこんでいるのでしょうね。
私はこうして生きているというのに…。」
「あぁ…そしてアイツは、自分がお前から愛されているなどと思い込んでおった。
…いずれは相見えるだろう。
その時はこの子と共に、存在そのものを抹消する。」
「それは…いいですね。
フフッ…早く絶望しきったあの子の顔…見たいものです。」
「あぁ…だが、もう少しの辛抱だ。
もう少しでこの子も目覚める。」
二つの影は不気味に笑い声を上げ、何かを企んでいるかのように呟く。
この二つの影にだけ既知とした人物。
この二つの影だけが会話をした人物。
この場に於いて誰を示しているのかは、彼らにしか知らない。
しかし、その会話に呼応するかのように、ピクリと眉が動いた。
それまで殆ど動かなかった少女が、確かな動きを見せた。
「ッ!!? フッ…フフフフッ…フハハハハ!! 見たか!? 今…今動いたぞ!!」
「えぇ…見ましたよ。
そんなに騒がなくても、逃げたりなんてしませんのに…。」
「仕方なかろう! どれだけの時を待ったと思っておるのだ。
これもお前のお陰だな。」
「勿体なきお言葉…殿下のお力となり得ることこそ、私の全てです。」
楽しげに語る男と、それを楽しげに聞く女。
不気味な雰囲気を醸し出しながら、二人は共に喜んでいた。
しかし、その喜びは子を為した喜びではない。
自分たちの損得で喜んでいるに過ぎないのである。
自分たちの目的のためならばヒトをも生み出す思想。
この世の混沌とも言える存在が、ここに確かに存在した。
二つの影が持つ野望は、二人にしか分からない。
「申し上げます。
殿下、被検体666の居所が分かりました。
アーダの樹海に床を張る蛮族共の集落です」
殿下と呼ばれる男の直臣を名乗るヴォルデ・シュレンベルガー。
ヴォルデは男の背後まで来て跪いては頭を下げ、報告していた。
見上げた忠誠心である。
「ご苦労だな。
どの様にして場所を特定した?」
ヴォルデの声に男も真剣な様子で背中越しに声を掛ける。
先ほどまでの嬉々とした雰囲気は、最早掻き消されていた。
男の冷徹な受け答えから、ヴォルデを絶対的に信じていることが伺える。
「はっ! それが、樹海の中にある開けた場所から、微かではありますが…神剣の理力を観測しました。
解析の結果、『光の柱』と同等のエネルギー量を放っていました。
しかし、樹海の自然エネルギー・エアロイズの力の制御によって理力のエネルギーが拡散され、柱には至らなかったと思われます。」
「なるほど…つまり、神剣を使いこなしたか、若しくは神剣に使われたかのどちらかという事か…。」
「察しの通りでございます。」
「ふむ…よし、大義であった! もう下がってよいぞ。」
「ははっ!! 勿体なきお言葉!! それでは、これにて失礼します!」
一通りの会話の後、ヴェルデはそそくさと研究室から出て行った。
再び二人だけになる。
男の口元が不敵に歪む。
「奴はもうすぐで後悔することとなる。
自分が存在した事…全てが無意味であるという事をな。
それを理解した時、面白いことになりそうだな。」
「そうですね。
それに、この子の目覚めは近い。
私は貴方の間で出来たこの子だけを我が子として愛しております。」
「そうか…それは頼もしい限りだな。
まぁ、『愛する』べき存在かどうかは疑問だな。
こいつは我等の子であることに変わりないが、所詮は兵器に過ぎん。
愛情を注いで無駄ではないが、無意味ではあるぞ。」
「ふふっ、それでも構いませんわ。
元よりそのつもりでありますし、初めて愛情を込めることの出来る子でもありますから…嬉しいのです。
私の自己満足だと思って受け流してくださいませ。」
「あまり情を注がない事だな。
だが、名を与えねば何かと不便であることは確かだ。
名前はそうだな…『フェルティナ』と名づけるとしよう。」
「フェルティナ…よい名前ですね。」
「このフェルティナが…我らの牙となる。」
二人の表情は分からないが、不敵な笑みを浮かべていることは伺える。
『フェルティナ』と呼ばれた少女もまた、微かな反応を見せた。




