第十九節「類似の過去 女神の声を聞けば」
約束の日の朝。
あれから数日が過ぎていた。
あの事件は二人の中で話題にしないと約束し、それが為せている間は良好な関係を築くに至っている。
今日はいろいろとシェイラから話を聞くことになっている。
あの日の最後に話題になったエーデル・フェアライト。
ラシアの話によると、フェアライトの純血らしくて、かなり珍しいという。
どれほど珍しいのかはイマイチ分からないけど、ラシアが驚いたくらいだから、相当だろう。
それも今日は聞くことができると思う。
僕が朝の準備をしていると、ゆっくりと玄関の扉が開き始める。
そちらに視線を向けると、シェイラが顔だけ出して部屋中を見渡していた。
「おはよう。
昨日はしっかり眠れた?」
僕は笑顔で話しかけた。
ようやくシェイラとこうして交流することが出来る。
それだけでも心躍るものがあった。
僕は、その心情のままに話しかけていた。
「うん。
クレイヴこそ…ちゃんと、休めた?」
ボソッとした声量で苦笑しながら答えてくれた。
このやり取りが何となく微笑ましく思える。
ほんの数日前までまともな会話にもならなかったから余計に。
ただ、シェイラもあの事件の翌日は何度も謝ってきて、その度に気にしないように言ってあげた。
そうしてやっとのことで僕の言葉を受け入れてくれた。
「あぁ…元々傷の治りも早いし、大丈夫だよ。
それより、適当に座ってくれれば…。」
「あ…ううん、私…紅茶淹れるから、クレイヴが先に座ってて。」
「え? そ、そんな…ここは僕の家だし、シェイラは…」
「いいの、大丈夫…。
私、小さい頃からずっと色んなものを作り続けてるし…それに、もっと人のために何かしたいの。」
僕の言葉を満面の笑みで受け流したシェイラが部屋の中に入って、そのままキッチンに向かった。
こうして普通に笑顔を見せてくれるようになった。
スゴイ進歩だと思う。
言葉もかなり滑らかな言い回しになっているし。
普段の緑色の地味な服ではなく、純白のワンピースを着ている。
こんな服もあったんだな。
普通に可愛いし、普段から着ればいいと思うけど…多分それを言ったら、照れて帰ってしまうかも知れないから言わない。
三つ編みにした綺麗な空色の髪は、耳の上で二つに分け、腰まで伸ばしていた。
なんだか、ずいぶんと普段とは印象が変わっている気がした。
もっと地味な性格だったり、地味なものを着ているのかとばかり思っていた。
シェイラは少し強く掴んだら壊れてしまいそうな、そんな儚さをも孕んでいる。
それだけじゃない。
シェイラは明らかに明るく振る舞っている。
ここまで明るい彼女を僕は初めて見た。
普段は常に不安げな佇まいで控えめで、こっちまで申し訳ない気持ちになるのに。
変に意識するのは服装のせいか、彼女の振る舞いのせいか、定かではないけれど、新鮮な光景だと思うのは確かだった。
シェイラは紅茶を作り始める。
その背中も当然ながら細く弱々しい。
僕は彼女の言葉に従い、椅子に座って待つ。
しばらく経つと、シェイラがお盆に乗った紅茶を持ってきてくれた。
純白のティーカップに朱色の紅茶が淹れられ、湯気を立てている。
何やら紅茶を飲むときは作法があったはずだけど、僕は特に気にしていないから、そのまま口に運ぶ。
当然ながら味は紅茶だった。
「美味しい!!」
「そ、そう、なの? よかった…口に合わなかったらどうしようかと…。」
僕の感想を聞き、はにかむように、それでいて嬉しそうに笑うシェイラ。
彼女は僕と向い合せに座った。
シェイラも紅茶を淹れたらしく、僕と一緒に飲み始めた。
僕は紅茶で心が落ち着いた頃合いを見て、シェイラに話を切り出すことにした。
「シェイラ…この間の話で言ってた、『エーデル・フェアライト』って何?」
僕の質問を聞くと、シェイラは紅茶を置いた。
そして目を閉じ、しばらくの沈黙の後。
「純粋なフェアライトのこと。
元々のフェアライトはエーデル・フェアライトなの。
でも、自然のエネルギー・エアロイズの不足で多くのエーデルフェアライトが死んだの。
私はその生き残った数少ないフェアライトの末裔。」
「じゃあ、今のフェアライトは何なの? エーデル・フェアライトが本来のフェアライトの姿なら…今のフェアライトは…。」
「今のフェアライトはいろんな種族が混じり合った血統なの。
エーデルフェアライトは天候操作能力を色濃く受け継いでいる。
今のフェアライトは天候操作能力の大多数は失われてるの。」
シェイラは僕の問いに淡々と、真剣な顔で答えてくれる。
その様子に僕も無意識に熱が入り始めた。
「じゃあ、どうして僕は生まれることができたんだろう? いや、どうしてデルトリアができて、デルトリアに天候操作能力があるの?」
「そ、それは…。」
僕の問いに、それまで止まることなく説明してくれたシェイラが口ごもる。
その時、直感的に理解した。
それは…
「……キミが、デルトリアの遺伝子の一部を提供したの?」
僕の問いに驚いたように目を見開かせて見つめてくる。
その直後、首を振る。
「………私じゃなくて、私のお母さん。
遺伝子を提供した後に私が生まれて、お母さんもパルケニア軍の施設内で育ったの。
でも、デルトリアの研究所に落雷を落ちて……ううん、実際はお母さんが天候操作で破壊した。
軍は天候操作ができるお母さんと私を疑い始めたの…自然的に発生した落雷だったら、施設を破壊するほどのものではないはずだって。
まだ、四歳の頃よ。
その時に私を逃がして、お母さんは軍に捕らえられて…色んな人体実験の末に…死んじゃったって聞いた。
自分を犠牲にして…私を護ってくれたの」
シェイラの最後の言葉を聞いて頭が弾けた気分になった。
僕と同じだ。
直感的にそれが頭の中で浮かんだ。
『自分を犠牲にして護ってくれた』
何度も頭の中で反芻する。
繰り返しシェイラの言葉が頭の中で流れた。
まさに、僕が母さんから護られたことと同じことを、僕と同じ想いを…僕よりも遥かに前にシェイラは味わっていたんだ。
それも実の親で、血が繋がってて、僕よりも幼いのに…。
それを知った時、僕は___
「クレイヴ? ごめんなさい、なの…。 悲しかった?」
___泣いていた。
それを指摘されるまで、僕は自分が涙していることに気付かなかった。
頬に手を添えると、生ぬるい水が手を濡らす。
その水は…洪水のように瞼から溢れ続ける。
止まらない。
意志とは完全に独立した悲しみが目を通して外部に漏れだす。
魂の悲哀、心の底からの悲しみのように。
決して抗えない絶望感を心に受け、心から流れた血のように、ドクドクと止め処なく流れ続ける血流のように、涙が流れた。
「ッ!!? ご、ごめん……。
僕とシェイラは関係ないのに……勝手に…流れて…変だよね。
止まらないんだ…涙…どうして…僕は…僕は…。」
必死で涙を拭う。
女の子の前で泣くなんてことはしたくない。
でも、その願いも、想いも、僕の体は言うことを聞かなかった。
意に反して涙は止まってはくれない。
母さんのことはもう整理がついたとばかり思っていた。
自分の中で母さんの死を、父さんの死を受け入れ、受け入れながら前に進もうとしているんだって。
自分の中でそう結論付けていた。
でも、まったく整理なんてできずにいたんだ。
僕は、僕と同じ境遇の子がいたことに安堵したのか、同情したのか、分から無かったけど、とにかく涙は流れ続ける。
母親を亡くした気持ち。
母親が自分を犠牲にして護ってくれた優しさ。
その母親を護れなかった無力感。
それらは痛いほどに分かる。
彼女がどれ程の悲しみを抱えているかは分からない。
ただ、並大抵のものではないのは確かだと思う。
こうして成長した僕でさえ、血の繋がりが無いと思っていた僕でさえ、身近な両親が死んで、ここまで心を病んでいるのだから。
「クレイヴ…。」
シェイラが僕の隣に来て、頭を抱き寄せてくれた。
小さな身体だった。
僕よりも小さい。
なのにこの抱擁は何よりも大きく、それでいて温かみがあって、すごく安心した。
聖母のように、女神のように、母親のように、僕はその抱擁を受けていた。
更に、声質が変わっていた。
まるで女神か天使のような、慈愛に満ちた、優しくて安らぐ声。
「クレイヴ、私のお母さんが居なくなったのは四歳の時なの。
だから、今のクレイヴみたいに苦しんではいないの。
クレイヴの過去は、ディーナスさんに聞いたわ。
私と同じ境遇だけど、デルトリアの感受性に加えて、目の前で死んじゃたって辛い思いをしてるだろうって。
私は、直接お母さんが死んじゃった光景を見たわけじゃないから、いつかは迎えに来てくれるって信じているの。
でもあなたは違うよ…。
クレイヴ、もう…独りで悩まなくて良いの。
私が居るの、みんなが居るの、だから頼って、求めて、縋って。
私たちは、そんなあなたを頼って、求めて、縋るから…それが人なの。
助け合うっていう事だよ。
私は人と関わるのは苦手だけど、動物と居るとそういう気持ちになるし、大切な人に対してでもそういう気持ちで接してるの。
だから、クレイヴもそうやって生きてみて?」
言葉の一字一句。
僕の凍りついた心を溶かしていく気がした。
熱い。
僕には眩しすぎる。
温かすぎる。
受け入れたらダメな気がした。
それでも受け入れたくなる。
僕は求めていた。
人の愛情に渇望していた。
そして今、この瞬間に叶っている。
だから、自分でも抑えられないほどの涙が出てくる。
理性ではどうにもできない涙。
こんな気持ちは初めてだった。
人は…これほど温かいものなのだろうか。
愛情とはこれほどまでに暖かいものなのか。
「クレイヴ…エーデル・フェアライトの特徴…もう一つあるの。
エーデル・フェアライトの発した声と言葉は、人の心を動かすの。
クレイヴが私たちフェアライトを頼れるように…私が心を動かしてあげる。
一見、洗脳みたいだけど…心を洗い流す、『洗心』っていうのかな…。
大天使の声音…それがこの声の正体。」
大天使の声音。
慈愛に満ちた優しい声。
僕はこの声に甘えていいのだろうか。
今だけ
そうだ。
今だけだ。
今だけはこの声に甘えよう。
女神の声は、僕の心を溶かし、開かせてくれるだろうから。




