第十八節「エーデル・フェアライト」
ゼルマの過去話を聞いて、僕らは二人で集落に戻ってきていた。
辺りは既に闇夜に包まれて、巨木の陰で更に闇は深い。
枝と枝の間から差し込む月光で道の目印の役割になって迷いはしなかった。
その中で、集落の至る所に火の玉が浮遊していて、真っ暗闇の集落を明るく照らしていた。
僕たちはそこに向けて足を進め、集落内で両者別れる地点に来ていた。
「それじゃあな。
今日はしっかり休めよ。」
「うん。
ありがとうゼルマ…今日は楽しかった。」
「がはは! 俺もだ」
ゼルマは嬉しそうに笑いながら手を振った後、そのまま振り向いて人ごみの中に消えていった。
今日は特に何もすることがない。
このまま帰って寝よう。
僕は自分の家に向けて足を動かしていった。
家の前に来たとき、ある人物が僕の家の前に居た。
目を凝らして見てみると、空色の透き通った髪が、火の玉の明かりに照らされて目立っている。
シェイラだった。
彼女は何かを待っているかのように、玄関の扉の前をうろちょろしていた。
僕の帰りを待っているのだろうか?
といっても、まともに話したことなんて一度もない。
それはシェイラ自身が極端な人見知りだからだった。
「えっと…シェイラ?」
恐る恐る声をかけてみる。
どういう反応を示すのだろうか?
「ッ!!?」
シェイラは僕を見るなり、声にならない声を出してその場を離れた。
そして、物陰に隠れた。
全体的に華奢な印象を持つシェイラは、簡単に体が隠れる。
その物陰から目だけをこっちに向けて様子を伺っていた。
見えないとでも思ってるのかな? なんて声を掛けるべきなのだろう?
さすがに今までまともなコミュニケーションを取ってこなかった僕にとって、シェイラとのこういった状況は正直苦手だった。
実際のところ、彼女がどういった人物なのかも全くと言っていいほど知らない。
それは彼女も同じ事だろうと思う。
僕を前にして得体の知れないもの、若しくは恐ろしいもの、としてしか認識できていないと思う。
とにかく、このままでは埒が明かないと思った僕は、思い切って家の扉まで歩き出した。
一歩、また一歩と踏み出していき、僕の家の玄関が近付いてくる。
なんだか感覚として恐ろしく長く感じた。
それでも足を止めずに歩き続ける。
やがて扉の前に来て、ドアノブに手を掛けようとしたとき。
「あ、あの…っ…。」
消え入りそうなほどに小さな声が後ろから聞こえた。
僕は思わず手を止める。
後ろを振り返ると、シェイラは目が合うなり俯き、腹の前で手を組みながら何やらもじもじし始めた。
「………。」
黙り込んでしまい、なにやら考えている。
何を考えているのだろう? やはり、僕との話が気まずいのだろうか。
でも、こうして話し掛けてきてくれたということは、何か用があったんじゃないだろうか。
「………。」
どれくらい時間が経ったかな。
シェイラは一向に口を開いてくれないでいる。
そればかりか、あちこちに視線を巡らせていた。
まるで、どのタイミングで抜けようかと考えているように…。
そして、さすがの僕も聞かずにはいかなかった。
「えっと、何か用かな?」
比較的優しく僕から話しかける。
すると、シェイラはビクッと体を振るわせたと思うと…
「ふにゃっ!!? ななな、なんでもっ、ないっ…ごご、ごめんなさい!!」
全力で謝ってきた。
ど、どういうことだろう。
さすがにこれは、困惑ものだった。
「えっと…どういう…。」
「…な、なんでもないのッ!! ただ、その…私…せ、世間話…でも、め、迷惑だったみたいで…。
だ、だから、ごめんなさい。」
「い、いや、何も謝らなくても…別に迷惑じゃないし。
というか何でそんな謝って…。」
「ごめんなさい! ごめんなさい!! ごめんなさい!!! あのっ、私…これでッ!」
涙目になりながら一方的に謝り、僕の言葉もほとんど耳が入っていない様子で、逃げるように去ってしまった。
世間話。
確かにそういった。
ただの世間話で、何もそんなに謝ることはないと思うけど。
彼女は何もしていないし。
『随分な言いようですね。
まるで何かに怯えているかのように…。』
ラシアも同様に思ったみたいだった。
なんか、久しぶりに声を掛けてもらえた気がする。
いや、一日が長く感じすぎてそう感じていたのかもしれない。
『そうだね…彼女にも何かしらの理由があるのかもしれない。
あそこまで怯えるのも…。』
『なんだか主、変わりましたね。
随分と仲間のことを考えてるじゃないですか。
心の中ですごく感慨深そうに言いながらアレックさんの話とゼルマさんの話を聞いちゃって。』
『ん?……そうかな?』
『そうです、そうです。
前までミレアナさんに対しても殺気立たせてたじゃないですか。』
『そ、そんなことないけど…。』
『んもぉ…主、自覚なかったんですか? このラシアは常に主のメンタルチェックをしてですね…。』
『それよりも、これからどうするか…。』
『ちょっと主、聞いてますか?』
『今はそれどころじゃないだろう…シェイラのこと、もっと知らなきゃならない。
僕のことなんかよりもね。』
『……悪ふざけはここまでにしますか。
っと、どうしようもこうしようも…今日のところは逃げられちゃいましたし、夜も遅いですし、寝た方が良いんじゃないですか?』
『それもそうだね。』
ラシアの悪ふざけはともかく、そのあとの言葉はご尤もだ。
ここで焦って彼女を追いかけても良い事なんてない。
僕はこの日、すぐに横になって、今後のシェイラの動きを観ていくことにした。
それから数日。
度々、シェイラは僕の家の前に来るようになった。
その度に僕を見た瞬間、逃げるように帰って行った。
その生活が立て続けに数日間続く。
どうしたものか。
話し掛けても逃げられ、そっと近づいても逃げられ、正直彼女の行動は読めない。
仲良くしようとしているのだろうけど。
そしてこの日。
今度はこちらの番だ。
今まで彼女が僕の家の前に来ていたけど、この日は僕が彼女のところまで来た。
村の外れに位置する、柵に囲まれた芝生。
奥に小屋があり、中には鶏。
その隣にある巨大な木造建築が三棟並び、その中に鶏小屋の隣に牛小屋、その隣に羊小屋、更にその隣に山羊小屋がある。
彼らが毎日畜産物を分けてくれて、シェイラ率いる畜産業の人たちが回収するらしい。
僕はシェイラの担当している畜産業の作業場に来ていた。
おそらくシェイラはここの何処かで働いているはず。
『いよいよですね…。』
『うん…今日こそは接触してみせる。』
流石にこう何日も立て続けに同じ光景を目の当たりにすれば、誰でも辛い。
何でも流して乗り越えそうなラシアですらため息ものだから、よっぽどだと思う。
この日はシェイラに聞きだすつもりだった。
これ以上は僕も限界だった。
意を決して彼女に会うため、鶏小屋に向かって駆け出す。
そして走りながら鶏小屋を覗く。
『……居ませんね。』
『そうだね…じゃあ次。』
そうして隣の牛小屋に向けて駆けていく。
扉は完全に解放されているのを見ると、中に居るのは明白だった。
今日こそは絶対に接触を果たすんだ!
そう内心で意気込みながら全速力とはいかずとも、かなりの速さで足を交互に前に出していた。
もう少しで扉の前に着く。
そう思った矢先…
「ぁ…」
声なのかそうじゃないのかすら分からないほどに小さな声が漏れた。
突然、目の前に空色の髪の少女が出てきたのだ。
慌てて足を踏み返そうとした。
しかし運悪く、両足が空中に浮かんでいる状態で、片足を着地させたとしても、衝突してしまう。
勢いがついている状態で、空中で、一瞬で体を翻して回避なんてスタイリッシュな行動は僕には酷だった。
いくらデルトリアといえど避けられないタイミングというものはあるし、どうしようもない状況もある。
「っ、きゃああぁぁ!!」
「うわッ!」
甲高い悲鳴とともに僕は少女に「接触」し、そのままの勢いのまま倒れこんでしまった。
強い衝撃とともに、目の前が真っ暗になり、全身に痛みが軋む。
「いったー…誰がこんな____ッ!!?」
可愛らしい声質が僕の耳に届く。
小ぶりの柔らかい感触の「何か」が僕のこめかみに密着している。
「ぁ…ぁ…。」
小刻みに僕の顔が揺れる。
そして額に感じる、大きく速い脈打ち。
ん? こめかみに感じる柔らかい「何か」、額に感じる大きく速い脈打ち。
『主!! 起きてください、彼女の体に顔を押し付けちゃってますよ!!!』
「ッ!! ごごご、ごめん!! け、怪我は…?」
ラシアに指摘されて慌てて顔を上げ、両手を地面についてバッと体を起こした。
目の前に広がるのは空色の髪を耳の上で二つ括りにし、マカライト色の綺麗な瞳をした小柄で華奢な少女。
儚げで危なげで、極度の人見知りで評判の一人の少女。
僕が探していた子だった。
どうしようもない羞恥心がこみ上げてきて顔が熱くなり、彼女の顔も耳まで真っ赤になり、まるでトマトのようだった。
「う、うぅぅ…っ!」
「あ、あの…その…」
「い、いやあああァァァァ!!!」
「うぐッ!!」
ラシアは片手を僕に翳す。
刹那、強烈な衝撃波が僕の体を襲い掛かり、そのまま後方に真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに超高速で吹き飛んだ。
僕の体は、勢いのままに地面を少々抉りながら吹き飛ばされ、芝生を抜け、樹海にある無数の木々をドミノ倒しに貫通していく。
数十本の木を薙ぎ倒し、最後の木に体を強く叩き付けて止まったものの、地面に尻が付いた瞬間にその木も倒れた。
「うぅぅ……ぐぅ…。」
僕はそのままバタンと横に倒れ、気絶してしまった。
「あ、あの…クレイヴ…?」
「……。」
呼びかけにゆっくりと目を開ける。
すると、シェイラが僕を見下ろしていた。
僕は仰向けに寝かされていて、チラッと空を見ると、既に茜色に染まっていた。
「あ……大、丈夫…?」
恐る恐るといった風情で問いかけてくる。
その声に反応して頷く。
「ごめんなさい…力…まだ制御できなくて…。」
「あ、あぁ…気にしないで…体だけは丈夫だからさ。」
「……怒ってないの?」
「怒ってないよ…というか、僕の方こそごめん。
もっと周りに気を遣うべきだったのに突っ込んで、その……。」
言い辛い。
というか言えない。
胸に顔を突っ込んだなんて、彼女を目の前にして言えるはずはない。
「き、気にしないで!! というか、そのお話は…もうしないで! 今回のこと…お互いに考えたくないだろうし…。」
「……わかった、そういうことなら気にしないでいるよ。」
「うん。
あ、あの……わ、私…その…デルトリアが来たって聞いた時…す、すごく怖かったの。
どんな凶暴な人なんだろうって…。」
「……そっか…それで、シェイラから見て僕はやっぱり凶暴?」
凶暴なんて言葉にも特に気にすることはなかった。
もう言われ慣れているから。
「そんなことないよ。
だってクレイヴ……私が悪いことしても…傷つけても怒らないし…。」
首を振ってシェイラは僕の問いを返答する。
その言葉には嘘なんて孕んでないと分かった。
「……そっか。
でも、さっきのはすごい力だったよ。」
「あ…それは…私がエーデル・フェアライト…だから」
「エーデル・フェアライト?」
初めて聞く。
フェアライトと何か違うのだろうか。
いや、力が強大なのは確かなんだろうけど…。
『フェアライトの原型…純血とも言いますね。
彼女がそれとは…正直驚きです。
滅んでいるとばかり思ってましたが。』
気絶して初のラシアの発言。
相当珍しがっているみたいだ。
見た目はフェアライトとほとんど大差ないのに。
でも、純血がシェイラだとしたら、今のフェアライトは血統の偏りがあるのかな?
「フェアライトの純粋種ことで…ほかのフェアライトより強い…。
フェアライトは厳密に言えば、混血になってしまうとフェアライトじゃなくなってしまう、から…。」
「そうなんだ……。
ねぇ、せっかくこうしてお話しできたんだしさ。
今度また、日を改めないか? その時にエーデル・フェアライトのことも、詳しく聞かせてくれると嬉しい。」
「……うん!……そ、そ、それじゃあ…その時は…私からクレイヴの家に…行く。
そ、それじゃあ…私、今日は帰るね。」
「うん…お休み。」
シェイラはニコッと嬉しそうに笑った。
僕もそれに応えるように微笑んだ。
『なんとか、目的は達成ですね。』
『かなり痛い思いはしたんだけどね。』
『あんなことをしたんですから当然ですよ。
むしろ、あれだけで済んだと思わないと。』
『あ、あぁそうだね。』
ラシアの言葉に苦笑する。
あれでマシだとしたら、本気だったら命はないな。
でも、死ななかったことは僥倖だったかもしれない。
僕は茜色に照らし出される地面を踏みしめ、その場を後にして家に帰った。




