一月十三日(木)
木曜日。こっちの事情なんだけどやる事があったから、一日空けて私はまたこの病室を訪れていた。今日はお土産に、コンビニで買ったアイスを持って。
ノックをしてからドアを開けると、カオルはいつも壁にかかっていた白いコートにブラシをかけていた。
「やあ、チエリ」
「こんにちは、カオル。どうしたの、コートの手入れなんてして。出かけるの?」
「いいや、どこにも行かないよ。ただこのコートは私の宝物だから、たまにこうやってブラシをかけてあげてるんだ」
「宝物?」
「会社に勤めてた頃、ボーナスで新調したんだ。十万円くらいした。生憎、ほとんど使うこともなく、こうして飾るだけになってるけどね」
「入院してから、長いの?」
「そうだね……もう結構経つ」
思い出すように遠くを見てから、カオルは曖昧な答えをくれた。
「聞き忘れてたけど、カオルって何歳?」
「私? 去年の十二月に二十二歳になったよ」
「六つも年上だったんだ」
「見えないでしょう。背も低いし、こんな顔だしね。そう言うチエリは、そうだね、高校一年生かな?」
「うん。当たり。よく判ったね」
「受験生ではなさそうだったからね、高一か高ニだろうなって」
そう言うカオルの身長は私と同じくらいで、せいぜい百五十センチくらいだろう。顔だって、中性的である以上に童顔。
「大学、短大?」
「ううん、高卒で就職したの。お金に余裕なかったからね。長い目で見れば大学出た方がよっぽど稼げたんだろうけど、残念ながら長い目で見れるほど余裕がなかったんだよ。うち、色々あって貧乏だったからさ」
カオルの事は知らないことばっかりだと思ってたけど、私とはだいぶ違うらしい。私はもうすでにどこの大学に行くとか行かないとか、そういう話を親に聞かれたりする。就職することなんて、考えた事もなかった。
「大学、行きたかった?」
「うーん、勉強それほど好きでもなかったしなあ、行かなくて正解だったかもね。勿論、本当に正解かどうかなんて判りはしないんだけどさ」
あははと笑うと、カオルはコートのブラシ掛けを終わらせ、壁に吊るした。
「遅くなったけど、お土産」
「お見舞いじゃなくて?」
「友達のところに遊びに来てるだけだから……」
「そう。ありがと」
私の差し出したコンビニの袋を受け取ると、カオルは迷わずチョコを取った。一緒に買っておいた温かいお茶も渡す。
一瞬触れた手に、私は少しどきりとした。痩せすぎてはいるけれど、それでもきれいすぎるほどきれいな顔をしているからかな。
「そういえばあなた、一応確認しておくけど、性別はどっちなの?」
改めて、聞いておきたい事だった。女性だとは思っているけど、女同士でしかできない話もあるし、万一違っていたら失礼だし。聞くのも何となく失礼な気がして聞き難かったけど、ここで聞いておかないとますます聞けなくなりそう。
カオルは少し困ったような顔をした。
「どっちでもないんだ、私は」
「……どういう事よ」
「子宮の病気でね、全部切り取ったんだ。だから私はもう、女じゃない。どっちでもない」
「そう……」
なんとなく、触れてはいけないところに触れてしまったような気がした。
「ごめんなさい」
私が首を垂れると、カオルは苦笑した。
「いいよ、謝るようなことじゃないよ。チエリは優しいね」
「けど……」
「いいんだよ、別に。友達だろう?」
カオルはからからと笑う。その笑顔に、少しだけ救われたような気分になる。
「見た目、どっちか判らないだろう。昔は女子校の王子様って感じだったんだよ。病気で痩せて、見る影もなくなった代わりにますますどっちか分からなくなった」
「うん。声と名前も中性的」
「こんな声と髪型だし、胸もまな板だから余計判らないだろう。元々なかったのが、病院食のお陰で余計なくなった」
胸に手を当てながらそう言うと、カオルは一度短く息を吐いた。
「どっちか判らなくて、どっちでもない。そんな人間がいたっていいじゃないか。って私は思ってる。オンリーワンだよ、私は。希少生物。そう思わないか?」
少し考えてから、私は頷く。別に悪い事なんて何もない。
「良いと思う」
「君なら判ってくれると思ってた」
カオルはくっくっと喉を鳴らして笑った。
少し悲しそうな顔をして、カオルは寂しげに笑う。納得いかない。
「どっちでもない、でいいと思うよ、私は。女に生まれたからって、死ぬまで女でなくてもいいと思うし。ただ恥じらいはあるだろうから、お風呂やトイレや更衣室は女性用を使った方がいいと思うけど」
「そっか……それもそうだね。うーん、どっちでもないなんて、言葉遊びでしかないのかな。気に入ってるんだけど」
少しだけ悲しそうに遠くを見るカオルに、私は首を小さく振る。
「どっちでもなくても良いと思う。カオルがそれで幸せになれるんなら」
「そう……ありがと」
悲しそうに笑う、そんなカオルを見ていると、私も悲しくなってくる。
「普通に、生きたかったの?」
「まあ、ね……」
「私はよく、普通じゃないって言われるわ。けど普通じゃない方が見える事も沢山あると思う」
上手な励ましは思いつかないけれど、私は私にできる精いっぱいの言葉で伝えたいと思う。
「それに他人にどう思われようと、自分のやりたいようにする方が、余程楽しいわ」
「ありがとう。けど、気にしないで。私も元々普通じゃないからさ」
困ったように笑うカオルを見ていると、それ以上何かを言うのは躊躇われた。穏やかな声が、私には何も詮索するなと言っているように感じた。
不意にドアがノックされる。そこで時計を見ると、もう五時……夕食の時間だった。
「今日はこれで帰るね」
「うん。また来るのを待ってる」
看護師さんと入れ替わりに、私は部屋を出た。




