一月九日(日)
週末の日曜日。友人からの遊びの誘いを断って、私は病院に来ていた。あの病棟の、五階の七号室。ノックをして、声をかける。
「入るわよ」
「どうぞ」
カオルは相変わらずの様子で、病室のベッドに横たわって上体を起こしてこちらを見ていた。
「チエリ?」
「お見舞い」
「そう。わざわざありがとう」
「退院祝いで奢ってもらったお礼もまだだったからね」
「気にしなくてよかったのに」
そういうカオルは嬉しそうに笑っていた。けどこういうのは儀式的なものだから。礼は失したらいけない。
私は首を小さく振ってから一言告げた。
「ありがとう」
カオルは満面の笑みで、応えてくれる。
「どういたしまして」
カオルは私にパイプ椅子を出してくれた。長居するつもりはなかったけど、その申し出は有り難く受ける事にする。
「チエリは何で入院してたのさ」
「ただのインフルエンザよ。変に悪化して酷い目見ちゃったけど」
「そっか。通りで自信満々だったわけだ。ほぼ勝てない勝負だったんだね。別に勝ちたいとか思ってもいなかったけどさ」
からからと笑ってカオルは私の肩をぽんと叩いた。細い手足。弱々しい接触。入院生活の長さを思わせる。カオルはきっと、私よりも遥かに長い間入院しているのに違いない。
「だったら、同じ賭けでもしてみる?」
「いいや、それは止そう。命をかけた勝負なんて、するものじゃないよ。ギャンブル漫画じゃないんだから」
「私には、仕掛けたくせに」
私が拗ねて見せると、カオルは困ったみたいに苦笑いを浮かべた。
「方便だよ。油断大敵と、人と話すことなんか殆んどなかったから、何か話がしたかっただけなんだ。あと……」
一瞬目を曇らせて言い淀んだけど、すぐにまあいいか、といった表情に戻った。
「私はね、賭けるほど大事な物が命しかないんだ。君は違うだろう?」
言われて、少しだけ考えてみる。家族、友達、日常……ちょっと考えただけなのに、いくつも浮かんでくる。多分ありきたりな回答に過ぎないんだろうけど。
「ね」
私の考えてる事を見透かしたように、カオルは微笑んだ。
「そうね、私は大事なものは沢山あるわ」
「そうだろう。……私は、親も友達もお金も物も家も……他にも色々、大事な物がね、ないんだよ。何も」
ほんの一瞬言葉に詰まった時の寂しそうな顔を、私は見逃さなかった。
「私はあなたの友達になりたいと思うよ」
他に何がないのか、それは私には想像付かないけど。それでも、この人はいい人だと思う。不思議と一緒にいたいと思える。
「……嬉しいこと言ってくれるね。だったら私ももう、例え冗談でも命を賭けたりなんて言ったりしないようにしようかな」
「約束」
「ああ、約束だ」
そう言ってカオルは小指を差し出してきた。私も小指を絡めて指切りげんまんをした。
外から音楽が聞こえて不意に時計を見ると、もうすぐ五時だった。面会の終わる時間。
「そろそろ、帰るね」
「うん。私もそろそろご飯だ。最近は食欲があんまりなくて困ってるんだけどね」
「ちゃんと食べないと、だよ」
「判ってる」
そうは言いながらも、私もインフルエンザにかかったばかりの頃は食欲なんて全くなかったから、あまり偉そうなことは言えないけれど。
「また来るね」
「待ってるよ」
頷いて立ち上がると、私は最後に手を振ってから部屋を出た。




