一月五日(水)
私は何の問題もなく退院する事になった。
インフルエンザで死ぬ事がない訳ではないのだろうけど、それが自分の身に起きるとはとても考えられなくて、だからこそ生きているのが当然とも思える。
死ぬ人の気持ちなんて、大抵は死にたくないだと思うし、死んだ人の気持ちなんて、誰も判らない。だって、死んでるんだもの。誰にも伝えることなんてできない。
退院の手続きを済ませた私は、真っ先に五階の七号室に行った。四階の七号室が私の部屋だったから、カオルはそこにいると思って。
プレートの東 馨の字を見て、本当に正しいのか疑ってしまった。何だろう、この馨って字。本当にカオルって読めるの?
まあ、間違ってたら謝ればいいか。ドアをノックすると、この間聞いた中性的な声でどうぞと言われた。間違っていることはなさそう。
「こんにちは」
「やあ、チエリ。その様子だと、賭けは私の負けだね」
「そうよ。あなたの負け。ついさっき、退院手続きを済ませたわ」
「そっか。じゃあ何でも御馳走する、と言いたいところだけど、見ての通り入院中でね。院内の食堂でいいかい?」
「構わないわ」
「助かるよ」
笑ってそう言うと、カオルはパジャマの上にパーカーを着た。
「食堂って、アイスクリームはある?」
エレベーターの中で、私はカオルに聞いた。
「あるよ。ただしバニラとチョコと抹茶しかない」
「イチゴは?」
「残念ながら」
エレベーターが止まり、ドアが開く。少年のような見た目のカオルは、紳士的に私の手を取って食堂へ導いてくれる。エレベーターのすぐそばだった。私は部屋から出ないように言われていて、実際にトイレ以外では出なかったから知らなかった。
「じゃあチョコがいい」
「はいはい。頼んでくるから、席とって待ってて」
そう言ってカオルはカウンターに向かった。入り口の手前の席に、私は腰を下ろす。
カオルはアイスクリームを三つ持って帰ってきた。
「いつの間にか、イチゴとオレンジも増えたらしい。本当は私も久し振りなんだよね、ここに来るの」
そう言ってカオルは赤と橙色と茶色のアイスを私に差し出した。
「一人で全部食べろっていうの?」
「食べていいよ。私の奢りだ」
「カオルも食べなさいよ」
「気にしなくていいよ、私はいつでも食べれるからさ」
にっこりと笑って言う。それはつまり、まだまだ入院しているから、とでも言いたいのだろうか。
そう言えばカオルは、何で入院してるんだろう。気にはなったけど、穏やかな顔で微笑んでいるカオルに、それを聞くような真似は私にはできなかった。
「はい」
アイスを掬って突きつける。カオルは意外そうな顔をした後、素直に食べてくれた。
「美味しいけどさ、この時期食べると冷えるね。お茶取ってこようかな」
「私行ってくるよ」
お茶を持って戻ると、カオルはそれを一口飲んでからもう一口アイスを口に運ぶ。一口か二口食べる度にお茶を飲む。……冷えやすいの?
結局アイスは、三つ全部半分こした。と言いつつ私が多めに食べてたけど。後は食べて、って言われたから。食べ終わるまでにお茶も二杯飲んでたし。しんどかったなら申し訳ないかも。
三つ目が空になったところで、カオルは満面の笑みで言った。
「退院おめでとう」
「……ありがとう」
唐突だったから、私にはそう返す事しかできなかった。
後になって、カオルは私の退院祝いをするためにあんな賭けを持ち出したのか、という気がした。
今度、カオルのお見舞いに行こう。その時にでも聞いてみよう。




