第六話「スケッチブックの忘れ物」
注:欧米の公立学校の教員は副業可で、希望する地域の教員採用試験を受験→採用(転勤なし)という背景を基に本作を書いています。
その日、閉店後の片付けをしていたメイはカウンター下の荷物籠に一冊のスケッチブックを見つけ、手に取った。
「誰かの忘れ物かな」
背表紙がくたびれた、少し厚めのスケッチブックである。名前はない。以前、レシピ改ざん事件を起こした常連客カイルの物ではない。
「中、見てもいいよね……?」
持ち主の手がかりを見つけるため、と自身に言い訳しつつ、メイはスケッチブックを広げた。
スケッチブックの中身は、ハーバータウンの風景や建物のデッサンがほとんどだった。特徴的なのは、どれも古びた建物や、既に今は更地になっている場所などが描かれていること。そしてどのスケッチにも人が一人も描かれていない。
――何か、変ね。
何となく。そのスケッチブックが気になって、メイの心に漠然とした不安が擡げた、そのとき。メイは明日の昼頃、エドウィンとユリウスが店にやって来る予定だということを思い出した。
――それなら。明日、二人にこのスケッチブックを見てもらおう。
メイはスケッチブックを抱き締め、一人頷いた。
*
次の日のお昼時、エドウィンはユリウスとともにルビーにやってきた。ダークグレーのスーツにネイビーのネクタイをしたユリウスは彼自身の都会的な雰囲気も相まって、さして大きくもない街のコーヒーショップでは、はっきり言って浮いていた。それでも。
「いらっしゃいませー」
「やあ、メイ。久しぶりだね」
「メイ。ランチセットを二つ頼むよ」
メイは多くの常連客をゲットしてきた極上の営業スマイルで二人を迎え、ユリウスも素敵な笑顔で答える。店内には既に一組の客がいた。ごく自然にカウンター席に座ろうとしたエドウィンを、
「あの窓辺のテーブルにしよう」
とユリウスが制し、些か戸惑った様子の彼とともに窓辺の席に座る。窓には生成りの日除け用シェードが下ろされていて眩しくなく、快適な明るさだった。
「君と食事できるなんて、とても嬉しいよ」
「え? はは……そうですか?」
生成りの生地を透過した柔らかい陽光の中で微笑むユリウスが美しくてちょっとだけドキリとするが、エドウィンは笑って誤魔化す。
「……けど、あなたがこんなに早くこの街に来る機会ができるなんて俺、驚きました」
確かに少し前、ユリウスに『もしハーバータウンに来ることがあったらメイの店に寄って下さいよ! ついでに俺の家にも!』と言ったことは言ったが……。
「ちょうど我が社が保有する、ごく小規模な不動産の視察の仕事が入ったんだ」
そう言ってユリウスが笑う。……彼の言葉は部分的には正しくない。ヴァルム・コンツェルンがハーバータウンに不動産を保有しているのは事実だったが『ごく小規模』ではないし、視察する必要もなかった。彼の目的はエドウィンと個人的に会うことで、そのためにありもしない仕事をでっちあげてここにやって来たのだ。
「……ところで。既に大学は夏休みに入ったことと思うが、君はこの夏をどう過ごす予定なんだ?」
とユリウスが早速リサーチする。彼としてはこの夏でエドウィンと交際まで漕ぎつけたいと思っており、そのためには相手の予定を知っておく必要があった。そんなユリウスの思惑などつゆ知らず、エドウィンがあっさり答える。
「ええと……俺もルーも教員を目指しているので、サマーキャンプのカウンセラーに応募しようと思っていたんですが、気づいたときには応募期間が過ぎていて、教員を目指している同級生も皆、来年参加するって言うんで、俺もルーもそうすることにしました。だからこの夏休みはバイトしつつ、たまにメイの店を手伝う予定です」
「教員? 君たちは将来学校の先生になりたいのか?」
「ええ。ルーは小学校、俺は中学校の」
「ハーバータウンで?」
「はい。俺もルーもこの街が好きだし、教員として働く傍ら、副業で俺は武道教室を、ルーはメイとルビーの店をやっていきたいと思っています」
「そうか……」
ユリウスがいる首都に就職するという選択肢がエドウィンの頭にないことに彼はがっかりした。が、こんなことでめげはしない。年齢差、立場、距離……困難を承知で好きでいるのだから。
――行動あるのみ。
ユリウスは自身に言い聞かせて、再び口を開いた。
「ところでエド。バイト先はもう決まっているのか?」
「いえ。これから探すところですが……」
「それなら。君たちの能力を活かせる仕事が我が社にあるかもしれない。調べてみるから、少し待っていてくれないか?」
「えっ!? 本当ですか? 助かります!」
エドウィンが嬉しそうに笑う。そのとき、メイが二人分のランチセットを運んできた。
「お待たせしました」
「「ありがとう」」
と二人が礼を言った後に。
「エド。ランチタイムが落ち着いたら、見てほしいものがあるの」
メイが言い、エドウィンは。
――何だろう。
と思いながらも『わかった』と答えた。
エドウィンとユリウスが歓談しながらゆったりとランチセットを食べている間、何人もの客が来店し、去って行った。そして漸く静かになった頃。メイが一冊のスケッチブックを持って二人の席へとやってきた。
「これなんだけど……」
「スケッチブック?」
「ええ。昨日の閉店後、カウンター下の荷物籠にあったの。私、悪いとは思ったけど、持ち主の手がかりがないかと中を見たのよね。そうしたら……」
と言って、メイがスケッチブックを二人のテーブルに開いて置いたので、エドウィンは順にページを捲っていった。
「ここに描かれた家……すべて5年前に再開発計画が頓挫したエリアにあるものじゃないか?」
スケッチブックを見たエドウィンが気づいて、言った。
「5年前のハーバータウン再開発計画……あったな。確か、強引な土地買収が問題になっていた」
ユリウスが顔を曇らせる。
「描かれているのは恐らく、再開発の対象になっていた家だ」
エドウィンが推理して更にページを捲ったとき、彼は息を呑んだ。 最後のページに武術道場“タオ”の裏庭にある楓の樹が描かれていたからだ。枝の生え方の特徴が一致していることから、間違いないと思われた。そして隅には鉛筆で小さく『北側の根元』という文字が見てとれた。
「これ……うちの道場の裏庭にある楓の樹だ」
「何?」
「そうなの?」
他の二人が訊き返す。
「そしてこのメッセージ」
とエドウィンが指で紙の隅を示す。
「樹の北側に何かを埋めたのかも。……メイ、このスケッチブック、少し借りるよ。じいちゃんに話してみる」
そう言ってエドウィンは席を立った。
エドウィンはユリウスとともに自宅へと帰り、モーガンとマリルーにスケッチブックを見せた。
「『北側の根元』……ね」
マリルーがすべてのページを見た後、呟いた。
「このスケッチブックの持ち主は、タオをよく知っている人間ね。そうでなければタオの裏庭にある楓の樹をこんなにそっくりには描けないわ。武道教室に通う人がもっとも可能性があるけど……まあ、今はともかく裏庭に行ってみましょ」
マリルーの提案に四人で裏庭へと向かう。
「本当にスケッチの絵とそっくりだ……」
「よし。メモの通り、北側の根元を掘ってみるぞ。」
楓の樹を見て感嘆するユリウスを余所に、モーガンがスコップで土を掘り始める。
やがて。カン……とスコップの先が何か硬いものに当たる音がした。皆が見守る中、モーガンが慎重に掘り進めると……
「お菓子の箱……?」
菓子が入っていたと思われる缶箱が出てきて、エドウィンはそれを慎重に土の中から取り出し、蓋を開けた。
「古い写真に、あとこれは、土地売買契約書の写しかしら……?」
缶箱の中身を覗き込んだマリルーが呟く。そして。同じように書類を覗き込んだモーガンの顔色がサッと変わった。
「これは……五年前に持ち上がった再開発の話の、儂らの土地に関する部分だ。……この契約書では道場の土地の一部がレオンテック社に売却されることになっていた。しかも、儂のサインが偽造されておる……」
「レオンテック社……」
ユリウスが呟く。双子もその名に思い当たった。かつて雑貨店“ポート・マーケット”を強引に立ち退かせようとした、あの企業だ。
「ユリウスさん、この契約書は有効なんですか?」
エドウィンが前のめりになって尋ねる。
「いや。サインが偽造されている以上、無効だ」
「よかった……」
ユリウスの言葉にマリルーが胸を撫で下ろす。次に写真を確認したモーガンは、そこに写る楓の樹の前で微笑む数人が以前武道教室に通っていた少年たちだとわかった。
「タオで稽古していた子供たち……。スケッチブックも彼らの中の誰かが……?」
「スケッチブックの持ち主が彼らの中の一人だったとして、それなら、この書類を俺たちに見つけさせるためにわざとルビーに置いていったのか?」
「でも何故、今?」
エドウィンとマリルーが首を傾げる。
「レオンテック社にその後、動きがあったのかもしれない。私の方で調べてみよう」
ユリウスが申し出て、その場を辞すると早々に帰って行った。
「思い出した。テッドだ」
暫くして、モーガンがふと思い出して言った。
「「テッド?」」
「うむ。確か写生が趣味だと言っておった。ほれ、この右端に写っている子だよ」
モーガンが先ほどの写真を取り出し、指し示す。
「高校卒業後、首都の大学に進学すると言っておったが……戻ってきておるのだろうか……?」
「街にいるなら、土地売買契約書とスケッチブックの件、訊いてみましょうよ」
「門下生の名簿に彼は載ってるの?」
「ああ。探せばあるだろう」
双子が訊くと、モーガンが頷いた。
三人が名簿の住所を訪ねると、果たしてテッドはいた。
「先生……」
テッドは予期していたのか、モーガンを見て驚いた様子もない。エドウィンは彼にスケッチブックを見せた。
「これ、テッドさんのですか?」
「ああ、僕のだ」
「楓の樹の下から出てきた缶箱はあなたが?」
「ああ」
マリルーの問いにテッドが頷く。
「あの書類は一体どうしたというのか?」
「……立ち話も何ですから、どうぞ中へ……」
モーガンにテッドが言い、三人を家の中へと招き入れた。
「5年前のあのとき。僕……偶然見てしまったんです。武道教室に行こうとして……先生の家から出てきた郵便屋さんが、路駐していた黒い車に乗って去って行くのを」
テッドは三人にお茶を出すと、話し出した。
「おかしいと思った。郵便屋さんならバイクで配達するのに、って」
「まさか……あのときの書留郵便……」
モーガンがはっとする。
「武道を奨励する団体からの寄付金、という名目の郵便が届いたのだ。受け取るためにサインが必要ということで儂はサインした。だが……後で開封したら中には何も入っておらなんだ」
「そんなことが?」
エドウィンが眉を顰める。テッドは続けた。
「僕は咄嗟にその時、黒い車のナンバーを覚えて次の日、保安官に話した。それにより、同様の手口で再開発計画エリアの住人からサインを手に入れていたこと、レオンテック社が関与していたことがわかりました。最終的に街が交渉して同社に開発から手を引かせた、と後に聞きました」
「再開発計画が立ち消えになったのは、そんな経緯があったからなのね!」
「何と! それではテッド、お前は街の恩人ではないか!」
マリルーとモーガンが驚きの声を上げる。
「いえ……僕は大したことは……それで偽の土地売買契約書は保安官に『モーガンさんに渡してくれ。』と言われたのですが……」
そこで、テッドはきまり悪そうに頭を掻いた。
「何も知らないはずの先生にご心配をかけることもない、と思って。でも捨てることもできずに、思い出の写真とともに缶箱に入れて楓の樹の下に埋めたんです。けれど……」
「けれど?」
エドウィンが促す。
「今、僕はリーガル・シティの大学に通っているんですが、レオンテック社がまた動き出した、って噂を聞いて心配になって。大学も夏休みに入ったのでハーバータウンに戻ってきました。そしたら家に昔のスケッチブックがあったので、アルマさんがやっていた店にわざと置いてきたんです。缶箱を見つけてくれると期待して……」
「そんなまどろっこしいことしなくても、直接おじいちゃんに言ってくれれば……」
マリルーが口を尖らせるが。
「幼少のころから武道教室に通ってたけど、黄色の帯止まりだった僕には先生を堂々と訪ねる勇気がなかったんです」
と言ってテッドは弱ったように笑った。
*
翌日。ユリウスからエドウィンに連絡があり、レオンテック社が新たな可能性を見出してハーバータウン再開発計画に動き出していたことがわかった。その情報を受けて保安官にも協力してもらい、モーガンは武道教室を、双子は焼き菓子の配達を通じて住民たちに警戒を呼び掛け、書留郵便はもちろんのこと、土地の売買の話や、最近都会から来た人に注意するように促した。その結果、誰一人として騙されることはなく、ハーバータウンの平和は守られたのだった。
*
「アンドルー農園からブルーベリーを仕入れて来たわ」
ある日の午後、マリルーが大量のブルーベリーの入った木箱を持ってルビーを訪れると、メイが笑顔で出迎えた。
「ありがとう、ルー。これでまたジャムが作れるわ」
「ふふ、どういたしまして」
「あ。そう言えば、スケッチブックの件、エドから聞いた?」
「ええ。ちゃんと持ち主に返したわ。前に武道教室に通っていた生徒さんだった」
「よかった! それで結局、楓の樹の下には何かあったの?」
「んー…思い出の写真が入った缶箱よ」
「え……それだけ?」
「うん、それだけ!」
――何も知らないメイにわざわざ話して余計な心配をさせることはないわ。
テッドの気持ちを今、十分に理解したマリルーは元気に答え、笑った。
~第六話 終わり~




