第五話「沈黙のヴィーナスの嘘」後編
当初、美術館パートとライリーパートを独立した話として書いていましたが、美術館パートが目安にしている文量(一話5500字前後)より多くなってしまったことと、どちらも軽微な時間ジャンプがあることから、一つの話としてまとめ、前後編に分けました。
配達先を次々とまわり、エドウィンは最後の配達先であるヴァルム美術館へと車のハンドルを切った。
ヴァルム美術館もヴェリディア大学の学園祭でルビーの焼き菓子を気に入って注文を寄越すようになったのか。否。この前エドウィンとマリルーが“沈黙のヴィーナス”像事件を解決した際にユリウスはお礼に、と言って双子を食事に誘った。だがエドウィンは。
『お礼なんて。俺たち、大したことはしていません。……あ。でもヴァルム美術館の売店にルビーの焼き菓子を置いてくれれば嬉しいかも』
彼がそう言った結果、ルビーの焼き菓子はヴァルム美術館でも売られることになった。
ヴァルム美術館に到着した双子は、守衛に挨拶して通用口から売店へと向かった。売店の店主はデビーという名の、気のいいおばちゃんである。
「「こんにちはー」」
「あら、いらっしゃい。待ってたわ」
デビーはにこにこして双子を迎える。……が。突如、彼女の目が彼らの後方に何かを捉えた瞬間、驚きでまん丸になった。双子も何事かと振り返り……思いもかけない人物と遭遇する。
「「ユリウスさん……」」
それはスーツ姿のユリウスだった。
「次期総帥……なぜこちらに……」
「ああ、私が用があるのはそちらの二人だ。エド、ルー、君たちに話があるんだ。焼き菓子を納品したら私と来てくれ」
なぜ首都にいるはずのユリウスがヴェリディア市のヴァルム美術館にいるのか。もちろん偶然などではなかった。彼はエドウィンのオファーを受けた際に双子が配達することを確認し、事前に納品日時を美術館に伝えることと、美術館への配達をその日の配達の最後にすることを取り決めた。よって、これからは二人(特にエドウィン)に会いたいときは配達時間に合わせて自身が美術館に出向けばよいわけである(守衛は彼らの来訪をユリウスに知らせるように言われていた)。
それはさておき。硬い表情のユリウスは二人を館内のスタッフ用ミーティングルームに案内すると、早速本題に入った。
「実はあの“沈黙のヴィーナス”像の件なんだが、どうやら被害は軽微ではなかったようなんだ」
「え……どういうことですか?」
エドウィンは眉を顰めた。
「今日、美術品の取引に携わっている知人から、国際的な美術品窃盗団ゴーストが近々“沈黙のヴィーナス”のレプリカを極秘裏に隣国へ売り捌こうとしている、という情報が入ってきた」
「レプリカですって? まさかビアージョ氏が?」
マリルーが驚いて訊き返すと、ユリウスはかぶりを振った。
「私も真っ先に彼を疑い、連絡を取ったさ。だが彼は誓って顔料を塗る以外のことはしていないと。本人曰く、警備員が去ってすぐに加工をしたということだ。所要時間は5分。動かしてもいない」
そこでエドウィンはあることに気づいた。
「待って下さい。5分?」
「ああ。5分だ」
「警備の巡回は20分おきですよね?ビアージョ氏が像を台座に戻してから15分の空白がある。その間に像の複製を目論む第三者が、何らかの方法で像の型を取り、その際に像の向きがごく僅かずれてしまったとしたら……」
「確かに、少しずれていたわ」
「つまり――像に最初に触れたのはビアージョ氏だが、複製したのは別の誰か、ということです」
「ふむ。君の推理が正しければ、ビアージョ氏は犯人ではなく、たまたま利用されただけということになる」
「ええ。ですがそれを証明しないと彼は犯人にされてしまいます」
「その通りよ」
マリルーが同意する。ユリウスは真剣な目で続けた。
「私としてもビアージョ氏が無実なら罪を着せたくはない。ゴーストによる製作者の許可のないレプリカの違法な取引の件は警察に任せることにして、彼の無実を証明するために私たちに何ができると思う?」
「まずはもう一度、像を調べてみます。何か……例えば像の型取りに使われた物質が残っているかもしれません」
「俺は窃盗団について調べてみます」
「では私は全力で君たちの調査をサポートしよう」
双子の意見にユリウスは微笑み、言った。
*
数日後。その日の授業を終え、駐車場に向かっていたところ。
「エド!」
後ろから声を掛けられてエドウィンは歩みを止め振り返った。ライリーだった。
「ライリー……何か用?」
「ああ。実は……俺、一度は諦めようかと思ったけど、やっぱりメイさんのこと好きなんだよな。気づけば彼女のことを考えてる」
ライリーはきまり悪そうに頬をポリポリかきながら、言った。そして意を決した顔で。
「だからまた、一緒にメイさんと会ってくれねえか? もう一度会って、自分がどうしたいかはっきりさせてえんだ」
「いいけど……」
「そ、それでさ。できれば店じゃなくて、外で……つまり、デートしてえんだよ! けどデートだって言えば引くよな。だから例えば……そうだ! 観光を口実にして……あ。ハーバータウンに観光名所ってあるのか?」
エドウィンはライリーの問いに幾つかの場所を思い浮かべた。
「地元の観光名所……うーん……街外れの丘の上にある古城の遺跡、かな? 崩れていてほとんど原型を留めていないから、あまり観に来る人もいないんだけど、一応史跡だよ。あと港周辺の古い倉庫街、ここは写真家に人気のスポットだ。現在はギャラリーになっている赤レンガ倉庫もある。それに街の象徴の灯台……このくらいかな?」
「それでも十分だ!」
ライリーはグッと拳を握りしめた。
そして次の週末。ルビーの休業日である日曜日にライリーはハーバータウンにやってきた。前回のようにエドウィンの家に車を停めさせてもらう。今回も彼は家の前で待っていた。前回と違ったのは。
「エドの妹のマリルーです。よろしく」
彼の双子の妹マリルーがいたこと。事前に観光のことをメイに伝えた結果、『それならルーも一緒がいいな』と言われ、ライリーと双子、メイの4人で行くことになったのだ。
「ライリーだ。よろしく」
ライリーは笑顔でマリルーと握手して、皆でモーガンの車に乗り込んだ。
現在P.M.2:00。ランチタイムは過ぎている。観光という名目のデートのつもりだったライリーは当初お洒落なレストランでのランチを提案したのだが。
May:外食なんてお金がかかるから、私はいいわ。ランチの後の観光だけ参加させて。
というメッセージをエドウィン経由で伝えられ、それなら観光だけにしよう、と各自が昼食を済ませてからの集合となった。
途中ルビーに寄ってメイを乗せ、エドウィンの運転でハーバータウン郊外の、小高い丘の上にある古城の遺跡へと向かう。
「私、古城の遺跡に行くの、初めてなの」
ワクワクした様子でメイが話す。車を所持していないメイは、遠くまで行くことができない。今回、山の方の観光を希望したこともそれが理由だった。もっとも、どちらも行くという選択肢もあったが、時間的に忙しないため遺跡の観光だけとなった。
「私も、生まれも育ちもハーバータウンだけど行ったことがないわ」
「俺も。」
「地元民、つってもそんなモンなのか」
双子のコメントにライリーがやや呆れたように返した。
車でおよそ20分。街を抜け、丘の道を登って行くと、崩れかけた城壁がところどころ残る古城の遺跡が見えてきた。丘の上に着いて特に整地されていない平らなスペースに車を停め、降りる。
4人の目の前には煉瓦造りの崩れかけた城壁が、悠久の時を物語るように蒼い空を背景に鋸歯状の輪郭を成していた。
「大きな城だったんだな」
「昔はここから敵の船を見張っていたそうよ」
感嘆して遺跡を見上げるエドウィンにマリルーが説明する。一方。
「きれい……」
「おお……」
メイとライリーは古城の遺跡よりも澄み渡った空の下、遥か眼下に広がる美しいハーバータウンの街並みと港、海に感嘆の声を上げていた。
それから。4人が古城の遺跡を一周して元の場所へと戻ってきたとき。
「あ。実は私、コーヒーを淹れてきたの」
「私も、敷物を持って来たわ」
メイとマリルーが言い、車のトランクを開けてそれぞれがペーパーバッグを取り出すと、ピクニックの準備をし始めた。マリルーがレジャーシートを敷き、メイがピクニックコップにコーヒーを注いで渡していく。
「おっ、用意がいいなー」
「ありがとう」
男子二人がコーヒーを受け取り、端からエドウィン、ライリーの順に座る。ライリーが内側に座るようにしたのは、彼がもっとメイと話せるようにとのエドウィンの配慮だった。果たして、マリルーもさり気なく向こう端に座り、メイは空いていたライリーの隣に座った。
「……メイさんは、さ」
「ん?」
ライリーがやや緊張した声で話しかけると、メイは不思議そうな顔で返事をした。
「これから自分がどうなりたい、とか、どうしたい、とかはあるかい?」
もしも。メイの答えが『いつか素敵な人と出会って……』とかだったなら。今すぐでなくとも彼女の仕事が落ち着き、恋愛する余裕ができるまで待ってもよかった。だが。
「ルビーを繁盛させること。それだけよ?」
「そ、そっか……」
それ以上、ライリーは何も言えなかった。刹那の沈黙の後、メイは街の方を指さしながら、隣で静かにコーヒーを飲んでいたマリルーに話しかけた。
「ルー、ほら、ルビーはあの辺りよ。庁舎の大きな建物の向こう、あの赤い屋根の……」
メイの声には、どこか必死な響きがあった。まるで常にルビーの存在を確かめずにはおれないように。マリルーがメイの肩にそっと手を置く。
「私にもちゃんと見えるわ。……ねえ、メイ。ルビーはもう、あなたにとって、なくてはならない場所になったのね」
「……そうね」
ライリーは二人の僅かな会話に胸が締め付けられるように感じ、メイの方を見た。美しい彼女の横顔。その眼差しは優しく、強く深い愛情を湛えていた。それは友情や親愛という言葉では決して括れない、熱烈な恋情だった。
――……ああ、そうか。彼女の心の中には……
彼の胸に、鈍い痛みが走る。ライリーはこの時、悟った。彼が感じていたメイの店に対する思いの強さは、マリルーへの揺るぎない想いから来るものであることに。
――最初から、俺に勝ち目なんてなかったんだ。
ライリーは俯き、そっと目を閉じて一つ深呼吸をした。
――よし。区切りをつけるぜ。
彼は自分の胸に宿っていた淡い恋心をそっと封印し、それをこの場所に置いていくと決めた。徐に立ち上がり、二、三歩前に歩いて景色を眺める振りをした後、三人を振り返る。そこには、愛おしそうにマリルーを見つめるメイ、そして穏やかな笑みを浮かべるマリルー、そしてそんな二人の傍で自然に寛ぐエドウィンの姿があった。
――……不思議だ。もう、胸も痛まない。
ライリーはメイへの気持ちに折り合いをつけた途端、彼らがとても身近に感じられ、三人を友達だと思っている自分に気づいた。
「エド! 今度、道場に見学に行ってもいいか? 武術にちょっと興味が出てきたんだ」
思わず、エドウィンに声を掛ける。エドウィンは目を瞠った後、嬉しそうに笑った。
「もちろん! 歓迎するよ、ライリー。いつでも来てくれ!」
マリルーとメイが彼らのやり取りに微笑む。
ライリーの心に、もう恋の痛みはなかった。彼の視線の先には新しい友人たちとの明るい未来があった。
*
暫くして。マリルーが像を改めて調べた際に見つけた、顔料とは別の付着物の分析結果がヴァルム・コンツェルンの化学研究室から知らされた。それは像の型取りに使われたと思われる、極めて短時間で硬化し、痕跡を残しにくい粘着性樹脂であるということだった。
一方、エドウィンも隙間時間に図書館でコツコツとゴーストの関与した事件を調べた結果、彼らが常に警備を引き離すための偽の通報を行っていたことと、例の粘着性樹脂が正規のルートでは手に入らない、美術品の型取りに用いる非常に特殊なものであることがわかった。
かくして。ユリウスの説明で警察も像のレプリカがビアージョ氏でなく窃盗団ゴーストの仕業であると断定し、彼の疑いは晴れたのだった。
それから数日が経って。エドウィンとマリルーがヴァルム美術館の配達に来たとき、彼らの許にユリウスがやってきた。デビーはまたもや目をまん丸にし、双子はまた何かあったのかと警戒するが。
「やあ。エド、ルー、お茶でも飲んでいかないか?」
ユリウスはそう言って微笑み、二人は断る理由もなく、彼の誘いを受けることにした。
三人でスタッフ用ミーティングルームに移動して、スタッフが淹れてくれた紅茶をいただきながら近況や大学、ルビーのことなど、他愛のない話をする。
相変わらずエドウィンはユリウスの想いには気づかない。だが今回の事件をきっかけに、今のような時間を持てるようになったことはユリウスにとって思わぬ収穫だった。
「そう言えば。俺が今まで送った焼き菓子、食べてくれましたか?」
ユリウスから一度も食べた感想を聞いたことがないことにふと気づき、エドウィンが尋ねると、彼は微笑って答えた。
「もちろん食べているよ。とても美味しい」
「え、本当に? じゃあ、もしハーバータウンに来ることがあったらメイの店に寄って下さいよ! ついでに俺の家にも!」
エドウィンの言葉を聞いた瞬間。ユリウスは世界が輝いたように感じた。
「ああ……! ぜひ……伺おう」
穏やかな優しい目でエドウィンを見つめ、答える。無邪気に『やった!』と喜ぶエドウィンの横で。『あーあ、言っちゃったよ……』と言わんばかりの顔で兄をチラ見したマリルーが静かに紅茶を飲んでいた……
かくして。国際的な美術品窃盗団が関わる「消えた“沈黙のヴィーナス”」事件は、双子の推理と行動力、そしてユリウスの強力なサポートによって、解決へと導かれた。
今日もハーバータウンとヴェリディア市は平和である。
~第五話 終わり~




