第五話「沈黙のヴィーナスの嘘」前編
その日も、ハーバータウンにあるコーヒーショップ“ルビー”の前にはグレーのセダンが停まっていた。
「エド、ルー。配達、頼んだわね」
「ああ。行ってくるよ」
「任せて」
エドウィンとマリルーがトランクに配達する焼き菓子が入った箱を入れ、車に乗り込むのをメイは笑顔で見送った。
「今日はお互い2限からよね」
「ああ。その前に配達してしまおう」
エドウィンの運転でヴェリディア大学に向かいながら二人が予定を確認する。今までハーバータウンにしか配達先がなかったのが、学園祭でルビーの焼き菓子ブースを出店したことでヴェリディア市の小売店から注文が入り、二人が通学する日に合わせて配達を請け負うことになった。配達料はもらっていない。ただメイが淹れてくれるコーヒーと時折、彼女が開くお菓子作り教室だけで二人には十分だった。
エドウィンとマリルーがヴェリディア市で配達を終え大学に着いてからは、それぞれの講義を受けるために別行動となる。その日の受講を終えると同じ車でハーバータウンに帰ることになっていた。
4限の講義が終わった後。エドウィンが教材を片付けていると、同じ講義を受けていたライリーが彼らしくない神妙な面持ちで話しかけてきた。
「おい、エド」
ライリーはエドウィンと同じ学科の同級生で中肉中背、ダークブロンドのリバースショート、灰青色の瞳のフツメンのお調子者である。
「うん?」
「お前、学園祭のときルビーっていう名の出店にいたよな?」
「ああ、買ってくれてありがとな」
エドウィンは彼がブースに来て焼き菓子を買ってくれたことを思い出した。
「んなこたどうでもいいんだよ。それでその……あの売り子をしていた金髪の子……」
「メイのこと?」
「メイって言うのか?」
「ああ。それで?」
「それで、……って。みなまで言わないとわからないのかよ」
「?」
ライリーは『はぁ……』と溜息を吐いた。
「彼女を紹介してくれよ」
彼の言葉にエドウィンが目を瞠る。
「え……それって……」
「興味があるんだ! 付き合いたいんだよ!」
「……」
エドウィンは一瞬、どう答えるか迷った。彼自身、メイとは高校まで一緒でルビーにも何かと関わってはいるが、結局のところ彼女はマリルーの親友である。
「……ライリー。彼女は妹の親友なんだ。俺が勝手なことは……」
エドウィンが困ったような顔で言うと。
「ふーん……そうかよ。なら、彼女の店に客として行くくらい、いいだろ? ……で、一緒に行ってくれないか?」
「……まあ。それなら、別に……」
「よぉっしゃ! じゃあ今度の土曜日な!」
ライリーはパン、と拳を掌に打ち付けるとエドウィンと連絡先を交換し、笑顔で教室を出て行った。
エドウィンが彼を見送り、小さく溜息を吐いて残りの教材を片付けているとき、机の上に置いていたスマホが振動した。
「……あれ? ユリウスさんだ。……はい、もしもし?」
「エド! 今どこにいる?」
「え? 今は大学ですが……」
「そうか! ちょうどよかった。実は私も今ヴェリディア市にいるんだが、今からヴァルム美術館に来られないか? 大変なことが起きたんだ!」
ヴァルム美術館はヴァルム・コンツェルンが所有する、チャコールグレーの箱型の外観がモダンな、ヴェリディア市にある美術館である。ヴェリディア大学からもそう遠くない。
「大変なこと? ……わかりました。今、授業が終わったところなので、ルーと合流してから行きます」
――いつも首都にいるユリウスさんが来るなんて、一体何が起きたって言うんだろう?
エドウィンはユリウスに約束すると通話を切った。
エドウィンとマリルーがヴァルム美術館を訪れたとき、時刻は5時になろうとしていた。ユリウスが二人を沈痛な面持ちで出迎える。
「エド、ルー、来てくれてありがとう」
「ユリウスさん、一体何があったんですか?」
「それが……大したことではない、と警備は言うのだが……」
とユリウスは前置きして。今開催されている企画展の目玉である、著名な彫刻家による小さなブロンズ像“沈黙のヴィーナス”が、警備員の巡回が途切れた20分の間にケースを取られ、何者かに触れられたことを説明した。像が台座からずれていたことにより判明したのである。
「一体誰が、何のためにそんなことをしたのか……。被害がなかったのだから、警察を呼ぶことはできない。だが私は納得がいかないんだ。そこで君たちの力を借りたい。この件について調べてくれないか?」
「いつもお世話になっているユリウスさんの頼みですもの。引き受けます。この件について何か知っていそうな人はいますか?」
とマリルー。
「うむ……何か知っているとすれば、当館のベテラン警備員ニールと、企画展のキュレーターであるグレンダだな」
「わかりました。当たってみます」
双子は互いに頷き合った。
ニールは体格のいい壮年の男性で、エドウィンとマリルーの聞き込みにも好意的に協力してくれた。
「実は像が消えた時間帯に警備室へ『美術館の北東部分から煙が出ている! 火事かもしれない!』という電話があって、拝観者はアナウンスに従って皆、外に出たんだ。警備員もスタッフも火元を確認するためにほとんどが建物の北東に向かった。そのときはあんなことが起こるなんて思いもしなかったからな……」
ニールが弱ったように後頭部に手を遣る。
「電話の声の感じは?」
「若い男の声だったな」
「そうですか」
二人がメモを取る。他にも2、3質問したが、目ぼしい情報は得られなかったため、ニールへの聞き込みはそこで切り上げた。
次に二人はグレンダを訪ねた。彼女は眼鏡をかけた知的な女性で、少々気難しそうだったが、ユリウスの依頼であることを話すと二人に協力してくれた。
「実は企画展を巡って、展示品の選定に不満を持つ若手作家がいたのよ」
「若手作家……誰ですか?」
「アニェッロ=ディ・ビアージョ。でも動機はあっても証拠がないわ」
マリルーの問いにグレンダは眼鏡をクイ、と指で上げた。
「それから……像の台座に僅かな汚れがあったの。……まあ、私が説明するより実際に見てみた方が早いんじゃないかしら?」
「そうですね。現場を見ることはできますか?」
「ええ。私が一緒なら大丈夫よ」
グレンダはエドウィンに答えて、二人を“沈黙のヴィーナス”像が展示されている部屋へと案内した。
展示室に入ると、二人は展示ケースを観察した。“沈黙のヴィーナス”は青銅製の美しい女性の立像で、大きさは130㎝ほどである。見ると確かに像の位置が僅かにずれていて、台座に僅かな汚れもある。つぶさに観察したが、エドウィンにはそれ以上のことは発見できなかった。
「これは……」
一方、マリルーは像の表面に顔料の微細な粒子が付着しているのを発見し更に、像の滑らかなブロンズの肌に、髪の毛ほどの細さの、目立たない半透明な筋状の跡が不規則に残っているのを見た気がした。そのときエドウィンがケースを上から覗き込み……付着した粒子が陰になった途端、色が変わったように見えた。
「エド、ちょっと離れてみてくれる?」
「ん? ああ」
エドが離れると、粒子の色が元に戻った。マリルーがグレンダに向き直る。
「グレンダさん。ビアージョ氏は何か……特殊な顔料を作品に使っていたりしますか?」
「ええ、そうね。彼は光を当てると色が変わる特殊な顔料を使った作品で注目を浴びているわ」
――光を当てると色が変わるってことは、陰になった場合も色が変わるのかしら?
マリルーはスマホを取り出し、ビアージョ氏の作品を検索した。すると……
「やっぱり。彼が開発したという顔料を塗った作品は光があるところとないところで色が変化しているわ。どうやら間違いなさそうね。エド、ユリウスさんに報告しましょう」
マリルーは自信に満ちた笑みを浮かべて、言った。
*
その後。マリルーの推理を聞いたユリウスが弁護士を通じて若手作家アニェッロ=ディ・ビアージョ氏に連絡を取ったところ、すべてが明らかになった。
ことの顛末は、展示会に不満を抱いていたビアージョ氏がブロンズ像に加工を施す機会を狙って一般客を装い館内に待機 → 巡回のパターンを知った上で、巡回が途切れたときに行動を起こそうとして偶然ボヤ騒ぎが起こる → 無人の展示室で像に顔料を塗った、というものだった。像の加工に使用された顔料は彼が開発し自身の作品にも使っているもので、“彼の作品もこの像と同じ場所で展示される価値がある” という独り善がりな彼なりのメッセージだったらしい。
結果として。像に特殊な顔料を塗り込まれたものの、幸いにも像への損傷は軽微だったので示談になった。
*
週末の土曜日。ヴェリディア市民であるライリーはヴェリディア市から車でハーバータウンにやってきた。
「やあ、ライリー」
そろそろ来る頃だと思って外で待っていたエドウィンは、家の前庭に車を停めたライリーが降りてくると言った。
「お前ん家の武術道場がナビに出てきてよかったぜ」
「昔からあるからな。何にせよ、迷わずに着けてよかったよ。じゃあ、行こうか」
ルビーの前の道は路駐することができたが、エドウィンの家から徒歩10分の距離で、ライリーがハーバータウンに来るのは初めてというのもあり、歩いて行くことにした。現在の時刻はA.M.11:20。今から向かえば着く頃はちょうどルビーの開店時間である。
二人は連れだってルビーに向けて歩き出した。
「いらっしゃい!」
エドウィンとライリーがコーヒーショップ“ルビー”に入ると、メイが笑顔で出迎えた。開店してすぐなので彼らが一番乗りで、他の客はいない。
「やあ、メイ」
「そちらはエドのお友達ね? 来てくれてありがとう!」
エドウィンは友達を連れて行くことを事前にメイにラインしていた。
「ライリーだ。よろしく」
ライリーが笑顔で挨拶し、カウンター席にエドウィンと座る。
「ランチタイムなのでランチセットでいいですか?」
「ああ」
「それで」
オーダーを受けたメイはパンをトースターにセットし、コーヒーメーカーを稼働して、カウンターの中を動き回り、手際よくランチセットを用意していく。そんな彼女をライリーはじっと見つめていた。
「お待たせしました」
メイがトレイにのったランチセットをエドウィンとライリーの前に置く。
「おお、美味そう!」
軽くトーストした厚切り食パンにジャムとバター、たっぷりのコーヒー、ポーチドエッグの載ったグリーンサラダのセットにライリーが歓声を上げ、早速食べ始める。
「パンが柔らけぇ! このジャムも甘さ控えめでイイな!」
静かに食べるエドウィンの横で、感動したようにコメントしながら食べるライリーを、メイは微笑みながら見守った。
食べ終わって。コーヒーを飲みながらライリーが改めて口を開いた。
「メイさんはエドの妹の親友だって聞いたんだけど……」
「ええ。二人とはずっと同級生よ」
「ふーん、そうか……進学せずにこの店をやることにしたのは、ご両親が望んだから?」
「……私は孤児なの」
「えっ……あ、ごめん。つい……」
ライリーがアタフタするが、メイは穏やかに微笑んだ。
「ううん、いいの。ルビーはエドのお母さんのお店で私、高校生のときにここでバイトしていて。この春から私にお店を任せてくれたのよ」
「へえー、そんな事情が……」
「母さんは今、首都にいる父さんのところに行っていてさ。母さんがいた頃は母さんが焼き菓子の配達をしていたんだけど、今は俺と妹で配達してる」
エドウィンが説明すると。
「ああー…だから学園祭のときも三人で出店をやっていたのか」
ライリーは納得したように言った。
その後は。メイが他の客の応対をする合間に趣味や好きなことなど、他愛のない話をし、頃合いを見て二人は店を出た。
「なんかよー…」
店からの帰り道。ライリーが俯きながら呟いた。
「思ったより芯の強い子だったな、って」
「ああ。彼女は努力家だ」
「今は店を任せられたばかりで彼女、恋愛どころじゃないよな」
「まあ……そうだな」
「けど俺は、早くカノジョが欲しいんだよな」
「……」
「話した感じ、あんま脈なさそうだし? やっぱやめといた方がいいかなぁ」
頭の後ろで手を組みながら軽い調子で言うライリーをちらりと見たエドウィンは、声音に反して彼がひどく哀し気な顔をしているのに気づく。そのため彼の考えを肯定することも、逆に彼の想いを応援することもできなかった。
*
その日は1限から講義があったため、エドウィンとマリルーのヴェリディア市内の配達は夕方になった。柔らかな午後の陽の中、都会の街並みを祖父の愛車で走る。
「……結局、ビアージョ氏は像にメッセージを込めたかっただけなのよね。動機はわからなくもないけど、やり方が強引すぎたわ」
マリルーは運転するエドウィンの隣で呟いた。
「とはいえ、被害が軽微で済んでよかったよ。ユリウスさんも安心しただろう」
「本当に『被害が軽微』なのかしら?」
あの日、像の表面に残っていた顔料の微細な粒子は、彼女の鋭い観察眼にある違和感を残していた。
「何が引っかかるんだ、ルー?」
「うーん……あの像、戻されたとき、台座に対してごく僅かに向きがずれていたって言ったでしょう?」
「ああ。ビアージョ氏も焦っていたんじゃないか?」
「確かにそうかもしれないけれど……他にも顔料の付着以外に、像の表面に何か別の痕跡を見た気がするのよ。すごく些細で、目を凝らさないと分からないような、何かの跡? を……」
マリルーは記憶を手繰り寄せる。滑らかなはずの像の表面に、均一ではない、不規則な凹凸があるように見えたのだ。
「何かの跡?」
「ええ。そして火事を知らせる電話……あれは何? 彼は『単独でやった』と言っているわ。それなら本当にあの電話はただの偶然なの?」
「……」
それはエドウィンも疑問に感じていたことだった。彼の直感はマリルーの感じた違和感に同調していたが……具体的な憶測は思い浮かばなかった。
(後編に続く)




