第十一話「冬の首都」Ⅳ それぞれのカウントダウン
冬休み編・最終話です。作中に出てくる映画は、特定の映画を指しているわけではなく、作者が考えたものです。
母の母校を後にして、エドウィンたちは地下鉄に乗り、都心の映画館へと向かった。
駅から出るとリーガル・シティの目抜き通りはクリスマスシーズンの賑やかな喧騒に包まれていた。
「……すごい人」
「一年で最も騒がしい時期よね」
「チケットはネットで買ってあるから、行こう」
エドウィンが二人を先導するように歩き出したとき、歩道の先から大きな声が聞こえてきた。
「メリークリスマス! 恵まれない子供たちに愛の手を!」
朗らかな声で叫んでいるのは、白い髭を蓄えたサンタクロースの衣装を着た男だった。彼は大きなベルを鳴らしながら、チャリティー募金を呼びかけている。
「……二人とも、ちょっと待ってくれ」
エドウィンが足を止める。サンタクロースの目は募金してくれる人ではなく、彼らの足元と“手元”に向けられている。
「どうしたの、エド」
「あのサンタ、不自然だ。さっきから募金箱に寄付した人の手首ばかり見ている。それに……」
エドウィンの視線の先で、一人の上品な初老の女性が財布を取り出して募金箱に紙幣を入れた。サンタクロースは『感謝の印です』と言い、彼女の肩を抱くようにして小さなキャンディを手渡した。その一瞬に。
「……今、抜いた。あの男、衣装の袖口を改造している。抱き寄せた瞬間に、相手の腕時計やブレスレットを掠め取っている」
「え……」
「ルー、警察に連絡してくれ! 俺はヤツの逃げ道を塞ぐ」
「わかったわ」
エドウィンが素早い身のこなしで人混みを掻き分け始めた。
「メリークリスマス、サンタさん。俺も募金をしたいんですが」
「おお、若者よ! その清き心に祝福を……」
エドウィンが男の前に躍り出ると、サンタが同じようにエドウィンの肩に手を回し、キャンディを渡そうとした瞬間、エドウィンはその手首を掴み、動きを封じた。
「祝福の前に、盗んだものを返してもらおうか」
「な、何を……!? 離せ!」
男が逆上してエドウィンを突き飛ばそうとしたが、捻られた手首を無理に外そうとすれば激痛が走る。
「近くにいた警備員さんを呼んで来たわ」
「警察もすぐ来るって。」
程なくしてメイが二人の警備員を連れて現れ、マリルーが電話の結果を報告した。男は運が尽きたことに気づき、がっくりと膝をつく。
警備員が身体検査をしたところ、男の大きなポケットから数本の高級腕時計とブレスレットが見つかった。スリの現行犯は程なくして到着した警察が連行して行き、いつの間にかできていた人だかりも散っていった。
「怪我はない? エド」
「ああ。でも映画が……間に合わないかも」
「少し早めに来たからギリ間に合うかもしれないわ! 急ぎましょ!」
メイの問いにエドウィンがきまり悪そうに頭を掻くが、マリルーが二人を促し、三人は足早に歩き出した。
結局、三人は映画の開始時間に辛うじて間に合った。映画は幼馴染の二人が大人になって互いへの気持ちを自覚し結ばれる、ゆったりとした展開、繊細な描写の、王道のラブストーリーだった。
ずっと同じ街で育った二人が、やはり同じ街でそれぞれの仕事に就いた後、一人がある事情から親戚の子を預かることになったのを機に、二人は一緒に過ごす時間をほとんど持てなくなる。その寂しさから、もう一人は相手を二人きりのドライブに誘う。久しぶりに一緒に過ごして、どんなに二人で過ごす時間に焦がれていたかに気づき……日が暮れかけた街へと帰る静かな車の中で、二人は気持ちを伝え合って恋人同士になる。
――そんなお話だった。
「映画の舞台になった街、何となくハーバータウンに似ていた気がする」
「生まれ育った街で大切な人を見つけて、ずっと一緒にいるなんて素敵ね」
「自分だけじゃなく大切な人も育ててくれた街だと思うと、より一層故郷が愛しく思える、ってわかる気がするわ」
映画館を出た三人は街路樹を飾る華やかなシャンパンゴールドのイルミネーションが照らす帰り道を、今観た映画の感想を話しながら歩く。
――ああ。ルー、何て綺麗……
ちらりと隣を歩くマリルーを見て、メイは思った。こんなに煌びやかな都市で休暇を過ごしていると、今、彼女に想いを告げたら奇跡が起きて恋人同士になれるような気がしてくる。さっきの映画のように。
「……恋愛、ってさ。何かきっかけがあって始まるものだよね」
そんな中、ふいにマリルーが言った。マリルーの向こう隣を歩くエドウィンが実感を込めて頷く。
「俺もそう思うよ。きっかけもそうだけど……何かさ。“そうなる”べく、計ったように色んなことが起こる、っていうか」
――『“そうなる”べく』?
「……けれど。運命のお膳立て? ……があってもやっぱり、最後は二人の強い想い、なんだよな」
――『“二人の”強い想い』……
エドウィンの言葉に、メイは無意識に自身の首に巻かれた、双子の両親から贈られたキャメルのカシミヤマフラーに触れた。それはメイがベネット家に“マリルーの親友として”受け入れられている証だった。ふと双子が被っている、アルマに贈られたお揃いのグレーのビーニーに目を遣ると、それはイルミネーションの光の中で暖かく映えていた。何故か、メイの胸が締め付けられる。
――……ルーとの間に『きっかけ』もなければ『色んなこと』も起こっていないわ。ルーの気持ちだって知りはしないのに……。今のベネット家との関係でさえ奇跡のようなものなのよ?
メイは自身に言い聞かせ、ただこの美しい瞬間を胸に刻んだ……
*
28日から30日の三日間は、トーマスは仕事で留守にしがちだったが、家族皆でゲームをしたりマンション近くの公園を散策したりしてほとんどを家の中と近所で過ごした。
そして31日。今年最後の日がやってきた。
「公式なパーティーじゃないが、今夜は当直の連中のためにちょっとした場が設けられる予定なんだ」
トーマスが家族に話す。今夜は軍病院のメインロビーで年末年始を病院で過ごす職員や軍人、入院患者のためにささやかなカウントダウン・パーティーが開かれるという。
「まあ! それなら差し入れを持って行くわ」
「それはありがたい。ぜひ頼むよ。待っているから」
アルマの申し出にトーマスは笑顔で答え、出勤して行った。
「とにかく数多く作らなきゃだから、基本のプレーンクッキーにするわよ!」
アルマが双子たちに向き直って言い、その日は皆でクッキー作りに取り掛かった。調理具の数も限られていることから、クッキー作りの主力はアルマとメイで、モーガンと双子は他の家事や買い出し、食事の準備と片づけを担当した。
その日はずっと、ベネット家のマンションはクッキーを焼くオーブンの熱気と、バニラエッセンスの良い香りに包まれ、昏くなる頃にはついに十分な量のプレーンクッキーが焼き上がったのだった。
そして……夜十時を過ぎた頃、アルマ、モーガン、エドウィン、マリルー、メイの五人はクッキーの入った紙袋を持ってトーマスの勤務先である軍のメディカル・センターを訪れた。
吹き抜けの広いロビーにはまだ大きなクリスマスツリーが飾られたままで、既に制服や病衣を着ている人だけでなく私服の人も集まり始めている。
「おーい、みんな! ここだよ」
白衣のボタンを外し、少しリラックスした様子のトーマスが五人を迎えた。
「あなた、お疲れ様。差し入れのクッキーを持って来たわ」
「ありがとう、みんなも喜ぶよ」
トーマスは目尻を下げて微笑み、彼らをロビーに隣接するラウンジ・スペースに置かれた長机に案内した。そこには2リッターボトルの飲み物が数本と紙コップ、キャンディーやチョコなど、一口サイズのお菓子が盛られた紙皿が幾つかあった。トーマスは予備の紙皿を取り出して皆から紙袋を受け取り、中身をあけていく。
「こんなに作ったのかい? すごいな。これだけあれば全員に行き渡るよ」
トーマスが感心して言い、その時ふと思いついたことがあった。
「ああ、そうだ。まだ時間があるし、せっかく来たのだから、屋上から首都を眺めてみるかい? 僕が一緒なら屋上に出られるから……まあ、寒いけどね」
彼の提案に皆が頷いた。
「ベネット中佐、お疲れ様です」
屋上へ向かう途中の廊下ですれ違った職員がトーマスに対して敬礼を送り、彼が短く頷いてそれに答えるのを見て、他の面々は彼が改めて偉い軍人であることを再認識する。
「中佐……父さん、やっぱりすごい人なのね」
マリルーが小声でエドウィンに耳打ちした。家では優しい父が医療担当者として責任ある立場で働いていることを肌で感じる。
トーマスがドアの鍵を開け、一行が屋上へ足を踏み入れると、そこからは冬の澄んだ空気の下、明るい光を放つの巨大なビル群を中心に広がるリーガル・シティが一望できた。深夜0時のカウントダウンに向けて、街の方でも花火がちらほらと上がり始めている。
「うわあ……すごい」
「壮観だのう」
メイとモーガンが感嘆の声を上げ、夫婦はただ並んで遥かな都市を眺める。マリルーはエドウィンの腕を軽く引いて他の家族から少しばかり離れると、兄に抑えた声で話し掛けた。
「……エド、都会の眩しい光の中にいる誰かのことを考えてる?」
「……ああ」
「休暇中に一度くらいデートするのかと思った」
「そうしたかったけど、まだオープンな関係じゃないからな。ユリウスさんもクリスマスシーズンの最中、重要なオフィシャルイベントや家族との時間を抜け出すことはできないだろ」
「そうよね。それらを放ってエドと会ったりしたら、詮索されること必至だものね」
マリルーが小さく息を吐いて星々が瞬く冬の夜空を見上げた。
「……実は、カフェ・パーティーの合間に少しだけ会ったんだ」
「いなくなったの、気づいてた」
「はは、そっか……」
小さな声で明かしたエドウィンにマリルーはあっさり言い、二人は笑い合った。
暫く皆で展望を楽しみ、スマホで写真を撮った後、
「……さあ、そろそろロビーに戻ろう」
トーマスが皆を促した。
ロビーに戻ると、先ほどよりもずっと人数が増えていた。医師に看護師、職員、軍人、入院患者、そしてその家族。待合席に座り、或いは立ったまま歓談している人々の中にはアルマたちが作ったクッキーを食べている人もちらほらいて、『このクッキー、美味しい!』という声が聞こえる度にベネット家の人々の顔に笑みが浮かぶ。
普段は外来患者の受付番号を表示しているロビー中央の大きなモニターが、今はテレビに切り替えられ、都心の様子を映している。
「よし、では時間まで待合席で待つことにしよう」
トーマスが言い、座る前に皆で飲み物と食べ物を取りに向かう。そのときに少し疲れた顔をした若い職員を見かけ、
「無理はしないようにな」
とトーマスが気遣うように肩を叩いたのを見てアルマは誇らしい気持ちになった。一行は飲み物が入った紙コップとキャンディーをもらうと、待合席に腰を下ろした。
カウントダウンが近付くにつれ、場の空気が盛り上がってくるのがわかる。
そしてついに、壁の大きな時計が午前零時を指そうとしていた。座っていた人たちが一斉に立ち上がり、ロビーに集まった人々全員が右手を上げてカウントダウンの合唱に合わせて指を折り曲げて行く。
「5、4、3、2、1……ハッピー・ニュー・イヤー!!」
歓声と共にモニターに都心で打ち上がる大輪の花火が映し出され、大きな拍手が巻き起こった。続けて都心の目抜き通りを埋め尽くした群衆が熱狂的に叫んでいる様子が映し出される。場所は違っても誰もが皆、どこかでそれぞれの新年を迎えていた。
――ユリウスさんも。
新年を家族とメイ、父の同僚たち、かけがえのない人々と共に迎えながら、ここではない別の場所で新年を祝っているであろうユリウスの姿を想像して、エドウィンは少しばかり切ないような暖かい気持ちになった。
カウントダウンの後、当直勤務のトーマスを残して一行はマンションに戻ってきた。夜遅いためモーガンとアルマはすぐに就寝してしまったのだが、双子とメイは何となく寝てしまうのが惜しい気がして少しばかり夜更かしすることにした。
「……ココアでも入れるわね」
「あ、私も手伝うわ」
マリルーが言い、メイも席を立つ。リビングに一人になったエドウィンはスマホを取り出しラインをチェックした。
Julius:新年あけましておめでとう。君とともに新しい年を迎えられずに残念だが……良い年越しだったことを願っている。今年もよろしく。
Edwin:新年あけましておめでとうございます。年越しは父の勤務先のささやかなカウントダウン・パーティーに家族で参加しました。今年もよろしくお願いします。
ユリウスから来ていたメッセージにエドウィンが返信すると、送ったメッセージは程なくして既読になり、エドウィンの心は暖かく満たされた。
「……ねえ、エド、ルー」
深夜のリビングで、温かいカップが冷えた指先を溶かす、マシュマロを浮かべた甘いココアのカップを両手で包み込みながら、メイが呟いた。
「私、去年の今頃は、未来の自分がこんなに暖かい場所にいるなんて、想像もできなかった」
「メイ……」
「久しぶりにアルマさんとまた一緒にお菓子作りして、二人と一緒に事件を解決して……。首都に来て私、とても楽しくて、幸せで……だから、その。……誘ってくれて、本当にありがとう」
――来年も、再来年も、……ずっと、一緒に過ごせたら。
メイの海のように青い瞳が潤んで煌めくのを見て、二人の胸がぎゅっとなる。
「何を言ってるのよ。メイがいてくれたから、今年のクリスマスは最高に楽しかったんじゃない!」
マリルーが微笑み、エドウィンも静かに頷いた。
「さあ、明日はハーバータウンに帰る日だ。寝坊しないようにしないとな」
彼の言葉に、三人は顔を見合わせて笑った。空には、新年の始まりを告げる星が、いつまでも明るく輝いていた。
~第十一話 終わり~
もう少し続きます。




