第二話「奪われた小さじ一杯」
火曜日の午前。商店街マルシェ・ロードの、比較的閑静な中通りに面するコーヒーショップ“ルビー”にはカップケーキの良い香りが漂っていた。
「ルー、今日の配達分、準備できてるわ」
カウンター奥にある作業部屋のテーブルにはカップケーキが所狭しと並べられたトレイが置かれていた。メイは更にオーブンから焼き上がっていた、たくさんのカップケーキが載った天板を取り出す。
「完璧よ、メイ! 今回は注文数が多かったからどうなることかと思ったけど、よくこれだけの量を準備できたわね!」
「余裕を持って朝早く取り掛かったから」
メイが何でもないことのように話す。彼女の澄んだ青い瞳はマリルーの素直な賞賛に嬉しそうに輝いた。
――アルマさんが帰って来るまで、この店を守ってみせる。
それがこの店をマリルーの母アルマから任せられたとき以来、変わらないメイの思いだった。同級生のマリルーがここでのバイトを紹介してくれ、彼女の母アルマはメイに店の経営に必要なすべてを教えた。そして高校卒業と同時に施設を出ることになった孤児のメイのために、店舗を任せるだけでなく2Fの居住スペースさえ無償で用意してくれた。
『夫の赴任先についていってあげたかったから、ちょうどよかったわ』
と言って笑っていたが、それがどれほどの厚意によるものであるかメイは理解していた。それだけでなく。
――私はルーが好き。
いつも前向きで明るくて活発、健康的な美しさを持つ彼女にメイはいつしか憧れを抱くようになっていた。だが今、メイの生活はアルマの厚意により成り立っている。アルマもマリルーもそんなことは気にしていないだろうが、それはメイにとって負い目だった。それ故に、メイはルビーを繁盛させたいと思う。
――いつかルーに釣り合う自分になりたい。
ルビーに自身の確固たる居場所を築く。それがメイにとって、マリルーに対等の立場で想いを告げるための最低限の条件だった。
「これでバナマンさんちのガーデンパーティーも盛り上がること請け合いね!」
マリルーが小躍りして配達用の箱にカップケーキを一つ一つ詰め始める。それを傍目にメイは躊躇いがちに切り出した。
「実は……もっとお客さんに喜んでもらえるように新作スイーツを考えたの」
「え! どんな?」
マリルーが興味津々といった様子でメイを見る。
「『ベリーとスパイスのパウンドケーキ』よ」
「スパイス? 甘いだけじゃない、ってこと?」
「そう。このパウンドケーキ、絶対に成功させなきゃいけないの。うちの昔からの定番メニュー、評判はいいけど、やっぱりお客さんは新しいスイーツも求めているんじゃないかと思って」
「うん……まあ、そう、かな?」
母の代からやっているコーヒー、自家製のパンとジャムにバター、ポーチドエッグの載ったグリーンサラダのランチセットはシンプルで安価。プレーンのパウンドケーキもリピーターが多く、それほど新しいメニューの必要性は感じなかったのだが。メイのいつになく真剣な表情にマリルーは思わず『頑張ってね』と言って微笑んだ。
午後。忙しいランチタイムが過ぎてルビーの店内が閑散とし始める頃。
「やあメイ、ランチセットを頼むよ。あといつものブレンドを200グラム量り売りで」
カウンター越しに注文をしたのは、若い芸術家志望の常連客、カイルだった。彼は最近ハーバータウンに引っ越してきた青年で、午後の空いている時間帯にルビーの窓際でスケッチブックを開くのが日課となっていた。
メイは笑顔で注文を受け、仕事の合間に考えていた新レシピのノートを仕舞ってからオーダーに取り掛かろうとした時、壁付けの電話が鳴り、メイはくるりと振り返って受話器を取った。
電話は焼き菓子の注文だった。メモをして復唱して電話を切った後、メイははっとして新レシピのノートをカウンターに置きっ放しだったことを思い出し、ノートを引き出しに仕舞うと、ランチセットの用意に取り掛かった。
5:00 p.m.、ルビーは閉店時間を迎えた。メイは一日の仕事を終え、いよいよ新作スイーツの最終試作に取り掛かった。レシピ通りに生地を混ぜ、焼き上げ、パウンドケーキを試食した瞬間、メイの顔が強張った。
「……違う」
期待したベリーの甘酸っぱさとスパイスの芳醇なハーモニーは影を潜め、ただの甘い塊になってしまっていた。何かが決定的に違う。
――けれどレシピ通りに材料を量ったはず。
メイは混乱しながらレシピメモを何度も見返した。
*
翌日の水曜日はルビーの定休日である。マリルーにラインすると夕方には大学から帰るということで、メイは事情を話してエドウィンとともに来てもらうことにした。
「店のドア、閉まってるけど……」
「二階の住居の方に、ですって。こっちよ」
車を店先に停め、店の中に入ろうとしたエドウィンにマリルーが言い、店の横壁にある階段へと歩き出す。
店舗の2Fは1LDKの居住スペースになっていて、メイが施設を出て移り住むまでアルマはここを民泊に使っていた。
階段を上り切ったところに簡素なドアがあり、呼び鈴を押すとほどなくしてメイがドアを開けた。
「いらっしゃい。さあ、入って」
「「お邪魔します」」
そう言って二人はメイの家へと入った。メイのアパートはきちんと片付けられ、掃除も行き届いており、高価ではないものの、ラグやカーテンなどこだわりを持って選んだことが窺え、とても居心地の良さが感じられる住まいだった。
「まずはこれを試食してみてほしいの」
キッチンに行ったメイがパウンドケーキのカットを盛った皿二枚を載せたトレイを持って来た。二人はソファに座り、ローテーブルに置かれたそれを試食する。
「……普通に美味しいけど」
エドウィンはメイの意図がわからずに首を傾げた。が、メイは緩く首を横に振った。
「これは失敗作なの。ベリーの甘酸っぱさとスパイスのアクセントを調和させた新スイーツを作ったつもりだったのに、できたものはただ甘いだけのパウンドケーキ……」
メイは顔を曇らせ、俯いた。
「レシピを何度も確認したわ。でもスパイスの配合だけが、私が書いたメモより少しだけ減らされていたの。本当に僅かよ、小さじ1の量。でも、そのせいで味が崩れた」
メイはレシピノートを二人に見せる。
「小さじ1のレシピ改ざん……誰かの嫌がらせかしら。もしかしてライバル店?」
マリルーが呟き考え込むが、そんなことをしそうな競合店は思い浮かばなかった。
「ライバル店が狙うなら、レシピ全てを盗むか、もっと大胆に失敗させるはずだ。小さじ1分の改ざんであれば、ルビーの評判を落とすのが目的じゃないんじゃないか? 何かもっと個人的な動機で……?」
エドウィンが推測する。
「分かったわ、エド。ルビーに来た客を洗い直しましょう。メイ、昨日店に来た人を教えてくれる?」
マリルーはメモ帳を用意し、メイから昨日誰が来たか、客はどんな様子だったのかを書き込みながら順に聞いていった。
そのときふと、メイの頭を過ぎった記憶があった。
「そう言えば、カイルさんがランチセットとコーヒー豆の量り売りをオーダーしたとき、ちょうど店に電話が掛かってきて。私、カウンターにレシピノートを出したまま壁の方を向いてしまったのよね。だからそのとき彼がすぐにテーブルへ向かったかどうかわからないの。もしも……彼が注文した後もカウンターの前に留まっていたとしたら……レシピをちょっと書き換えることくらいできたかも」
メイが記憶を手繰り寄せながら、言った。
「そうか……彼について、詳しく教えてくれる?」
とエドウィン。
「彼はたいてい午後にやってきて、いつも窓辺の席でスケッチブックを開いてスケッチしているの」
「……ってことは、いつも筆記用具を持っている、ってこと?」
マリルーの観察眼が光り、慎重に確認する。
「ええ。コンテやら何やらが入ったペンケースを持っているわ」
「でも、彼がなぜ?」
「理由は分からないわ。確かめる必要があるわね」
双子は顔を見合わせて頷き合った。
*
カイルに目星を付けて彼と直接話すことにしたものの、双子は大学があったため、その機会は週末の土曜日に持ち越された。
そして土曜日。カイルが来店する時間帯にマリルーはスタッフとして、エドウィンは一般客として店に張り込んだ。
エドウィンは講義の内容をノートにまとめながら、いつもカイルが好んで座るという窓辺のテーブルが視界に入る席へ座って彼の来訪を待ち、マリルーはカウンターの中でメイの傍にいて、いつでも飛び出して行けるようにスタンバイしていた。
待つこと数十分。果たして、この日もカイルはルビーにやってきた。オーダーを済ませると窓辺の席に座り、スケッチブックを開く。幸運にも他に客はいない。エドウィンは静かに立ち上がった。
「こんにちは。君がカイルさんだね。俺はメイの友達のエドウィンだ」
エドウィンが声をかけると、カイルは少し驚いた顔をした。
「メイの? ……ああ、どうも」
エドウィンは敢えて単刀直入に尋ねた。
「新作パウンドケーキの試作レシピを改ざんしたのは君だね。スパイスの配合を小さじ1杯分、減らした」
「……僕じゃない!」
否定したものの。驚愕の表情を浮かべたカイルのその答えは、改ざんを認めたのも同然だった。
“準備中”の札をドアに掛け、窓に日除け用シェードを下ろし、往来から店内が見えないようにすると、メイと双子は事情を聴くためにカイルへ向き直った。三人を前に、彼は観念したのかポツポツと話し始めた。
「……メイさんは、僕が初めてこの店を訪れて以来、ずっと僕のスケッチを褒めてくれた。でも、あの新作パウンドケーキの開発が始まってから、彼女の目はレシピのメモにしか向かなくなった。僕のスケッチを見ても、上の空で……」
彼は顔を覆い、小さな声で続けた。
「新作スイーツが成功すればメイさんはもっと忙しくなって、僕のことなんてこれっぽっちも気に掛けなくなる。だから新作の開発を失敗させて、僕の方を向かせたかったんです。彼女の視線が僕から離れていくのが耐えられなかった」
「「「……」」」
三人はカイルの小さな嫉妬による身勝手な動機に、何とも言えない思いを抱いた。
結局、メイはカイルを責めたりせずに許し、彼は謝罪した後、ルビーには来なくなった。
*
ある日、閉店後のルビーを双子が訪れた。
「新作スイーツのおかげで、ランチタイム以外のケーキセット目当てで来るお客さんも多くなったわ」
「よかった。……けど前よりも忙しくなったんじゃ? 大丈夫?」
嬉しそうに話すメイにマリルーがやや心配そうに尋ねる。
「うん、まあ……忙しくはなったけど、大丈夫。ルーがいてくれるんだから!」
「メイ……」
マリルーがメイを見つめる。メイはマリルーの反応に、彼女が今の言葉を自分にとって彼女が特別な存在だという意味に捉えてくれたのではないかと期待する。ちゃんとした告白はマイルールのためできないが、マリルーがメイの気持ちに気づいてくれるなら、それはそれで嬉しかった。だが。
「そうだ! 来月の学園祭、フードコートに民間向けのブースが設けられるんですって! ルビーも申し込んでみたら?」
マリルーは両手をパン、と合わせ、ナイスアイデア! と言わんばかりに提案した。
「ああ。そう言えば、あったな。抽選になるけど……」
少し離れたところでコーヒーを啜っていたエドウィンが呟く。メイはマリルーが自分の気持ちに気づかなかったことに少しだけ肩を落としたものの、学園祭への出店は確かに魅力的な情報だった。大量の焼き菓子を捌けるかもしれない。
「いいわね。ぜひ出店したいわ」
「よぉっし、それなら申し込んでおくわね!」
マリルーがガッツポーズを取り、それを見てメイがクスリと笑った。
――ルビーの焼き菓子をもっと多くの人に食べてもらえるように頑張らなくちゃ。
メイが心の中で思う。そしてアルマと双子とともにルビーで笑い合っている自身を思い描いた、そのとき。
「あ」
とメイは何かを思い出したように小さく呟き、カウンターの棚からきれいにパッケージングされたパウンドケーキを取り出した。それをエドウィンの前に置く。
「カイルさんの件、まだお礼をしていなかったな、って。これが新作の“ベリーとスパイスのパウンドケーキ”よ」
「え、いや、お礼なんて……あ! やっぱりもらうよ。これ、ユリウスさんにプレゼントしてもいいかな?」
「ええ、いいわ」
「よかった~~! 実はさ、俺は話してなかったんだけど、この前の武道大会で俺が優勝したのを何かで知ったらしくてそのお祝いに、ってユリウスさん、肌触りの良いタオルセットを送ってくれたんだよ。お返しに何を送ろうか迷ってたんだ」
「「……」」
メイとマリルーはユリウスがエドウィンにどうにかアプローチしたくて方々にアンテナを張り巡らせていることを知っていた。だが当のエドウィンは全く気付いていない。彼はスマホを取り出すと操作し始めた。
Edwin: ユリウスさん、この前のお祝いのお返しにルビーの新作パウンドケーキを明日、宅急便で送りますね。
メッセージを送った数秒後、電話がかかってきた。ついスピーカーモードにしたエドウィンのスマホから、ユリウスの焦燥した声が響く。
「エド! また宅急便か! 君は私に、直接会って気持ちを示してはくれないのか!? いつもいつも宅急便ばかり……」
「え、何の話ですか? 賞味期限には気を遣っていますよ?」
エドウィンの鈍感な返答にマリルーとメイは互いに顔を見合わせて小さく笑い合った。
今日もハーバータウンは平和である。
~第二話 終わり~




