第一話「閉店の貼り紙は誰が書いたのか」
現代の欧米の制度・生活様式・年間イベントを参考にした架空の世界のお話です。
平和で麗しき国レジェリア。レジェリアの首都リーガル・シティの南方に位置する海辺の港街ハーバータウン。その商店街の一角に、小さなコーヒーショップ“ルビー”がある。
小春日和の午前に、ルビーの前に一台の車が滑るように停まった。そのグレーのセダンから降りてきたのは、すらりとした身体にTシャツ、ショートパンツにデニムジャケットを羽織った、顔立ちの綺麗な若い女性だった。少し癖のあるアッシュブラウンの長い髪をポニーテールにしている。
「おはようルー、ビスコッティ、用意できているわ」
『ルー』と呼ばれた女性がルビーのドアを開けると、中から明るい声が掛かった。彼女……マリルーの幼馴染で高校までずっと一緒だった親友のメイがにっこり笑って焼き菓子の載ったトレイを差し出す。メイは金髪のボブ、青い瞳の美しい女性である。高校時代はずっとここでバイトをしており、この春に高校を卒業すると同時にマリルーの母アルマから店の経営を任されていた。アルマは十年前に母メレーヌからこのコーヒーショップを継いだものの、現在はメイに店を任せて首都に赴任している夫の許へ行っている。
「じゃあ、もらっていくわね」
マリルーはルビーの配達を手伝っていて、開店する前に配達用の焼き菓子を取りに来たのである。ルビーの焼き菓子は地元マルシェの店主や、近所の美容院の常連客など、ごく小さな顧客からの口コミだけで人気を博している。マリルーは焼き菓子の数を確認しながら箱に詰めていき、終えるとメイに笑顔で手を振り店を出た。
店の前の道に停めた祖父の車に商品を載せ自身も乗り込むと、配達先であるヘアサロン“アリアンロッド”へ向かう。店主のドリーはアルマがルビーを経営していた頃からの常連客だった。
「まあ! ルーちゃん、いらっしゃい!」
マリルーがヘアサロン“アリアンロッド”に行くと店主のドリーが笑顔で迎えた。
「こんにちは、ドリーさん。ご注文されたビスコッティです」
「ありがとう。この“ルビー特製ビスコッティ”を置いておくと、自然と予約が入るのよね」
ドリーは“ルビー特製ビスコッティ”を受け取り、満足そうに笑った。このビスコッティはアルマがドリーのために試作したもので、メイが作るようになってもアルマ直伝の味は健在である。
「あ!そう言えば、エド君もルーちゃんもこの春から大学生ね。進学おめでとう」
「ありがとうございます。ところで……」
マリルーは何気なく切り出した。
「ドリーさん、何か面白い話はありますか?」
焼き菓子を納入する際の何気ない雑談はマリルーにとって街のことを知る良い機会だった。些細なことも思わぬところで何かに繋がることもあるものである。
ドリーは癖なのか、ウェーブのかかった黒い長髪を指で巻きながら、溜息を吐いた。
「それがね、ルーちゃん。最近、商店街の隅にある小さな雑貨店“ポート・マーケット”の様子がおかしいのよ。あそこのご主人ミックは頑固だけど良い人で、早朝に店の前を箒で掃くのが日課だったでしょう?」
「ええ、私も朝のジョギングでお見掛けしていました」
「それが、ここ三日ほど姿が見えないの」
ドリーの言葉にマリルーは、ここ二、三日ミックの姿を見ていなかったことに気づいた。
「店も開いていないわ。風邪か何かだと思ってさっき様子を見に行ったんだけど、店のシャッターに『閉店』、他にも何か書いてあったかしらね? 貼り紙がしてあったのよ」
「閉店? あの雑貨店は、ミックさんが代々守ってきた店なのに」
「そうよ。それに本当に店を閉めるなら、長い付き合いの私たちに一言もないっておかしいわよね? もしかして……誰かに脅されているんじゃないかしら」
「……」
マリルーはそれから少しばかりドリーと世間話をした後、彼女に別れを告げて車に乗った。今日の配達はここだけなので自宅へ戻るはずが、無意識のうちに問題のポート・マーケットのある商店街の隅へと向かう。
ポート・マーケットのシャッターはドリーの言う通り、『閉店 立ち退き 二度と来るな』と書かれた、薄汚れた茶色い紙がセロテープで雑に貼られ、固く閉ざされていた。
「やっぱりちょっと様子がおかしいわね……」
――これ、本当に“閉店”なの?
マリルーはそのメモをスマホで写真に撮るとすぐさま自宅へと車を走らせた。
「エド! 大変よ!」
朝稽古を終えてシャワーを浴びようとしていた道着姿の双子の兄エドウィンは、妹マリルーに呼ばれて振り返った。マリルーと面差しの似た、アッシュブラウンの跳ねた短髪と瞳の爽やかな好青年である。背丈は175㎝と殊更高いわけではないが、道着の合わせから覗く胸板は惚れ惚れするくらい逞しかった。
「どうした、ルー。また配達の途中で転んで焼き菓子をぶちまけてしまったのか?」
「もう! あんな失敗、二度としないわよ! ……って、そんなこと言ってる場合じゃないわ。見て、この写真」
マリルーはスマホの画面を兄に見せ、雑貨店の状況とドリーから聞いた話を説明した。
「……確かに、妙だ。ミックさんは、よほどのことがない限り店を閉める人じゃない」
エドウィンは顎に手を当てて考え込む。祖父モーガンが開いている武術教室“タオ”の稽古生はこの商店街の店主の息子や娘が多く、地元との繋がりは強い。
「ルー、俺はまず、武術教室の生徒を通して商店会の情報を集めてみるよ」
「じゃあ私は聞き込みをするわ」
「よし。じゃあ、後で報告し合おう」
「了~解!」
マリルーは答えてニッと笑った。
その日の夕方。エドウィンは祖父の武術教室が終わるのを待って、地元の生徒たちに雑貨店の件をそれとなく尋ねた。ほとんどの者は何も知らなかったが、一人の生徒が気になることを言った。
「あの、若先生。うちの父ちゃん、商店会の会長をやっているんですけど、何か『最近、街の再開発をめぐって新しい企業が土地を買い占めている』って、少し前に話していた気がします」
「再開発……?」
エドウィンはその情報を胸に留めた。雑貨屋が立ち退きを迫られているなら、土地を買い占めている企業が関係している可能性が高い。だがその企業がどこなのか、生徒からそれ以上の情報は聞き出せなかった。
一方。マリルーは夕飯の買い物のため食料品店に赴いた際、顔見知りの客や店の従業員数人に話しかけた。ミックさんが最近、誰と揉めていなかったか、何か急にお金に困るようなことはなかったか、それとなく探る。そんな中で。
「ミックさんが最近、見慣れない男と店の前で怒鳴り合っていたのよ」
という情報を従業員のおばちゃんから得た。
「その男、背が高くて、見るからに都会の人間って感じだった。スーツは着てなかったけど、態度がデカくてね。ご主人が『ここを動くつもりはない!』って何度も叫んでたわ」
「都会の人間……」
マリルーはおばちゃんの言葉に眉を顰めた。
そしてその夜。双子は両親の寝室でお互いの情報を交換し合った。今現在、両親は首都で働いているため使われておらず、祖父も立ち入らないこの部屋は内緒話にはもってこいの場所だった。
「再開発に、」
「都会の人間、か……」
マリルーとエドウィンが思案顔で呟く。次に取るべき手を考えたが、学生の自分たちにはこれ以上の探究は無理だと悟った。
「……やっぱり。この件で頼れる人といえば、あの人しかいないわね」
「あの人、って?」
「ユリウスさんよ」
ユリウスはレジェリアの大企業ヴァルム・コンツェルンの次期総帥で、マリルーは彼がエドウィンに対して特別な感情を抱いていることに気づいており、兄が頼めば協力してくれることに少しの疑いもなかった。
「連絡を取ってよ、エド」
「え、けど……」
はっきり言って、エドウィンはユリウスが苦手だった。ひと月ほど前、双子が高校を卒業して間もない頃。母が父の許に行くのに合わせて引っ越しの手伝いをするために、祖父の車でマリルーとともに首都に行ったとき。せっかく首都に来たのだからと二人で観光していたら、偶然チンピラに絡まれていた彼を得意の武術で助けた。名乗らず立ち去ろうとしたものの、どうしてもと懇願されて連絡先を交換したのが縁で友達(?)になったという経緯がある。
「ほら、早く!」
「わ、わかったよ……」
妹にせっつかれてエドウィンがスマホを手に取った。
Edwin:ユリウスさん、お忙しいところごめんなさい。実は俺たちの地元で、少し厄介な問題が起きていて……あなたにしか分からない情報が欲しいんです。
LINEを送って数分も経たずにユリウスから電話がかかってきた。
「エド、どうしたんだ?」
エドウィンがマリルーにも聞こえるようにスピーカーモードに切り替えて電話に出ると、ユリウスは心配そうな声で尋ねた。
「実は地元の雑貨店が立ち退きを迫られているようなんです。どうやら再開発の企業が動いているらしいというところまでは掴んだのですが、それ以上のことは分かりません」
「立ち退きだと? ハーバータウンの再開発計画などという大規模なプロジェクトは私の耳には入っていないが……調べてみるから、その雑貨店の名前と他に何か判断できるものがあったら教えてくれ」
「お店のシャッターに貼られていた貼り紙の写真を撮ったのでそれを送ります。…一旦切りますね」
エドウィンは電話を切り、マリルーはすぐさま彼のスマホに貼り紙の写真を送信した。エドウィンは雑貨店の名前“ポート・マーケット”とともに写真をユリウスに送る。
またすぐにユリウスからエドウィンに電話がかかってきた。
「『閉店 立ち退き 二度と来るな』……か」
「ええ。ルーによると到底、几帳面な雑貨店のご主人が書いたものとは思えないほど雑で乱暴、とのことで……」
「ふうむ……エド、これは素人の脅しじゃない。筆跡を見るに、明らかに筆慣れしていない人間が、わざと乱暴に書いている。しかも『立ち退き』という言葉は、法的な知識を多少なりとも持っている人間の言葉だ」
電話の向こうから、キーボードを叩く音が聞こえる。
「……ハーバータウンの再開発にレオンテック社が絡んでいるようだ。そう言えば最近、資金難に陥ってなりふり構わず小規模な土地買収で資金を捻出しようとしている、という噂を聞いた」
「レオンテック社……」
「彼らは、表向きは不動産投資会社だが、裏で厄介な人間を使って強引に話を進めることで有名だ。エド、都会の人間がウロウロしていないか? 恐らくレオンテック社の交渉人だ。そしてあの貼り紙は交渉人が雑貨店店主の筆跡を真似て書いたものだろう」
ユリウスの推理は、双子が集めた情報全てを綺麗に繋いだ。店主が怒鳴っていたのは、交渉人が勝手に閉店に見せかけた貼り紙を貼ろうとしていたからに違いない。
「ありがとうございます、ユリウスさん。これでこちらも手が打てます。それでは……」
「ま、待て、エド……」
ユリウスが何かを言いかけたが、問題解決の糸口が見つかった安堵からエドウィンは早々に電話を切ってしまった。
――ほんっと、鈍感よね……
マリルーがユリウスに同情する。エドウィンが『何て返したらいいかな?』と訊いてくるため、彼女は彼が頻繁に兄にラインしていることは知っていたのだが、親しくなるきっかけがほしいと思っているのは確かなのに、いつも気づかずにとんちんかんな返信をしていた。
――今も。エドの方から連絡して、彼の方も力になれて、話すチャンスだと思ったでしょうに。
マリルーは溜息を吐いて通話の切れた兄のスマホを見つめた。
*
翌朝、エドウィンとマリルーは雑貨店“ポート・マーケット”に赴き、シャッターが閉まったままなのを確認すると、ともに商店会の会長宅を訪れ、ユリウスから得たレオンテック社の強引な土地買収の情報を伝えた。
「会長、もしもこの話が本当だとしたら。地域住民を脅して土地を買い叩くような真似を許しては、街の沽券にかかわります。どうかよく調べて下さい」
会長はエドウィンの言葉に、驚くよりも狼狽していた。実は会長はレオンテック社の暗躍に気づきながらも、大手企業の圧力に逆らえずにいたのだ。だが街の住人として街を思う双子の正義感に会長は物事を正す決意をした。
会長はすぐに弁護士に連絡し、レオンテック社による違法な立ち退き要求と、偽装の貼り紙の件を公にした。レオンテック社は世論と弁護士の圧力から、雑貨店への不当な要求を取り下げざるを得なくなった。
数日後、双子が雑貨店“ポート・マーケット”の様子を見に行くと、シャッターは開いていて店主のミックは何事もなかったように店の前を箒で掃いていた。二人に気づくとにっこりと笑う。
「エドウィン、マリルー。会長から聞いたよ。本当にありがとう。あのままでは、私はどうなっていたことか……」
「よかったわ、ミックさん」
マリルーが答え、エドウィンも彼女の横で微笑んだ。
*
日曜日の今日、ルビーは休業日である。双子はメイと一緒にカウンターの奥にあるパントリーを兼ねた作業部屋で焼き菓子を作っていた。そこには業務用の大きなオーブンがあり、メイは配達を請け負ってもらう代わりに、時折双子にお菓子作りを教えていた。
「できた!」
エドウィンは出来上がったばかりのフィナンシェの写真をスマホで撮り、ユリウスに送る。以下のメッセージとともに。
Edwin:雑貨店の件、解決しました。ご協力に感謝しています。ささやかですが、あなたへのお礼代わりにルーとメイと一緒に作りました。今日中に宅急便で送るのでよかったら食べてください。
数秒後、ユリウスから返信が来た。
Julius:ありがとう。……だが、君が焼いたフィナンシェを直接受け取って、君の顔を見ながら食べたいのだが、それは叶わないか?
Edwin:宅急便でも翌日には届くはずなので、賞味期限の心配はないですよ?
ユリウスの暗に会いたい、という意思表示は、だがエドウィンの鈍感さの前にスルーされる。エドウィンの画面を覗き込んでマリルーは頭を抱え、メイはくすくす笑った。
「? どうしたんだ、二人とも」
ユリウスとのLINEを終えた後、二人の様子にエドウィンが首を傾げる。が、二人は『何でもないわ』と返し、後片付けに取り掛かった。
今日もハーバータウンは平和である。
~第一話 終わり~
注:大学は日本と同じ4月入学。欧米では大学の入学式は親も出席するような大規模なものではなく、簡単なオリエンテーションくらいとのことで、本文にも入学式の描写はありません。また、欧米ではお酒の提供がないカフェ経営で調理師免許などの特別な資格は必要なく、“経営するための能力”があれば店舗を引き継げます。




