第十一話「冬の首都」Ⅱ 聖夜に重なる足跡
その日のトーマスの勤務は夜八時からだったため、パーティーの時間に合わせて雪がチラチラと舞う中、アルマたち五人は彼のワゴン車でパメラの経営する街中のカフェ“シルバー・リーフ”まで送ってもらった。
店は街中にしては広く、温かな光に包まれていた。中には既に数人の人々が集まっている。カウンターの中のパメラと彼女の前のスツールに座って話していたサリーがアルマたちに気づき、彼女たちの方へとやってきた。
「メリークリスマス、アルマ! 来てくれてありがとう」
聖夜に似つかわしく、袖のないホリーグリーンのVネックニットワンピースとオフホワイトのブラウスを組み合わせた、レイヤードスタイルのパメラがにこやかに挨拶し、その隣でラベンダーグレーのニットワンピースと明るく淡いライラック色のブラウスから成る、ビスチェリブニットワンピースを上品に着こなしたサリーが微笑んだ。
「こんばんは、パメラ、サリー。こちらは……えっと、父は知っているわよね。息子のエドウィン、娘のマリルー、そして娘の友達のメイよ」
「初めまして。エドウィンです。エドと呼んで下さい」
「会えて嬉しいです。マリルーです。ルーと呼んで下さい」
「メイです。よろしく」
アルマが順に紹介すると、三人も自己紹介をし、彼女の友人が続いた。
「私はパメラ。このカフェを経営しているわ。モーガンさん、ご無沙汰しています」
「サリーよ。イベント会社で働いているの。モーガンさんとメイは久しぶりね」
「おお。二人とも久しぶりだのう」
「サリーさん、夏はありがとうございました」
「どういたしまして。また会えて嬉しいわ」
一通り挨拶が済むと、アルマは持参した料理の入った手提げを持ち上げて見せた。
「皆で色々と作って来たの」
「ありがとう。中央の大きなテーブルに置いて? ドリンクはオーダー制よ。」
「OK」
アルマは笑って頷いた。
持ち寄った料理をテーブルに並べ、オーダーしたドリンクを受け取り、皆が料理を取ろうとテーブルの方へと戻った、その時。
「……? アルマさん、これは?」
メイは彼らが持参した料理の脇に見覚えのない小さな紙袋が置かれているのに気づき、足を止めた。つい先ほどまではなかったものだ。
「どうしたの、メイ?」
マリルー始め皆が覗き込む。メイは慎重に袋の中を確かめ、目を見開いた。
「……ジンジャーブレッドクッキーです。でも、これ……」
メイはそっと袋の口から漂う香りを吸い込んだ。ツンとしたジンジャーの奥に、爽やかな、しかしほろ苦い香りが混じっている。
――ジンジャーとシナモン、それにほんの少しのカルダモンとオレンジピール……アルマさんのものと同じ香り……
「これはアルマさんが?」
メイの問いに、アルマは不思議そうに首を振った。
「いいえ。私が持参したのはロールキャベツのトマト煮だけよ。誰かが間違えて置いたのかしら?」
「いや、単なる間違いじゃないかもしれない」
店内をキョロキョロ見廻すアルマにエドウィンが言った。彼の脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。
「……先ほど父さんに送ってもらったとき、じっとこちらを伺う、黒のニットキャスケットを目深に被ったグレーのコートの女性が街路にいて……そしてついさっき、カウンターで飲み物をオーダーしていた時、冷たい風を一瞬感じてドアの方を向いたら……ドアを出ていくグレーのコートの後ろ姿が見えた……」
「なんだと?」
モーガンが眉を顰める。
「彼女がこの袋を置いて行ったとして……一体何のために?」
「それに母さんのクッキーと同じ香りがするわ」
マリルーがメイから紙袋を受け取って香りを吸い込み、言った。そのときエドウィンの頭に“忘れ物のスケッチブック”の持ち主、テッドが浮かんだ。
「もしかして……何か事情があって母さんを訪ねることができない、母さんの知り合いかもしれない。ちょっと俺、外を見てくるよ」
「私も行くわ!」
「わ、私も!」
マリルーとメイもドアへと向かうエドウィンに続いた。
店の外へ出ると刺すような冷気の中、華やかなイルミネーションと街灯の光が明るく照らす歩道を遠ざかって行く人影を見とめた。黒のニット帽にグレーのコート。
「あの、すみません!」
エドウィンたちが駆け寄ると、グレーのコートの女性はびくりと肩を揺らして逃げようとした。
「待ってください! 紙袋、あなたが置いたんですよね? 母さんのと同じ香りのクッキー」
だが彼の言葉に足を止めて振り返る。振り返った顔は寒さのせいか、それとも緊張のせいか青ざめ、三つ編みされた黒髪のお下げが両肩で揺れた。
「……私、以前アルマさんのお菓子作り講座を受講していたジーンと言います。アルマさんを尊敬していて……講座が終了してからもSNSをいつも見ていました。それで今日のカフェ・パーティーを知ったんです」
ジーンが震える声で、続ける。
「一目会いたいと思い立ち、アルマさんからそのとき教えてもらったレシピでクッキーを作り、渡そうと思った……でも、いざ近くまで来たら怖くなってしまって……だから、皆さんがカウンターに向かわれたときにこっそりと置いたんです。……大学卒業後、首都の出版会社に就職したものの……会社に馴染めず辞めて、今はアルバイトで食い繋ぐ私が顔を見せるなんて、図々しいと……」
「そんなこと、ありません!」
メイの声が、冬の夜気に響いた。
「アルマさんはあなたのことを覚えています。今、どうしているかと気にかけていました。だから……」
メイは前に進み出てジーンの手を取った。
「私たちと一緒に行きましょう。アルマさん、きっと喜びます」
温かなカフェで再会に沸くアルマとジーンを見ながら、メイは小さく息を吐いた。
「……よかった」
「さっきはカッコよかったわ、メイ。お手柄よ」
マリルーに肩を叩かれ、メイの頬が林檎のように赤くなる。
「そんな……私は、何も……」
「ふふ。メイらしいわ。……何か食べましょ。お腹ペコペコよ」
「ええ、そうね。私もルーの作ったキッシュ、ぜひ食べたいわ」
メイは明るく微笑んだ。
「イブの今日、夫は職場の、息子はクラブの仲間とパーティーよ」
「ウチも、家族みんな友達の家に行ってるわ」
テキーラサンライズを傾けながらサリーが言うと、ジョッキでビールを飲んでいたパメラが相槌を打ち、二人はジンリッキーを啜るアルマを同時に見た。
「トムが仕事なのは仕方ないとして、クリスマスに家族皆で会いに来て、しかも一緒に出掛けてくれるとか、ほんと、羨ましいわ」
「うーん……家族仲がいいのは歓迎すべきことだけれど……息子はずっと父に師事して武道をやってて、娘も早朝のジョギングが趣味みたいなもので、メイの影響でお菓子やジャムを作るようになったけれど、それだけ。二人ともそんなに交友は広くないの。私としてはせっかくのキャンパスライフ、幾つもクラブを掛け持ちして、毎週のようにある交流会で友達を増やしたらいいのに、と思うわ」
「ふうん?」
サリーへのアルマの応えにパメラが微妙な反応をした。
「……でも。エドもルーも“特別な人”を既に見つけているんじゃないの? そりゃあ、友達は多いに越したことはないけれど……特別な人がいるなら浅く広い関係はほどほどでいいと思うわ」
「……え?」
「ほら、見て?」
パメラが目を遣った先を、アルマはスツールの上で振り返って見た。賑やかな笑い声が響く店内で、マリルーはメイと二人、ジュースの入ったグラスを片手に、カフェの片隅の壁に寄りかかり、クスクス笑いながら、楽し気に話している。二人の間の空気はとても親密で、暖かく見えた。
「……」
そして。
「ちょっと俺、外の空気を吸ってくる」
今までジーンやモーガン、他の参加者と話していたエドウィンが、スマホを見るなり彼らにそう告げてコートを手に取り、店を出て行った。
「彼、何度かスマホを確認していたのよ」
思わず息子を目で追うアルマに、パメラがそっと告げた。
Julius:今、店の近くにいる。出て来れるか? 黒い車だ。
Edwin:すぐに行きます!
エドウィンはユリウスからのメッセージを受け取り、返信すると急いで外に出た。冷たい夜の空気が、上気した頬に痛く感じる。雪は降っていない。店のすぐ近くに一台の黒い高級車が停まっているのに気づきエドウィンが歩み寄ると、後部座席のドアが開いて長身の男――ユリウスが姿を現した。
「……ユリウスさん」
「メリークリスマス、エド。」
エドウィンが呼び掛けるとユリウスは、見るからに上等な品であるマフラーに顎を埋めたまま答えた。
「メリークリスマス」
「ここは寒い。車に乗らないか?」
「……そうですね」
ユリウスの提案に賛同したものの車の傍らに立つ彼が動かないことから、自身が乗り込むのを待っているのを察して、エドウィンは先に開いたドアから乗り込んだ。奥のシートに座ると続いてユリウスが優雅な所作でエドウィンの隣に滑り込み、ドアを閉めた。途端、彼から高級なオードトワレがふわりと香る。
見ると運転席と後部座席はパーティション・ウォールによって遮断されており、窓になっている部分は不透明なプライバシー・ガラスで、車の後部は完全なプライベート空間になっていた。
「……」
車内灯が柔らかい光を投げかける中、その豪華さにエドウィンは圧倒されて声も出なかった。改めて、ユリウスが自分とは別世界の人間なのだと思い知る。
――何で俺、こんな人と恋人になったんだろう? 釣り合うわけがないのに。
今更ながら、怖くなる。
「イブである今夜、君に会えて嬉しいよ」
ユリウスが優しい声で、言った。エドウィンの心臓が跳ねる。ユリウスはコートのポケットから綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出し、エドウィンの手に握らせた。
「開けてみてくれ」
エドウィンが箱を開けると、中には洗練されたデザインの、スターリングシルバー製のネクタイピンが入っていた。
「これからスーツを着る機会も増えると思って」
ユリウスが微笑む。
――有名なブランド。
はっきり言って自分が身に着けるには高級すぎると思ったが、返すのは失礼だった。
「ありがとうございます。最高のクリスマスプレゼントです」
「喜んでもらえたなら嬉しいよ」
ユリウスがエドウィンの蟀谷に、雪が触れるような軽やかさで一度だけ口づけた。そのキスに、エドウィンは胸が締め付けられるように感じる。
エドウィンはユリウスから受け取ったタイピンの箱の蓋を閉めてコートのポケットに仕舞い、もう一方のポケットから丁寧に、だが少し不格好にリボンが掛けられた小さな包みを取り出した。
――ユリウスさんがくれたものに比べたら全然大したものじゃないけれど……今の俺の精一杯……
「……あなたが忙しいのはわかっているので正直、首都滞在中に、ましてイブに会えると思ってなくて、会えなかったら宅急便で送ろうと思っていたんですけど」
と前置きしてエドウィンが包みをユリウスに手渡すと。
「もう宅急便はいい」
ユリウスが笑って受け取り、リボンを解いて包みを開ける。中に入っていたのは上質な、けれどユリウスが普段身につけるブランド品に比べれば遥かに素朴なダークブラウンのレザー製キーケースだった。
「俺からはこんなものしか……」
「……君が、選んでくれたのか?」
「はい。……まあ、その。あなたに相応しくないのはわかっています。でも、よかったら……」
「いずれ買う予定のセカンドハウスの鍵入れにしようと思う。ありがとう、エド」
ユリウスはエドウィンの身体に腕を廻してそっと抱き寄せ、彼の耳元で囁いた。
二人が寄り添ったまま幾ばくかの時が過ぎて。
「……俺、そろそろ戻らないと」
「……そうだな」
ユリウスは名残惜しそうに腕を解き、スイッチを操作してドアを開けると外へと出た。エドウィンも彼に続いて車の外に出る。
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
エドウィンはユリウスと離れがたく思う気持ちを振り切って踵を返し、雪が静かに舞う冷気の中、家族のいるカフェへと足を踏み出した。程なくして後ろで車のドアが閉まる僅かな音と、発進するエンジンの音がした。エドウィンは歩きながらコートのポケットの中の小箱の硬さを掌に確かめた。
*
夜勤明けの翌日二十五日、早朝に帰宅したトーマスは寝静まっている家人を起こさぬように寝室に入り、着替えを済ませると自分のベッド、アルマの隣に潜り込んだ。
昼近くなって目を覚ますと、隣に妻はいなかった。トーマスは寝室のバスルームで身支度を整えてからリビングに通じるドアを開けた。
「おはよう、あなた。今、起こしに行こうと思っていたところよ。昼食にパンケーキを焼いたの。一緒に食べましょう」
テラス窓から差し込む冬陽を浴びたアルマがこちらにやって来るところで、彼女を眩しく思いながら、トーマスは挨拶を返して皆が待つ食卓に着いた。祝日に家族皆が揃っているという奇跡を思わず天に感謝する。
「昨夜のカフェ・パーティーはどうだった?」
「それがね、トム。驚くような再会があったのよ。去年のお菓子作り講座に来ていたジーンが訪ねてきてくれて……」
トーマスが焼きたてのパンケーキにナイフを入れながら尋ねると、アルマが弾んだ声でジンジャーブレッドクッキーが入った紙袋から始まった不思議な再会劇を語って聞かせた。ジーンが勇気を出して店に戻り、自分と涙ながらに旧交を温めたこと、そして彼女がまた自分らしく歩き出す決意をしたことを。
「そうか。それはいいイブになったな」
トーマスが穏やかに微笑むと隣に座るエドウィンに目を向けた。
「エド、お前はどうだった? 楽しめたかい?」
「うん。素敵なお店で……参加者もフレンドリーな人ばかりだった」
「「……」」
昨夜のパーティーで彼が『外の空気を吸ってくる』にしては不自然なほど長い時間、戻ってこなかったことにアルマもマリルーも気づいてはいたが、何も言わなかった。
「アルマ、このパンケーキは絶品だな」
メイプルシロップをたっぷりかけたパンケーキを頬張りながらモーガンが賞賛する。
「ありがとう、父さん。……あ、そうだわ。メイ、もしよかったら、あのジンジャーブレッドクッキーのレシピ、教えるわね」
「本当ですか!? ありがとうございます、アルマさん!」
メイは目を輝かせた。今、彼女の心は孤独に怯えていた数日前が嘘のように、この部屋を満たす家庭の暖かさで満たされていた。
(Ⅲに続く)




