第十話「ハーバータウンの週末」前編
ある土曜日の午前。片手にコートと手土産の入った紙袋を持ち、もう一方の手に小型のキャリーケースを引いたクラリッサが、兄ユリウスが待つ自宅のガレージハウスに現れた。
「お待たせ! 兄様」
「では、行こうか」
黒のハイネックニット、ベージュのチノパン姿のユリウスが妹の荷物をトランクに詰み、運転席に乗り込む。クラリッサはコートと手土産を後部座席に置くと助手席に座った。
二人が乗る車は機能性に優れ、一般家庭でもかなり所持されているセダンで、初夏にハーバータウンを訪れた時も使った、ユリウスのセカンドカーである。プラチナグレーメタリックの車体が兄妹の亜麻色の髪に合っていた。
「ハーバータウンってどんなところかしら?」
クラリッサがウキウキした様子で話す。
数日前。会話の流れから、週末に一泊二日でハーバータウンに小旅行に行く旨を話したユリウスは、妹の『私も連れて行って』というオファーに最初は戸惑ったものの、最終的にはOKした。エドウィンによると祖父にはまだ交際していることを話してはおらず、“友達として”遊びに来て欲しいとのことで、それならばクラリッサも一緒の方が“らしい”と思ったからだった。
「クララ、何度も言うようだが……」
「『交際のことはお祖父様には内緒』でしょ? わかってるわ」
「それならいい」
ユリウスはガレージハウスのシャッターを開け、車を発進させた。
暫く車を走らせて、ユリウスとクラリッサはハーバータウンに到着した。
ベネット家の前庭に車を停め降りると、晩秋の涼しい風が二人の頬を撫でる。
「おお、よく来たのう」
庭の水やりをしていたモーガンが二人の方へとやって来ると、以前に一度顔を合わせているユリウスと静かに微笑み合った。
「お久しぶりです、モーガンさん。二日間お世話になります。こちらは妹のクラリッサです」
「クララと呼んで下さい。お世話になります」
とクラリッサは礼儀正しくお辞儀した。
「エドとルーの祖父モーガンだ。よろしく」
「これ、お口に合うといいのですが……」
と言ってユリウスが持参した箱入りのプレミアムぶどうジュースのギフトセットを差し出すと、兄に合わせてクラリッサも箱入りの焼き菓子を差し出す。
「おお、これはこれは……どうもありがとう。さ、中へ」
モーガンはそれらを受け取り、二人を家の中へと導いた。
「ユリウスさんにクララさん、いらっしゃい!」
「ようこそ。ゲストルームに案内します」
モーガンが二人の到着を告げると、家の奥からマリルーとエドウィンが出てきて明るい声を上げた。モーガンとマリルーは案内をエドウィンに任せて奥に引っ込んだ。
「ゲストルームは一つしかなくて。二人一緒の部屋でもいいですか?」
玄関からほど近い場所にあるゲストルームに来ると、エドウィンが申し訳なさそうに言う。部屋は幅広二段のパインラックと木製ハンガーラック、小机の他にベッドが二つ並んでいるだけの簡素な部屋だった。
「構わない」
「問題ないわ」
ユリウスとクラリッサがそれぞれ返す。エドウィンはほっとしたように。
「よかった。ここ、祖母が亡くなるまでは祖父母の寝室だった部屋なんです。今はじいちゃん、奥の小さな部屋を使っていて……あ、バスルームは隣にあるので自由に使って下さいね」
「わかった」
「では、荷物を置いたら道場を案内します」
エドウィンは次に二人を自宅の隣の建物へと導いた。道場は自宅と同じくらいの広さの平屋で、高窓から外光が差し込んでいて明るい。
「立派な道場だな」
「何だか身が引き締まるわね」
兄妹が感想を言うと、エドウィンが彼らを振り返った。
「ここで祖父は平日の夕方4時から夜8時まで、生徒の年齢や大まかな実力で分けられたクラスごとに武術教室を開いていて、俺も時折、補助指導員として祖父の教室を手伝っています」
「……そう言えばエド。君は将来、教職の傍ら副業で武術教室をやりたいと言っていたが、モーガン殿の道場を継ぐということか?」
「ええ、まあ。本当はじいちゃんも自分の子供に継いで欲しかったんですが、母は女性で、武術にも興味なくて……」
「素敵だわ!」
ユリウスの『エドに故郷を離れさせることはできないな』という落胆を聡くも感じ取って、すぐさまクラリッサが明るく言った。そんなことは知らず、エドウィンが彼女の言葉に微笑む。
「そうかな?」
「ええ。エド、道場を続けてきたお祖父様も、道場を継ぎたいというあなたの思いも立派よ。応援してる!」
「はは、ありがとう。クララさん」
エドウィンは嬉しそうに笑った。
エドウィンと兄妹が自宅に戻ると、リビングでは開封した手土産を前に、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「ユ、ユリウスさん、このクッキー、どこで買ったんですか!?」
「私ではなくクララが買ったのだが。クララ、どこで買ったんだ?」
「焼き菓子の個人販売“ルビー”よ? メイさんの店と同じ名前だな、って思って。口コミを調べたら評判が良くて買ってみたの」
手土産に対するマリルーのリアクションに兄妹が不思議そうな顔をする。
「それ、きっとうちの母です!」
「「え!?」」
兄妹が目を見張る。
クラリッサの話によると、首都リーガル・シティの“ルビー”は焼き菓子を配達や発送で販売しているとのことだった。
「まさかアルマが首都でも菓子作りをしているとは……」
モーガンが感慨深く呟く。
「そうだ! このクッキー、メイにも持って行ってあげましょ? ユリウスさん、クララさん、今日の昼食はコーヒーショップ“ルビー”に行きませんか?」
「いいわね!」
マリルーの提案にクラリッサが賛成し、ユリウスも微笑み頷いた。
お昼時。双子と兄妹の四人は歩いてルビーに向かった。
「静かだけど寂れた感じのしない、良い雰囲気の街ね」
歩きながらクラリッサが感想を言うと、ユリウスが頷いた。
「ああ。私もそう思う。ハーバータウンはとても……素敵な処だ」
「「……」」
外から来た友人にストレートにホームタウンを褒められて双子は面映ゆくなり、つい黙り込んでしまう。
やがて四人はルビーに着いた。前もってマリルーに連絡をもらっていたメイが明るい笑顔で出迎える。
「いらっしゃいませ、ユリウスさんにクララさん、お久しぶりです」
「「こんにちは」」
兄妹も笑顔で挨拶を返し、ちょうど4つのカウンター席が空いていたので、4人はそこに並んで掛けた。
「実はメイに見せたいものがあるの」
マリルーが企みを隠し切れない笑顔で片手に抱え持っていた紙袋をカウンターに置く。
「これは……?」
「開けてみて?」
マリルーに促され、不思議そうな顔でメイが紙袋を開けると。
「ミックスナッツクッキー? ……!! このナッツの配分にクッキーの大きさと厚さ……これってまさか……」
「そう、そのまさか、よ」
マリルーの言葉にメイが驚いて顔を上げた。
「アルマさんのクッキー?」
「そう。クララさんの手土産なんだけど、お母さん、リーガル・シティでも焼き菓子の販売をしているんですって。たくさんもらったからメイにもあげるわ。後で食べて?」
「うわあ……どうもありがとう。……あ、すぐにランチセット、用意するわね」
メイは感動してクッキーを見つめたが、すぐに我に返って昼食の準備に取り掛かった。
「このパン、とっても美味しい!」
ランチセットを食べながらクラリッサが少々オーバーリアクション気味に褒める。そしてやや声を潜めると。
「……ねえ、メイ。明日はお店休み?」
「ええ。日曜日は定休日よ」
メイの応えを聞いてクラリッサは身を乗り出した。
「それなら。お礼はするから、明日パンの作り方を教えてもらえないかしら?」
「え? ……ええ、教えるのは構わないけれど、お礼はいいわ。ユリウスさんにはいつもエドとルーがお世話になっているし」
「本当? 嬉しい! それなら明日の午後二時からでいい?」
「いいわよ」
クラリッサが上機嫌で約束を取り付けた後、兄の方を向き。
「兄様は私に構わずエドたちと観光していいわよ。……もちろん、パン作りに興味があるなら別だけど」
妹がぱちん、とウィンクしたことでユリウスは彼女の意図を察した。つまり、彼女は“気を利かせた”のである。
「ではその間、私は観光することにしよう。お前はパン作り体験を楽しむといい」
ユリウスが微笑んで言うと、マリルーもクラリッサの意図に気づき声を上げた。
「あ、私もパン作り参加させて? お菓子作りは何度か習ったけど、パンはまだ習ってなかったな~、って思って」
そして隣の兄を小突き小声で囁く。
「その間エドはユリウスさんとデートしなよ」
「ルーも? もちろん大歓迎よ。それなら三人でパン作り、しましょ?」
そして一部始終を見ていたメイがにっこりと笑って言った。
ルビーで昼食を済ませた後、四人は一旦ベネット家に戻り、エドウィンの車で街を観光することにした。
「ハーバータウンの名所、港の古い倉庫街です。ここは写真家に人気のスポットで、現在はギャラリーになっている赤レンガ倉庫もあります」
港近辺の公営駐車場に停めながら、エドウィンが説明する。車を降りると、晩秋の午後の陽の光は思いのほか、眩しかった。
彼らは港の方、ヴィンテージレンガ壁の倉庫群が埠頭に深い影を成す倉庫街へと歩いて行く。かつては物流の拠点だったこの場所も、今は観光地として特に写真家が訪れる場所になっていた。
「古い倉庫の屋上に展望デッキがあるんです」
そう言ってエドウィンがマリルーとともに兄妹を展望デッキへと案内する。週末とは言え観光客もまばらで、眼下には冬の準備を始める港、その先には白波が立つ青い海が広がっており、冷たい海風が四人の間を吹き抜けた。
「……美しい眺めだ」
オフホワイトのトレンチコートを羽織ったユリウスが呟く。秋晴れの空を背景にした彼は映画のワンシーンのように見え、
――こうして俺の街にユリウスさんがいるのが、なんだか不思議な感じがする。
エドウィンは思う。そんな静かな時間を遮ったのは、階下から聞こえた鋭い罵声だった。四人が何事かとデッキから見下ろすと、古びたレンガ壁の倉庫群の中でひときわ目立つ赤レンガ倉庫の入り口で、若い男が一眼レフカメラを抱えた女性を酷く罵っていた。
「行こう!」
エドウィンが駆け出すと、他の三人も無言で続いた。
現場に到着すると、男は必死に訴える女性のカメラを奪い取ろうとしていた。
「おい、今そこで俺の顔を撮っただろ! データを消せって言ってんだよ!」
「撮ってません! 私はただ、撮影の練習を……っ」
エドウィンは割って入り、冷静に告げた。
「そのへんにしておけ。彼女は広角レンズを使っている。その距離で人物を特定できるような写真は撮れない。嘘だと思うなら、警察を呼んで確認してもらおうか?」
「何だと?」
男が凄んだ顔で振り向いたが、エドウィンの他に彼より長身のユリウスと、更に警察に通報しようとするかのようにスマホを手にするマリルーを見てぎょっとした。
「彼の言う通りだ。それとも、撮られては困るようなことでもあるのか?」
ユリウスの低く落ち着いた声は、暴力よりも遥かに重く響いた。男は舌打ちをして、逃げるように去って行った。
「ありがとうございます……!」
女性が四人に何度も礼を言っているときに。
「……ん?」
エドウィンはふと地面に落ちていた紙切れに気づき、それを拾い上げた。
「これ、さっきの男が……?」
見るとそこには、ハーバータウンの地図と、いくつかの家屋に印がついていた。
「……もしかして。空き巣の下見?」
「エド、警察に届ける?」
紙切れを覗き込んだマリルーが言うが、エドウィンは首を横に振った。
「怪しいってだけで確証がない。男の写真もないし。ユリウスさんとクララさんを放ってまで……でも念のため、じいちゃんに紙切れの写真と今起こったことをLINEしよう」
エドウィンは紙切れの写真を撮り、メッセージを添えてモーガンに送信した。
カメラの女性と別れてぶらぶらするうちに、四人はギャラリーの赤レンガ倉庫が通り沿いにある、比較的広い通路にやってきた。潮の匂いが香る通路には三脚を立てたカメラ愛好家たちが夢中でファインダーを覗いていて、シャッター音だけが静かに響いている。
「んー…ここ、ノスタルジックな雰囲気がいいわね」
クラリッサが伸びをしながら話す。午後の斜光が、美しいウィンテージ赤レンガの凹凸をくっきり浮かび上がらせていた。
四人もスマホを使い、何枚か写真を撮った後、赤レンガ倉庫のギャラリーを訪れる。公営のため、入場料は安価である。中に入ると、壁面と展示パネルには様々な絵や写真が展示されていた。有名な画家や写真家のものはなく、街の住人による、街の写真や風景画のみ。ここでイベントの企画や、挙式することもでき、その際にはパネルは撤去されて広い空間になる。
「夏の港街フードフェスではここはフードコートとして使われています」
今年の夏はリゾートバイトでいなかったが、去年まで毎年、双子は母とメイのフェスへの出店を手伝っていた。
「ほお。それは楽しそうなイベントだな」
「いいわね。いつか来てみたいわ」
エドウィンの解説に兄妹が答え、だだっ広い倉庫を見回す。彼らの頭にはこの大きなギャラリーが一大イベント会場になる光景が浮かんでいることだろう。
一通り展示物を見終えると四人は外に出た。――だが。外では一人の中年男性を中心に、小さな騒ぎが起こっていたのだった。
(後編に続く)




