第八話「湖畔の避暑地」Ⅴ 揺れる想いの行方
夏休み編、最終話です!
最終的にリチャード=カーニーはすべてを話した。ソフィアに言われてこのホテルに来たこと、ユリウスの周囲で人為的な事故を起こしていたことを。
「ソフィアから頼まれたんだ! 金が欲しかったんだ!」
悲愴な顔で叫ぶリチャードをユリウスはじめスタッフは痛ましく見つめた。
そして次にユリウスはエドウィンとタビサ二人のみを同席させてソフィアにも事情を訊いた。
「ソフィア。どうしてこんなことを」
「ユリウス、本当はあなたと結婚したかったのよ!」
取り乱した様子で叫ぶソフィアにユリウスが当惑して尋ねる。
「君は僕との結婚に乗り気ではなかったじゃないか」
「求められている実感が欲しかったの! 気のない素振りを見せても追いかけてきて欲しかったのよ! ……リチャードにあなたの周囲で事故を起こすように言ったのは、不安に押し潰されそうになっているあなたの前に現れて、心を得たかったから。決して怪我をさせるつもりはなかったの」
ソフィアが泣きながら弁明するが、ユリウスは眉を顰めてかぶりを振った。
「……ソフィア。君に悪意はなかったとしても、エドを脅したのは許せない。もう、君を友達とは思えないよ」
「ユリウス……」
震える声で言い、ソフィアは泣き崩れた。
「エド! 待ってくれ!」
長い一日が漸く終わり、地下の食堂で遅い夕食を取ろうとオフィスを出たエドウィンをユリウスが呼び止めた。
「ユリウスさん……まだ何か?」
「この騒ぎで夕食がまだだろう? 私に奢らせてくれないか?」
いつもなら遠慮するところだが、疲れていたことと、ユリウスの人間関係のゴタゴタに巻き込まれたのもあって、エドウィンは頷いた。
二人でホテル2Fのレストランに行くと、奇しくも案内されたのは昼間ユリウスとソフィアが会食した、パノラマウィンドウから湖が見渡せる窓辺のテーブルだった。夕食時間のピークを過ぎているため、客はポツポツとしかいない。
オーダーを済ませると、ユリウスはエドウィンに改めて向き直った。
「……今日のこと、本当に済まなかった。ソフィアに君のことを話してしまったばかりに、君が怖い目に……」
「いえ、もういいんです。むしろ、そのおかげで今回の件を解決できたわけですし。“怪我の功名”ってヤツですよ」
そう言ってエドウィンは笑い、ふと疑問に思ったことを思い出した。
「ところでユリウスさん、なぜボートハウスに来たんですか?」
――部屋の外が危険だからという理由で今日一日ボディガードとしてついていたというのに、なぜ部屋に送った後、外に出たんだろう?
「たまたまあのときバルコニーにいたんだ。そうしたら君とカーニー氏がボートハウスに向かって歩いて行くのが見えた。何だか胸騒ぎがして……思わず駆け出していた」
「……」
――もしも。カーニー氏が凶器を持っていたら……
鉢植えの件も含めて傷つける気がなかったとは言え、追い詰められて逆上することは決してありえないことではなかった。エドウィンはそこまで考えて急に……怖くなった。
――失うかもしれなかった? この人を?
「エド、どうした? 顔色が悪いぞ」
「い、いえ……」
片手で口元を覆いながら、自身が震えているのを自覚する。そのとき、エドウィンはテーブルに置いていた手に暖かさを感じ、ユリウスの大きな手が彼の手を優しく包み込んでいるのを見た。
「……すまない、エド。怖い思いをさせて……」
エドウィンが口元の手を下ろし、目を上げると、真摯な鳶色の瞳が彼を見つめていた。顔が熱くなるのを感じて、エドウィンが思わずテーブルに置いた手を引っ込める。
「いえ、違うんです」
「違う?」
ユリウスが怪訝な顔で問うが、エドウィンは何も言えずに俯いてしまった。ユリウスも無理に問い詰めるようなことはせずに、沈黙したまま幾ばくかの時が過ぎた。
「お待たせしました」
ウェイターが運んできた料理を見て、二人は急に空腹であることを思い出し、早速食べ始めた。
「うわ、美味しい! まかないとは大違いだ。……あ、失礼」
「はは、まあ、そうだろうな」
美味しい料理に一気に和やかな雰囲気になり、エドウィンのリアクションにユリウスが顔を綻ばせる。
二人は時折言葉を交わしながら食事を楽しみ、食べ終えた頃に食後のコーヒーが出された。
「ああ……メイと暫く会ってないな。元気にやっているかな」
コーヒーを一口飲んでメイのことを思い出し、エドウィンが懐かしそうに言うとユリウスも微笑んだ。
「彼女の淹れるコーヒーは絶品だ。また飲みに行きたいものだな」
「え……本当ですか? メイも喜びます」
――あ。
そう口にした瞬間、エドウィンは気づいてしまった。自分自身もユリウスがハーバータウンに来ることを嬉しいと思っていることに。そしてそのとき何故か……彼と出会ってから今までのことを走馬灯のように思い出した。
いつもさり気なくサポートしてくれること、自分と妹のことを理解し認めてくれていること、そして学園祭でクラリッサが迷子になったときの狼狽した顔も。
――あ……
ボートハウスに駆け付けたときの彼は、あのときと同じ顔をしていた。その瞬間、エドウィンはユリウスが息急き切ってあの場に現れた理由を理解した。途端に、胸がいっぱいになる。
「ユリウス、さん……」
もはや、自分の気持ちに向き合わずにはおられなかった。
「うん?」
「今ここで、あなたがバイト初日に俺にした提案にお返事しようと思います」
エドウィンが意を決して口を開く。
「……正直に言うと俺、今まで誰かを恋愛対象として『好きだ』って思ったことがなくて。ましてあなたは男性だし、俺にとってはずっと頼りになる兄のような存在でした。でも今回のことでわかったんです」
ユリウスは真剣な表情で耳を傾けていた。エドウィンが続ける。
「もし……カーニー氏がもっと危険な行動に出ていたら……って考えたんです。あなたが傷ついたり……あなたを失うようなことを想像したとき……とても……怖くなって……」
そこでエドウィンは一度言葉を切った。そして真っすぐにユリウスを見つめる。
「……ボートハウスで。カーニー氏に二度とあなたに関わるなと言われて俺、目の前が暗く閉ざされたように感じたんです。……いつの間にかあなたは俺の中でかけがえのない存在になっていました。だから、その……」
エドウィンが頬を染める。
「あなたが提案した……『お互いに恋愛対象に成り得るかどうか、試して』みようと思います」
ユリウスは言葉を失い、鳶色の瞳を大きく見開いて、信じられないというようにエドウィンを見つめ返した。長い、深い沈黙が二人を包む。……そして。
「……エド」
誠実で前向きなエドウィンの返事に、晴れやかな笑顔を浮かべて、ユリウスはやっと想い人の名を喉から紡いだ。嬉しくて泣いてしまいそうだった。
「……ありがとう。これからもよろしく。エドウィン=ベネット」
「こちらこそ」
ユリウスが手を伸ばし、テーブルの上のエドウィンの手を優しく包み込む。今度は引っ込められることはなく、手を触れあったまま二人は微笑み合った。
*
翌朝。クラリッサは起きてきたマリルーに上機嫌で話し掛けた。
「兄様からLINEが来たわ。エドと交際することになった、って。ちゃんと話してくれたのね?」
「……へ?」
昨日はエドウィンがオフィスに戻る前に勤務時間が終了したため先に上がってしまい、彼は食堂にも来なかったので結局、話せなかった。マリルーの戸惑いを余所にクラリッサが続ける。
「植木鉢落下事件も解決したから、もう部屋の外へ出られるわ」
「え!? 解決したんですか?」
嬉しそうに話すクラリッサにマリルーが驚いて訊き返す。
「ええ。エドが共犯者をねじ伏せて、兄様たちが尋問した結果、芋づる式に主犯もわかったそうよ。お手柄ね♪」
クラリッサはそう言ってにっこりと笑った。
マリルーがオフィスに出勤すると、タビサがオロオロしながら見守る中、ユリウスが電話口で苛立たしげに話しているところだった。
「トラブルだと? そのくらい自分たちで何とかできないのか?」
ユリウスがイライラしながら亜麻色の髪を掻き揚げる。その後も暫く応酬は続いたが結局。
「……わかった。これから戻る」
と力なく言い、受話器を置いた。そしてマリルーの方を向く。
「エド、打ち合わせがしたい」
「はい。」
――エド?
聞きなれた声にマリルーが振り返ると、いつの間にか後ろに兄とライリーが突っ立っていた。ユリウスに気を取られて、彼らがオフィスに入ってきたことに気づかなかったのだ。
「ではロビーへ。タビサ、暫くエドを借りるぞ」
ユリウスが言い、彼と共にオフィスを出て行った。
「エド、すまない。本社に戻らなければならないんだ。せっかく残りの夏を君とここで過ごせると思ったのに……」
ロビーの片隅で声を抑え、至極残念そうにユリウスが言い、不安を湛えた目でエドウィンを見つめた。
「……その。私たちはこれから……」
エドウィンと晴れて交際することになり、これからは毎日彼とプライベートで会えると思っていたため、昨夜のディナーでは先のことを何も話していなかった。ユリウスとしては、物理的に離れることで交際が自然消滅するのは何としても避けたかったのだが。
「俺、車を買います」
皆まで言う前にエドウィンがきっぱりと言い、彼の言葉にユリウスが目を見張る。
「く……車?」
わけがわからずに聞き返すと、エドウィンは明るく笑った。
「自分の車があれば、ルーの都合に関係なく動けます。大学も別々に通えるし、講義が終わった後、あなたに会うこともできる」
「エド……」
エドウィンが“会えないなら仕方ない”ではなく、“会うための手段”を考えてくれたことにユリウスの胸が熱くなる。
「……そのためにバイト、最後まで頑張りますよ。だからユリウスさんもお仕事、頑張って下さい」
「わ……わかった。……あ、待ってくれ」
話は終わったものと、にっこり笑って踵を返そうとしたエドウィンの肩をユリウスは思わず掴み、彼を目の前に留めた。
「? まだ何か……」
「暫く会えないから、その……」
言い淀むユリウスをエドウィンが不思議そうに見ると、束の間の逡巡の後、続けた。
「キス……してもいいか?」
「……」
キス。交際していれば普通にするはずのことだったが、これからやっと『お互いに恋愛対象に成り得るかどうか、試して』みようとする段階で打診されてエドウィンは当惑してしまう。
「……でも。ここでは人目があります」
だから、そう言ってやんわり断った。――つもりだった。
「では私の部屋に行こう」
「え……」
ユリウスがエドウィンの肩を抱き、エレベーターへと向かう。戸惑いつつもエドウィンはユリウスとエレベーターに乗り、肩に触れる彼の手に動悸が激しくなった。
やがて。エレベーターが最上階に着き、エドウィンは手を引かれてユリウスの部屋へと入った。
部屋は、広くて豪華なツインルームだった。奥のテラス窓が青空を切り取った絵画のように見える。部屋の奥へと歩きながら、ユリウスが口を開いた。
「……本当は。ライリー君がいなければ、クララとルーのように私も君とルームメイトになろうと思っていたんだ」
「え……?」
窓辺で歩みを止めて、ユリウスが呟く。
「君とこの部屋で過ごしたかった」
エドウィンを振り返ってユリウスは痛々しい笑みを浮かべた。だが次の瞬間、幸福そうに微笑んだ。
「……それは叶わなかったが、君と交際することになって、とても嬉しく思っているよ」
「ユリウスさん……」
手は軽く繋がれたままだった。その手を引かれ、空いた手で首の後ろを引き寄せられて……
「……!!」
触れた唇は、柔らかく温かかった。初めてのことにエドウィンが硬直するが、永遠のようにも思えた瞬間はやがて去り、気が付くと自身を見下ろす鳶色の瞳と目が合った。
「……これで。君と離れても今のキスを支えに頑張れそうだ。……少しの間は」
そう言って寂し気に笑うユリウスにエドウィンは愛しくて堪らなくなって。
「!」
ユリウスの貌を引き寄せ、背伸びして口吻けた。一瞬驚いたユリウスもすぐに応え、エドウィンの腰を優しく掴む。何度も触れ合わせるうちに息が苦しくなって、一旦離れて見つめ合った。無言のまま、どちらもオフィスに戻ろうとはせず、互いの唇に目を遣ったのを合図に再び触れて。
そしてそれは、なかなか戻ってこない二人を心配したタビサが彼らのスマホを鳴らしたことで漸く終わったのだった。
*
八月下旬にクラリッサは高校の夏休みが終わるためリゾートを去り、マリルーは従業員の女子寮へと移った。同時期に夏休みが早く終わる学生アルバイトが多く去ったことで、彼女が個室を確保できたのは幸運だった。そして……
「客室係!?」
ライリーが顔を顰めて不満そうな声を上げた。
「エドとルーはホール係なのに?」
「適材適所よ。構わないでしょ? SPSのときと同額の給与が出るのだから」
とタビサがやれやれ、と言った風に説明する。夏の終わりとともに避暑に来ていた長期滞在者のほとんどがホテルを去ることと、学生アルバイトが去った仕事の穴埋めで三人は九月から別の仕事を割り振られることになった。エドウィンはレストランのウェイター、マリルーはラウンジのウェイトレス。ホール係はチップももらえる華やかな仕事だ。それに引き換え、客室係を振られたが故の不満だったのだが、SPSと同額の給与をもらえると聞いてライリーは渋々納得した。
「わ……わかったよ」
「よろしい」
タビサが満足そうに微笑んだ。
それから三人は九月下旬までリゾートで働き、休日はカヌーやハイキング、ドライブをして思い出を作り、大学一年目の夏休みを目一杯、充実して過ごしたのだった。
~第八話 終わり~
お話はまだまだ続きます。




