第八話「湖畔の避暑地」Ⅳ 過去からの来訪者
翌日。マリルーの最初の巡回はライリーとペアだった。それ故にクラリッサとの約束通り、エドウィンとペアになる二度目の巡回でユリウスのことを話すつもりでいたのだが。
「ユリウス様が襲われたの」
マリルーが巡回を終えオフィスに戻ると、待ち構えていたようにタビサが硬い表情で言った。既に聞いていたのかエドウィンも強張った顔をしている。
「襲われた、って……」
「ユリウス様目掛けて上階から植木鉢が落ちてきたのよ。……実は数日前にも同じことがあって。大事にしたくなくて、警察には通報していないの。警備を強化するなどできる限りの対策はしていたのだけど、今朝また同じことが起こった……」
タビサが続ける。
「こうも立て続けに起きると、ユリウス様が狙われている可能性は否定できない……。クラリッサ様にも念のため部屋から出ないようにしてもらってはいるけれど、ユリウス様は仕事柄、部屋の外に出なければいけないこともある……けれど正式なセキュリティ・ポリスには依頼できない。そんな物々しい人たちを連れ歩くユリウス様を見れば、宿泊客は不安を覚えるでしょう」
「じゃ、じゃあ、どうすれば……?」
ライリーが困ったような顔で訊くとタビサはエドウィンに向き直った。
「エドウィン。今日から暫くの間、ユリウス様が部屋の外に出るときは彼についていてほしいの。SPSのあなたなら連れ歩いても不自然ではない……武道の心得もあると聞いたわ」
「そんな……危険じゃないですか?」
「いくらエドが師範クラスの実力だと言っても……」
「わかりました。俺で力になれるのなら……」
マリルーとライリーが心配そうに訴えるが、エドウィンは力強く頷いた。
「引き受けてくれてありがとう。でもあなたは期間アルバイトの学生よ。決して無理はしないこと」
「はい」
「……それで今日の予定だけど。ユリウス様が部屋を出てこなさなければならない仕事は二件。正午の会食と夕方に開催される、ホテル宿泊客を対象としたレセプションパーティーよ。時間になったらあなたはユリウス様を部屋に迎えに行き、同行して」
「わかりました」
「あと。巡回に行ったら、思わぬトラブルに巻き込まれるかもしれない。エドウィン、あなたは今日はオフィス待機でいいわ。巡回はマリルーとライリーに任せましょう」
「「「了解しました」」」
タビサの説明から仕事の割り振りには納得できたものの、それによりマリルーは兄と話す機会が遠のいてしまったのだった。
正午近く。ユリウスを迎えに行く時間になって、エドウィンはホテル最上階にある彼の部屋を訪ねた。
「すまない。君にこんな役目を……」
部屋から出て共にホテル内のレストランに向かう途中、二人で乗ったエレベーターの中でユリウスは謝罪の言葉を口にした。
「謝らないでください、ユリウスさん。俺は、あなたの役に立ちたいんです」
「エド……ありがとう」
エドウィンの真摯な言葉にユリウスが微笑む。そして少しの間の後、口を開いた。
「実は……会食の相手というのが、私の結婚相手の候補だった女性なんだ」
「え?」
――ユリウスさんにそんな人が? ……いや、全然あり得ることじゃないか。
エドウィンは少しばかり動揺したものの、すぐに落ち着きを取り戻す。
「彼女……ソフィアは私との結婚に乗り気ではなかった。だからその話は立ち消えになったんだが……昨日突如、今日会えないかと連絡が来て……」
ユリウスは小さく溜息を吐いた。
「彼女とは今も友達で、家同士の付き合いもあって無碍に断ることもできずに、物騒な事故が周りで起こっているにも拘わらず、こうして部屋から出て会食に向かっているわけだが」
「……でも。今日のあなたは何となく嬉しそうに見えます。事故のせいでもっと落ち込んでいるかもと心配していたので、安心しました」
「嬉しそうに? それは……」
ユリウスが言いかけたところで、エレベーターがレストランのある2Fに着いた。
レストランはラウンジと同じく、パノラマウィンドウからターコイズブルーの湖を見渡せる、広く豪華な造りだった。落ち着いたモスグリーンの床に白いクロスが掛けられた円テーブルがドット状に置かれている。
「悪いが私がソフィアと会食する間、壁際にいてくれないか?」
ユリウスが済まなそうに言うが、もとより同席するとは思っていなかったエドウィンは頷き、静かに離れて目立たずに彼らを見守ることのできる場所へと移動した。
エドウィンが離れるとユリウスは窓辺のテーブルに座る、淡いピンクのフローラルプリントで彩られたサマードレスを着、緩いウェーブのかかったブロンドベージュの長髪をアップスタイルにした、若く美しい女性の方へと歩いて行く。
「! ……ユリウス。久しぶりね」
「やあ、ソフィア」
女性が気づき顔を上げるとユリウスが挨拶し、向かいに座る。スーツ姿のユリウスと美しいソフィアは完璧なカップルに見えた。
「ホテル・リュミエールにようこそ。君がレイクサイド・クレストに来るなんてどういう風の吹き回しだい? 今まで一度だって来たことがなかったのに」
「別に。一度来てみたかったの。避暑地として人気があるのがよくわかるわ。暫く滞在する予定よ」
「ふうん?」
そのとき、ウェイターが注文を取りに来たので二人は“シェフのおまかせランチ”をオーダーした。
「……ところで。何か変わったことはあった?」
ウェイターが行ってしまうと、ソフィアが声をひそめて尋ねる。
「変わったこと? いや、特に何も。ホテルの経営は順調だ」
「……そう。それにしても。今日のあなた、何だか嬉しそうね。いいことでもあったのかしら?」
ソフィアが何かを期待するような目でユリウスを見る。
「ああ。好きな人と同じ場所で過ごせているからね」
「ユリウス……それは、私と会えて嬉しい、ってこと?」
「……え? いや、そういう意味じゃない。想い人が夏の間ずっとこのホテルに滞在しているんだ」
「想い人、ですって?」
ソフィアが驚いて目を見張る。
「ああ。春に出会ったんだ。一目惚れだった。ゆくゆくは恋人になりたいと思っている」
「……まだそうではないのね?」
ソフィアが冷静に確認すると、ユリウスは微笑みながら頷いた。
「今はね。でもきっとそうなれると信じている」
「……彼女も今夜のレセプションパーティーに来るの?」
「ああ。……正確には彼女ではなく彼、だが」
ユリウスが軽く肩を竦める。
「そう言えば。あなたはバイセクシャルだったわね。……パーティーであなたの想い人に会うのが楽しみだわ」
ソフィアは思い出したように不遜に口元だけで微笑んだ。
ほどなくして運ばれてきた料理を食べながら、二人は他愛ない話をして笑い合い、会食を終えた。
「また後でね」
「では後で」
別れ際にソフィアが言い、ユリウスは軽く手を振って答えた。
「エド。待たせてしまったな。何か御馳走しよう」
ソフィアの姿が見えなくなるとユリウスはすぐにエドウィンに歩み寄り、申し出たが。
「いえ。あなたを部屋まで送ったら、地下の従業員食堂で食べるのでお気遣いなく。さあ、部屋へ戻りましょう」
エドウィンが答え、エレベーターの方へと歩き出した。
「エド……仕事初日の夜に話したことだが……」
部屋へと戻る二人きりのエレベーターの中で、ユリウスが躊躇いがちに切り出す。
「少しは考えてみてくれただろうか?」
そう問われて、エドウィンははっとした。実際、何度か考えようとはした。だが何をどう考えて結論を出せばいいのかわからず、つい後回しにしているうちに結局、『少し』も考えられていなかった。
「……いえ、まだです。ごめんなさい。仕事のことで頭がいっぱいで……」
「そうか……」
ユリウスは微笑んだが、その笑みは少し寂しそうに見えた。エドウィンの胸がずきりと痛む。
「君が戸惑うのは当然だ。私の方こそ、急に踏み込みすぎたかもしれない。君を困らせるつもりはないんだ」
ユリウスはエドウィンを安心させるようにそっと肩に手を置いた。
レセプションパーティーは夕方の一時間、ラウンジで催されることになっており、ディナー前のイベントのため、ワンドリンクとテーブルにはカナッペやスライスチーズの盛られた皿が用意されているだけのごく気軽なものだった。
開催時間になり、専属スタッフが奏でる落ち着いたグランドピアノの音色の中、スーツやイブニングドレスに身を包んだ多くの宿泊客たちがラウンジへとやってきた。カウンターで飲み物をもらい、グラス片手に談笑し合う中、ダークグレーのスーツ姿のユリウスが現れて、彼の存在に気づいた客からどよめきが伝わった。どうやらほとんどは常連客で、彼とは知り合いらしい。エドウィンはユリウスの後ろに控えめに付き従いながら、彼が客たちに挨拶して廻る間、彼の周囲に油断なく目を光らせていた。
そしてユリウスがネイビーのホルターネックのロングドレスを着たソフィアのところに来たとき、彼女は一人ではなかった。
「紹介するわ。お友達のリチャードよ」
30歳前後と思われる、中背で筋骨たくましい体つきの、神経質そうな目元をした男性が右手を差し出す。
「リチャード=カーニーだ」
「このホテルのオーナー、ユリウス=ヴァルムです。どうぞよろしく」
ユリウスも挨拶を返し、にこやかに握手する。エドウィンは顧客情報から、彼は常連客ではないこと、一週間ほど前からホテルに滞在していることを認識した。そのとき。
「ユリウス。あなたの想い人はどこにいるの? ぜひ紹介して」
ソフィアが言った。ユリウスは笑って。
「目の前にいるよ、ソフィア。エドウィンだ」
と突然の紹介にぎょっとするエドウィンを振り返り、軽く肩を抱くようにして自身の横へと押し出すと、ソフィアもリチャードも絶句して固まってしまった。てっきりセレブな宿泊客の中の誰かだと思っていたからだ。
「ス……スタッフ?」
ソフィアがいち早く我に返り、問い質す。
「ああ。夏休みだけの期間アルバイトなんだ。SPSをしてもらっている」
「エドウィン=ベネットです。お見知りおきを」
咄嗟のことにも関わらず、エドウィンが礼儀正しく挨拶するが。
「随分若く見えるけれど、もしかして学生……?」
「はい。大学一年生です」
「……」
ソフィアは明らかに機嫌が悪くなっているように見え、ユリウスは不思議に思いながらも営業スマイルで口を開いた。
「では、僕はそろそろ行くよ。パーティー、お友達と楽しんでくれ。エド、行こう」
ユリウスはエドウィンを促して別の顧客へと足を向けた。
すべての出席者に挨拶を済ませ、ユリウスはエドウィンとともにラウンジを後にした。
ユリウスを部屋まで送った後、報告するためにエドウィンはオフィスへと向かったのだが、そこで意外な人物に会うことになる。
「カーニー様……」
先ほどのパーティーでソフィアと一緒にいたリチャードだった。タビサがエドウィンを振り返る。
「ああ。ちょうどよかったわ、エドウィン。時間外勤務になってしまうけれど、カーニー様のご用件に対応してくれないかしら? もうマリルーとライリーは勤務を終えてしまったの。もちろん手当は出るわよ」
「わかりました。カーニー様、どうされました?」
エドウィンが尋ねると、リチャードは深刻そうな顔で声を潜めた。
「実は昼間、ボートハウスで高価そうな指輪を見つけたのだが、ボートから降りるときスタッフに伝えるつもりが失念してしまい、今まで忘れていてね。どうにも気になって仕方がないんだ。誰かが落として、今も懸命に探しているかもしれない。暗くなってしまったが……これから私とボートハウスまで回収に向かってもらえないか?」
――もしも指輪が大切なものだとしたら。
持ち主はさぞや不安な思いをしているに違いなかった。
「ええ、承知しました。ご一緒します」
エドウィンは即座に頷いた。
エドウィンはタビサに鍵を借り、リチャードと共に暗くなり始めた空の下、黒い支柱の先についた六角形のランタン型外灯の、温かい琥珀色の光が照らす湖畔の遊歩道を、ボートハウスへと向かった。遊歩道には所々ベンチが設置されており、座って会話を楽しむ者、ゆったりと散策する者と様々だった。
ボートハウスは数隻のボートやカヌーが係留されている横長のもので、今は営業時間外のため受付スタッフもおらず、無人で静まり返っていた。出入口扉の上のブラケットライトが白い光を扉に投げかけている。
「今、開けます」
エドウィンはタビサから預かった鍵で扉を開けた。入口脇のスイッチで白熱灯を点け、中に足を踏み入れる。
「それで指輪はどこに……うっ!?」
エドウィンが振り返ったとき、リチャードは彼を壁際へと押しつけた。
「大きな声を出すなよ?」
リチャードが声を潜め、周囲を警戒しながら続ける。
「ソフィアがユリウスと結婚するためには、君は邪魔なんだ。これを持ってリゾートを去れ。そして二度とユリウスに関わるな」
「……そんな、こと、……」
リチャードから札束を押し付けられながらエドウィンが言いかけた、そのとき。
「エド!」
ボートハウスの入り口から、ユリウスの切羽詰まったような声が響いた。二人がそちらを見ると、険しい顔を向けるユリウスがいた。
「ミスター・カーニー、彼に何を……?」
「ユリウス……ぐっ!?」
エドウィンはリチャードの気がそれた一瞬を見逃さず、即座に武術で彼の動きを封じた。
「動かないで下さい!」
「ぐぅ……」
エドウィンがリチャードを抑えている間にユリウスは応援を呼び、彼はスタッフルームで事情を聴かれることになったのだった。
(Ⅴに続く)




