第八話「湖畔の避暑地」Ⅲ 小さな違和感
勤務初日に起こった事件を解決してからというもの。双子とライリー三人のSPSスタッフは通常のコンシェルジュチームとも協力してタビサの指揮の下、毎日のように起こる小さな事件を解決しつつ、時には顧客の個人的な依頼をもこなす多忙な日々を送っていた。
「おい、エド! あの部屋の奥さん、今度は『部屋にある金魚鉢を湖の水で満たしたい』だとよ! どうやって湖から水を汲むんだよ!」
ライリーがフロントから回された電話を受けて、信じられないと言った風にエドウィンに話す。セレブの人間が言い出す突拍子もない依頼には皆が振り回されていた。その度に必死に駆けずり回ってはいたが、やはりげんなりしてしまう。
「ライリー、落ち着け。湖畔に手動式汲み上げポンプがあるはずだ。地図で確認してくれ」
「あーっ、もう!」
ライリーはブツブツ言いながら外に足を向けた。
「ルー、そろそろ巡回に向かうぞ。……どうした? 画面とにらめっこして。何か気になるのか?」
エドウィンがマリルーに声を掛けるが、彼女はオフィスのパソコンで宿泊客の滞在スケジュールや警備の動線を記録したデータを睨んでいた。
「ええ。タビサさんが神経質になっていると思って。ここ数日、警備がやたら厳しくなったと思わない? 何かあったのかもしれないわ」
しかもタビサは『宿泊客の“不自然な行動”を記録・報告』するよう、SPS三人に指示を出していた。
「それは俺も感じていた。だが俺たちがタビサさんに踏み込んだことを聞くことはできない。指示通りにやるだけだ」
「……まあ。そうよね。何もなきゃいいんだけど」
マリルーはパソコンを閉じ、小さくため息を吐いて立ち上がった。
そんなある日。ホテル・リュミエール最大の顧客トラブルが発生した。
「これは偽物だ! 私がここに持ち込んだスケッチではない! 誰かがすり替えたんだ!」
8月も中旬に差し掛かったある朝、滞在中の大物アーティスト・ローレンス=グラットンは激怒してタビサに詰め寄った。ローレンスは自身の別荘として借り切っているスイートルームに飾っていた、数年前に描いた未発表のスケッチ画がいつの間にか精巧なレプリカに入れ替わっていると主張していた。フロントでは対応し切れずオフィスに対応を振られ、すごい剣幕のローレンスにタビサだけでなくエドウィンたちSPS三人、コンシェルジュたちも緊張してローレンスを見つめた。だがさすがタビサ、いち早く冷静さを取り戻した。
「とりあえず、現場を検証します」
と言った。だが彼女の仕事はスタッフの指揮・管理と多岐にわたり、コンシェルジュたちも通常の業務があるため、ローレンスにだけかまけているわけにはいかなかった。タビサがSPSの三人を振り返る。
「エドウィン、マリルー、ライリー。まずはあなた達三人でお客様とともに現場を見てきて」
「「「わかりました」」」
三人は緊張した面持ちで頷いた。
ローレンスのスイートルームは群を抜いた豪華さだった。広さも家具の高価さも他の部屋と比べてハイクラスだろう。
「グラットン様。スケッチ画が偽物だと気づいたのはいつですか?」
部屋に戻ると疲弊した様子でソファに沈んだローレンスに、エドウィンが尋ねる。
「今朝だ。私はお気に入りであるスケッチ画を毎朝眺めるのだが……昨日の朝の時点では確かに自分の描いた本物だった」
「昨日の朝……」
ライリーが羨望の眼差しでキョロキョロする中、エドウィンが呟き、マリルーとともに偽物と指摘されたスケッチ画を検分した。
「パッと見ただけでは、見分けがつかないほど精巧ね」
マリルーが感想を述べ、エドウィンはスケッチ画が置かれているイーゼル周辺を観察した。特に荒らされた形跡はない。
「誰かが鍵を不正に開けた形跡もない。昨日、清掃が入る数時間の間にすり替えられたと考えるべきだ」
「そうね。昨日の清掃記録を調べてみましょう」
三人はオフィスから持ち出したタブレットを操作して、ローレンスが滞在する東棟の出入りの記録を呼び出すと同時に、清掃係の行動記録のデータの分析を開始する。
「清掃係はビリーとナンシーの二人……って、ナンシー?」
「知り合いなのか?」
驚いた様子のライリーにエドウィンが訊くと。
「あ、ああ。俺が初日にグループデートしよう、って言った娘だよ。この前デートに誘ったら、『中旬までは仕事が忙しいから、下旬ならいいわよ』って……」
「清掃係の仕事が『中旬まで忙しい』なんてことあるかしら?」
マリルーが眉を顰めるとライリーが慌てて。
「ま、まあ。出入りした時間は完璧に記録されている。不審なところは何もないぞ?」
「ああ。時間だけ見れば不審な点はない。彼らのうち一人がスケッチ画をすり替えたと仮定して……贋作は清掃用のカートに隠して持ち込んだはず。本物はカートで運び出したと考えるのが自然だ」
「カートの中にずっと本物のスケッチ画を入れておくわけがないから、清掃が終わった後どこかに隠したと考えるのが普通よね」
「つーことは、東棟を出た後の二人の行動を調べれば何かわかるかもしれねえ、ってことか?」
「その通りよ。彼らの清掃後の行動を追ってみましょう」
次に何をすべきかの指針を得た三人はローレンスの許を辞し、情報収集に向かった。
だが。他のスタッフたちへの聞き込みを行っても特にこれといった情報は出てこなかった。オフィスに戻り、清掃係二人の他の施設の出入時刻を調べたが、既定のルートを既定の時間で廻り、ごく通常の業務をこなしていると思われた。もしも。業務を終えた後に居室に持ち込んだとして。アルバイトの彼らは相部屋のため、キャンバスの目撃情報がないのは不自然だった。
「あー…行き詰まっちまった、ってヤツかぁ?」
ライリーが後頭部で腕を組んでオフィスチェアに凭れかかり伸びをする。
「……だが。清掃係以外に犯行可能な人間はいない。……となると」
「協力者、ね」
エドウィンの考えを察してマリルーが続ける。
「その『協力者』が誰か、が問題ね。ローレンスの周辺で、彼を恨んでいて、贋作を作れる腕を持つ人物……」
マリルーの推理を受け、エドウィンとライリーもタブレットを操作し、宿泊客リストを開いたものの、該当する人物を特定することはできなかった。
その夜。すり替えられたスケッチ画について解決の糸口が見えぬまま勤務を終え、自室へと戻ったマリルーは。
「ルー、どうしたの? 何だか元気がないみたい」
同室のクラリッサに声を掛けられ、疲れた笑みを浮かべた。
「……ちょっと捜査に行き詰っていて。クララさん。アーティストのローレンス・グラットン氏の周辺で、彼を妬む人物、あるいは彼の作品を欲しがる人物に心当たりはありますか?」
マリルーが率直に尋ねると、クラリッサは少し考えるような素振りをした後。
「グラットン氏には才能のある若い弟子がいたわ。彼はグラットン氏の画風にそっくりな作品を描くことで知られていたけれど、三年前にグラットン氏と決裂し、現在は裏社会で贋作作りに関わっているという噂よ」
と静かに答えた。
「その元弟子の名前は?」
「バイロン=アクランド」
*
翌日。三人がクラリッサの情報を基に、バイロン=アクランドについて調べていたとき。
「あっ! バイロンの婚約者だった女性が今、グラットン氏と同じ東棟に滞在しているわ」
マリルーの言葉にエドウィンとライリーが彼女のところに集まり、パソコンを覗き込む。
「モニカ=バーンズ……本当だ。数年前、アクランド氏の婚約者としてネット記事になっていた人だ」
「これは偶然じゃねえよな?」
「ええ、そう思うわ。彼女はグラットン氏の熱狂的なファンで、彼の作品を欲しがったとしても不思議ではない……」
「つまり、元弟子が外部で贋作を制作して婚約者がホテルに持ち込み、清掃係がすり替えを実行したということか?」
エドウィンが要約した。
「モニカは芸術コレクターを名乗っているけれど、最近多額の負債を抱えているという噂があるの。グラットン氏の未発表作品は、裏ルートで売れば大金になる」
容疑者の目星がつき、三人はタビサに報告した。
「……確かにモニカ=バーンズには動機があり、状況証拠からも彼女が関わっていそうね。けれど、警察が介入するような騒ぎになることは避けたい……私が彼女に事情を聴いてみるわ」
タビサがそう言ってオフィスを出て行こうとしたが。
「タビサさん。警察を呼ぶ気がないのなら、モニカを直接問い詰めるのは得策ではありません。彼女が犯行を認めず、逆にホテル・リュミエールのセキュリティを批判すれば、事態はさらに悪化します」
とマリルーが提言した。タビサが足を止め、振り返る。
「では、どうするの?」
「俺たちは、盗まれた本物のスケッチ画を探し出します。彼女が今も滞在し続けているということは、まだ外には持ち出されていない可能性が高い。まずはスケッチ画を見つけて、グラットン氏に返します。彼の考えを聞いた上で判断するというのはどうですか?」
「わかったわ。では、必ず見つけて」
「「「はい」」」
SPS三人は決意を込めて頷いた。
それから。三人はホテル・リュミエール内の、大きな物を隠せそうな倉庫や物置をピックアップした。更に、限られた人数で探すためにはその中でも隠されている可能性が高い所に目星を付ける必要があった。
「鍵の使用記録を調べてみましょう」
マリルーが言い、事件前後の日の記録を見たが、不審な点はなかった。
「オフィススタッフの日誌も見てみよう」
エドウィンが提案する。毎日、どんな小さなことでも皆で共有できるようにオフィスには日誌が設置されていた。
そして。日誌を見ると、スケッチ画がすり替えられたと思われる日、東棟の端にある物置の鍵が数時間、紛失していたという記録を見つけた。
「ビンゴ!」
ライリーが叫んでパチン、と指を鳴らす。
「つまり。清掃係が東棟に入ってからモニカと接触して贋作のスケッチ画を受け取り、清掃用カートに隠してグラットン氏の部屋を清掃する際にスケッチ画を入れ替え、持ち出した鍵を使って東棟端の物置に隠した……ということだと思います」
マリルーの推理にタビサが三人に件の物置を捜索する許可を出したところ、段ボール箱の陰に隠されるようにひっそりと置かれている、古布に包まれた本物のスケッチ画を発見したのだった。
*
次の日。エドウィンたちがオフィスに出勤すると、タビサとともにユリウスが待っていた。
「エド、ルー、ライリー君。君たちの推理通りだった。本物のスケッチ画は東棟の物置から回収されてグラットン氏に返された。彼はお気に入りの滞在先である当ホテルの評判を落としたくはないと、主犯のモニカ=バーンズと共犯者のナンシーのことは起訴しないと言ってくれた。そして彼女たちは静かにこの地を去り……この事件は終わった。三人とも本当によくやってくれたね」
「ナンシーが共犯者だったんですか?」
ユリウスの説明にライリーが絶望した顔で尋ねた。
「ああ。彼女はミズ・バーンズの従妹だったんだ。多額の謝礼を約束されて協力したらしい」
ユリウスが僅かに顔を曇らせ、ライリーはがっくりと項垂れた。
「せっかく……仲良くなれると、思ったのに……」
「ライリー、星の数ほど女性はいるわ」
「夏の思い出作り、手伝うよ」
スケッチ画すり替え事件の解決とともに終焉を迎えたライリーの淡い恋心は、双子の気遣いによりホンの少しばかり癒されたのだった。
その夜。メイからマリルーへメッセージが届いた。
May:ルー、元気? 私は元気よ。フードフェス、一人でやり遂げたわ! 遠い国のレシピで作った“あんみつ”が大好評だったの!
Marilou:すごいわ、メイ! こちらもバイト、順調よ。
May:よかった。ところで、実は焼き菓子の配達、雨の日や量の多い日は結局モーガンさんが手伝ってくれているの。
Marilou:おじいちゃんが? よかったわ!
May:うん、おじいさまには感謝してる。ああ、エドとルーが帰って来る日が待ち遠しくて堪らない。二人がいないととても寂しいの。
Marilou:私もメイがいなくて寂しい。早く会いたいわ。
May:私もよ。……あ、電話だわ。またLINEするわね。ルー、大好きよ!
Marilou:私もメイにありったけの愛を込めて。またね。 マリルー
マリルーは幸せそうに微笑みながらメイへメッセージを送信した後、スマホを置いたのだが。
「……兄様も。あなたから送られたウェディング・フェイバーズの写真を見た時、今のあなたのような顔をしていたわ」
マリルーが同室のクラリッサの存在を思い出してはっと前を見ると、ソファの向かいに座り、紅茶を飲みながら本を読んでいたクラリッサがいつの間にか顔を上げ、マリルーを見ていた。
「あ……これは……」
「勘違いしないで。別に責めているわけではないの。ただ……」
とクラリッサが目を伏せる。
「半月が経とうとしている今になっても、エドから兄様に何の反応もないから」
「エド? 反応?」
マリルーはわけがわからずに聞き返すと、クラリッサは溜息を吐いた。
「妹のあなたも聞いてないのね。実は……」
とバイト初日の夜、ユリウスがエドウィンに友人以上の存在になる可能性があると感じていること、彼のセクシャリティに関わらず彼自身に興味があること、お互いに恋愛対象に成り得るかどうか試すことを考えてほしいと伝えたことを話した。
「ユリウスさんとエドがそんな話をしていたなんて……」
マリルーが呆然とクラリッサを見つめる。
「兄様も『時間をかけて、ゆっくり考えてみてほしい』とは言ったわよ? でもエドウィンはあれから兄様に話しかけることも、LINEすらしない。そんな話があったことすら忘れたかのようにただ仕事する日々」
「……」
「……念のために言っておくと、兄様から私に話したわけではないわ。兄様に元気がないのを心配して私が問い詰めたのよ。そして……こんな言い方をしたくはないのだけれど」
とクラリッサは前置きして。
「今回の事件で、私はグラットン氏の元弟子の情報を与えたわ。その見返りに少しくらい、あなたが動いてくれてもいいと思わない?」
「……そう、ですね。もっともな言い分です。何より、兄の不誠実な対応を私も遺憾に思います。明日にでも兄と話してみることにします」
「ありがとう」
マリルーの答えにクラリッサは満足そうに微笑んだ。
(Ⅳに続く)




