第36話 いってきます
土は残っていた。
リタは最後の赤い角を掌へ広げた。
祖母が織った布だった。端を抜くと、細い糸になる。指の溝が痛み、持つ所を替えた。
最後の織り目がほどけた。
もう、布はなかった。
壁際の蓋に小さな穴がある。リタはそこへ端を通し、叔母に輪を支えてもらった。結び終えてから土へ足を出す。
柔らかかった。
日本の靴では、石の角が少し鈍く伝わる。木の根の脇の窪みは、見なくても足が向いた。
歩いた二歩へ糸を置いた。
根の枝分かれに結ぶと、残りはほとんどなかった。
顔を上げれば、遥たちが見えた。
*
リタは土の端へ戻り、籠を受け取った。
遥の左手が底を支えていた。リタが持ち手を握ると、ゆっくり離れた。
「おばあさんに、よろしくね」
叔母が荷物を載せてくれた。
「話す。みんなの名前も」
紬は白い包みの布を袋へ戻した。
「これも」
リタは口を閉じた。
結んだ赤は地面にある。頭にも、肩にも、もうなかった。
「糸が残ってたら、直せるかもしれない。おばあさんに聞く」
「こっちも、時々見に来る」
遥が答えた。
紬がその隣へ立った。
「来たら、今度は私が案内する」
「こっちを?」
「うん。行きたい店がある」
リタは少し笑った。
「じゃあ、お願いします」
丁寧すぎた。紬も笑った。
*
森へ向き直ると、籠の重さが腕へ戻った。
土を踏み、根を越える。
振り返った時、遥の手はまだこちらへ向いていた。リタが見ていると、ゆっくり下りた。
「いってらっしゃい」
声が来た。
「いってきます」
籠を傾けないように手を振った。
木の間へ入ると、灰色の壁が細くなった。根に結んだ糸は切れていなかったが、人の顔はもう見えなかった。
枝が髪へ触れた。
リタは葉を払い、坂へ顔を向けた。
祖母の家の煙突が見えた。
煙は、まだ出ていなかった。




