第35話 戸を叩いて
病院を出る頃には、空が白くなっていた。
リタは最初の路地に寄りたいと言った。
車を降りると、土の匂いがした。
水曜に祖母を見送った所に、また木の根があった。今朝は声がしない。湿った葉が一枚、コンクリートへ載っている。
リタはしゃがんだ。
靴の先で土へ触れる。戻すと、小さな粒が底についてきた。
「道が戻ったのかな」
遥が言った。リタは土を指で触った。
「前も、戻ったよね」
店の台車が、一晩たって通れるようになった朝。持っていた誰かが離したのかもしれないと、二人で話した。
「狼が、離したから?」
「たぶん」
昨夜、口から外れた板と石と根を思い出した。食べられた道が全部どこへ戻るのかまでは、リタにも分からなかった。
袋の底の白い包みを出した。
この角なら、路地と根の間くらいは残せるかもしれない。
「また来られる?」
遥が聞いた。リタは首を振った。
「まだ、わからない」
遥はそれ以上聞かなかった。
「籠を取りたい」
そう言うと、叔母が車の方へ手を上げた。
戻った時には消えているかもしれない。リタは土を振り返った。それでも、リンゴを置いていくのは嫌だった。
*
家の食卓に四人で座った。
紬が汁を飲み、器を少し前へ寄せた。
「机、大きい」
遥が顔を上げる。
「覚えてたのより」
リタは箸を動かした。食べている間に道が消えるのではないかと思ったが、立たなかった。
冷蔵庫からリンゴを出し、籠へ入れた。
皮には皺があった。
「待たせちゃった」
「リンゴも?」
遥が聞いた。
「リンゴも」
叔母が間へ布を挟んでくれた。
借りた服も、着ていくことになった。靴は遥が前に履いていたものを出してもらった。少し大きかったが、紐を締めると踵は抜けない。
リタは廊下を往復した。
底が厚い。森で小石を踏んでも痛くないかもしれない。
古い靴も袋へ入れた。
そのまま寝床へ横になり、少し眠った。目が覚めると遥が入口にいて、お茶を飲むかと聞いた。
*
支度が済むと、話すことが急になくなった。
「向こうのお茶、どんな味?」
遥が聞いた。
「木の実を入れたのがあるよ」
「甘い?」
「甘くする時もある」
遥は頷き、湯のみを置いた。
袖の赤い結び目を外し、玄関の戸の内側へ結び直した。右の指が動かしにくそうだったので、リタが片方を持った。
短い端が残った。
「道ができたら、また来たい」
リタが言うと、遥は顔を上げた。
「その時は戸を叩いて」
紬は玄関の段で紐を結んでいた。
「私、最初の夜を知らない。今度教えて」
「今も、少しなら話せる」
リタは天井を見た。
「最初、星が家の中にあると思った」
紬も上を向いた。叔母がスイッチへ手を出す。
「消してみようか」
「今はつけたまま」
言うと、遥が笑った。
四人で家を出た。
籠は路地まで、遥が持ってくれた。




