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第32話 戻るための床

黄色い線の向こうに、白いタイルが見えた。


 遥がいた。


 右手を壁につけ、左手をこちらへ向けている。


「紬」


 呼ぶと、妹がリタの後ろから顔を出した。


「お姉ちゃん」


 遥の左手が上がる。


 四角の底が揺れた。


 紬は近づかなかった。


「先に、まこと君」


 遥が息を止めた。


 それから頷く。


「うん」


 佐伯さんがまことを連れて前へ出た。


 男の子は境目で足を止めた。


「出たら、戻らない?」


「戻らない」


 紬が答えた。


 まことは一歩出た。


 遥の指をつかむ。


 空き缶から水がこぼれた。


「出た?」


「出たよ」


 佐伯さんも続いた。


 白いタイルの側で、叔母が二人を受ける。


 そこから先は、一人ずつ数えなかった。


 歩ける人が先に出る。


 支えが必要な人を、その人たちが向こうから引く。


 飯田さんの番だけ、列が止まった。


 左足が上がらない。


 遥には向こうの床が高く見えていた。


 高さを合わせようとすると、四角全体が傾く。


「そのままで」


 遥は言った。


「段があると思って」


 青い上着の人と叔母が両側から腕を受けた。


 飯田さんの靴が白いタイルへ乗る。


 列がまた動いた。


     *


 リタは最後尾へ下がった。


 紬が残っている。


「出て」


 リタが言う。


「リタは?」


「糸を取る」


「一緒に取る」


「遥が待ってる」


 紬は四角の向こうを見た。


 遥もこちらを見ている。


 その時、後ろで木が割れた。


 狼の歯が梁を噛んでいた。


 赤い糸が張る。


 来た道が短くなる。


 まだ誰も踏んでいない横の階段には口を伸ばさない。


 リタたちが歩いた場所だけを、順に噛んでいる。


「行って」


 リタは紬を押さなかった。


 紬が自分で一歩出した。


 境目で振り返る。


「戻って」


 遥の左手が紬の手を取った。


 今度は離れなかった。


 リタは鋏を出した。


     *


 このまま引かれれば、帰る道まで持っていかれる。


 切れば止められる。でも切れば、自分も戻れない。


 狼がもう一度噛んだ。


 糸が掌へ食い込む。


 リタは白いタイルを見た。


 遥の手が伸びている。


 届かない。


 あと二歩。


 リタは糸を巻き取りながら歩いた。


 一歩。


 後ろの廊下が消える。


 もう一歩。


 狼の顎が赤を追ってくる。


 リタは鋏を入れた。


 糸が切れた。

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