第31話 名前を呼ぶ
廊下を曲がると、木の幹が壁を突き抜けていた。
枝の奥で電車の扉が開いた。明るい床が見える。
リタは乗らなかった。
紬の紙にあった階段を探す。
水の音へ寄りかけて、戻った。
流し台は階段の下。
紙に描いてあった。
錆びた蛇口のそばに、青い上着の人がいた。
「誰だ」
リタは両手を見せた。
「紬を探してる」
相手の目が足元の赤へ下がった。
「外から来たのか」
「うん」
「出口は?」
リタは後ろを指した。
「黄色い線と鉄の柵。そこまでなら、遥が開けられる」
男の顔が変わった。
「待ってろ」
走ろうとする腕を、リタはつかんだ。
「走らないで。道が動く」
男は止まった。
「紬は?」
「この先だ」
*
戸の取っ手に、切れた赤い端が残っていた。
リタは新しい糸を結ばなかった。
二度叩く。
男の子が顔を出した。空き缶を胸へ抱えている。
「まこと君?」
「なんで知ってるの」
「紬の紙に書いてあった」
台所の奥で椅子が鳴った。
紬が出てくる。
リタの顔より先に、足元の赤を見た。
「リタ?」
「遥が待ってる」
紬の指が戸の縁へかかった。
「無事?」
「さっき、手に触った」
紬は口を押さえた。
リタは紙の写しを渡した。
紬は自分の字を見た。
『糸は切って』
「切れたんだね」
「うん」
それ以上は後にした。
*
台所には九人いた。
別の家にいた二人も、朝、廊下が通れる幅へ戻った時にこちらへ移っていた。
飯田さんは椅子に座っている。立つ時には両側から支えが要る。
紬が紙を畳んだ。
「全員で行く」
眼鏡の人が廊下を見た。
「途中が昨日より狭い」
「だから今行く」
紬はまことへ手を出した。
男の子は缶を抱えたまま、その手を取る。
リタは戸口へ戻った。
「赤から離れないで。道が変わっても、糸のある方へ」
九人へ一人ずつ説明する時間はなかった。
紬が同じことを後ろへ伝えた。
その声を次の人が繰り返した。
リタは先頭へ立った。
*
帰りの廊下は、来た時と曲がり方が違っていた。
けれど糸は残っている。
壁の下へ潜った赤を追うと、低い梁が見えた。
後ろで誰かが止まる。
紬の声がした。
「大丈夫。ここをくぐる」
また歩き始める音がする。
リタは振り返らなかった。
黄色い線を見つけるまで、前だけを見た。




