↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/39

第15話 道を売る男

月曜は学校へ行った。


 前の席の子に消しゴムを借りたら、昨日のメッセージに返事がなかったと言われた。

「買い物に行ってた」

「朝から?」

「うん」


 貸してくれた子はそれ以上聞かず、小テストの範囲を教えてくれた。遥は教科書に線を引いた。右手でも字は書けた。


 休み時間、叔母から写真が届いた。リタが庭で紙を広げている。端に大きく『遥』と書いてあった。

『帰ってから、相談したいんだって』


 夕方、リタは鉢の棚の奥にしゃがんでいた。

「ここ、糸で伝わる? 今日、わたしが片づけたの」


 遥が触れると、糸の先は棚の下へ向いていた。その奥に人の立てる場所ができたことは分かる。けれど、どの高さへ足を下ろすのか分からなかった。


「商店街はできたのに」

「あそこは、私が前に立ってたから」

「ここも、すぐそこだよ」


 リタは奥の小石を拾い、遥の靴のそばへ置いた。


 遥はその石を踏んでみた。踵が傾いた。

 何も言わないでいると、リタが石を戻した。棚の向こうで、土に当たる音がした。


 夕飯まで、二人で残りの鉢を運んだ。リタは一番重いものを先に持ち上げ、下に虫がいるのを見て、そのまま遥へ渡した。

「平気じゃないの。森にいたのに」

「森でも、これは嫌」


 鉢の陰に空いた場所へ、遥は初めて両足を入れた。リタはもうこちらを見ていなかった。


     *


次の土曜、リタは籠を置いて家を出た。


 今日持っていくのは、ノートと水と、出してある糸だった。背中の痛みはほとんどなく、手のひらの傷も薄くなっていた。遥の右手も、普段どおりに鞄を持てる。


 リンゴは四つ、冷蔵庫に残っている。



 叔母と三人で駅へ向かう。


 遥は学校のある日、家へ戻ってから少しずつ地図へ書き足していた。店主が教えてくれた昔の入口は、今使う地下通路の入口から離れている。間をつなぐ地上の道を、今日は先に歩く。


「戻るのは、こっち」


 駅前の広場で、遥が時計のついた柱を示した。


 遥は時計の裏で足を止めた。背中が柱につくと、バスの音が小さくなった。

「帰りは、ここで待ち合わせね」

 叔母が言った。リタは時計の針を見上げた。


     *


 古い入口は、建物の間にあった。


 階段の上に屋根がかかり、壁の文字は一部剥がれている。新しい入口のように、明るい店の名前は並んでいなかった。


 閉じた鉄の格子が、階段の手前にあった。


 リタはそこで足を止める。


「通れないね」


「うん。ここからは入らない」


 遥が答え、叔母も掲示を確かめた。


 リタは格子へ近づかず、隙間から見えるところだけを見た。階段は下へ続き、途中で向きを変えている。その先は暗くて分からない。


 人の声はしなかった。


 階段の踊り場に、片方だけ靴のような物があった。リタが顔を近づけると、叔母が隣へ来た。古い手袋だった。

 遥は掲示を撮り、近くの店へ閉鎖の理由を尋ねた。店の人は格子を見て、小さく首を振る。


「ここはずっと閉まってるよ」


 店の人は格子を指した。


「地下には、新しい方から行ける店も残ってるけど。この階段は使ってない」


 遥が顔を上げた。


「道に迷った人の話って、どこで聞きました?」


「下の修理屋で。靴の修理をしてるところ。向こうの入口からなら行ける」


 地図へ店の位置を教えてもらう。


 地下の線は地上の道と重なっていて、リタには分かりにくかった。遥が別の紙へ描き直し、入れる入口と閉まった入口を分けた。


 そこを指でなぞってから、リタは格子を振り返った。


「下でつながってるなら、ここに来た人も、向こうから帰れる?」


「普通なら」


 遥は答えた。


 その言葉を確かめるために、三人は広場へ戻った。


     *


 使われている地下通路は、思っていたより暖かかった。


 天井に丸い明かりが並び、飲み物の機械が光っている。通路の端には店があり、人が袋を持って歩いていた。


 リタは階段を下りた数を覚えようとして、途中でやめた。段だけを数えて、曲がった向きを忘れたら困る。


 遥は案内図を見せた。


「今、ここ。帰る階段は、今下りたところ」


「二つ先で右」


「そう」


 地下の案内図には出口の印がいくつもある。リタは自分が来た階段の印だけ、指で触れた。地図を信じて別の出口へ行ったら、本当に同じ広場へ出られるのだろうか。


 靴の修理屋は、小さな開いた店だった。


 棚には、袋に入った靴が並んでいた。古い日付の札が何枚もある。

「取りに来ないんですか」

 遥が一足を見て聞くと、店主は棚の奥へ押し込んだ。

「引っ越したのかもしれないしね」

 その一足だけ、底が直ったまま埃をかぶっていた。道が変わったことについて尋ねると、作業の手が止まる。


「何度か、帰る階段がないって人が来たね」


 遥がノートを開いた。


「この通路でですか」


「ここに来たときは、ちゃんとあるんだよ。でも、自分が入ったのは別の階段だって。奥へ戻るって言うから、止めたことがある」


 リタは天井の明かりを見た。帰る階段が見えていても、自分が来た道と違うなら戻りたくなる気持ちは分かる。


 森へ戻る壁を、何度も探した。


「その人、帰れた?」


「この入口から出た人はね」


 店の人は答えた。


「ただ、帰り道を取り戻したいなら奥で相談できるって話も聞く。私は行ってない」


 叔母が店の奥ではなく、通路の先を見た。


「誰に相談するんです?」


「案内人みたいな男だって。道を売るんだとさ」


 リタはずきんの裾を押さえた。


 売るという言葉は、八百屋で覚えた。にんじんを買ったら、お金が減って籠に品物が増えた。


 道を買ったら、何が手元へ来るのだろう。


 遥も同じところで鉛筆を止めていた。


「会った人は、いますか」


 遥が尋ねた。


 店の人は少し考え、棚の横に貼られた紙を見た。


「夕方に来る人がいる。詳しくは、その人から聞いた方がいい」


 店主が女性へ連絡する間、リタは棚の靴を見ていた。足はどこかにあるのに、靴はここで待っている。

「道を売るって、靴を売るのと同じ?」

 尋ねると、店主は作業台の刃物を置いた。

「靴は、履いたら減るだろう。道は誰かが歩いても減らない」

 リタは短くなった裾を握った。減らないはずの道を、誰が売り物にしているのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。