9.青ざめる極悪領主
弱冠十七歳で勇者と呼ばれたアルド・シュナイデル。若さとは逆に、その強さは旅を始めてすぐに皆の知るところとなった。
「ア、アルドさん。待ってくださいよ~」
青髪に丸メガネ。後に『大僧侶』と呼ばれることとなる勇者パーティがひとり、コレット・サーマルもこの時はまだ駆け出しの冒険者のひとりであった。アルドが答える。
「遅いぞ、コレット。この先の街が魔物に襲われている。もっと早く走れ!」
「ううっ、無理だよ。アルドさん。もう、足が痛くて……」
アルドが立ち止まり、困った顔で黒髪の頭に手をやる。彼はきっと優秀な僧侶になると思うが、何せそれ以外がまるでダメ。
どうしようかと考えていたアルドの耳に、大きな呼び声が響く。
「お、おーーーい!! お前たち冒険者か!? ボ、ボク様を助けろ!!」
振り返る二人。そこには数名の従者を連れたやや小太りの男が血相を変えて走って来る。細い目に特徴的なくせ毛。何より一見して分かる悪人面。彼らの少し後方に大型のトカゲの魔物が追って来ている。
「誰だよ、あんた?」
そう尋ねるアルドに男が答える。
「ボ、ボク様はここの副領主だ! シャルダン副領主を知らないのか!?」
コレットと顔を見合わせたアルドが首を傾げる。聞いたことはない。そもそも二人ともこの地の人間ではなかった。
「知らねえよ。そんなに偉いなら自分で倒しな。俺たちはこの先の街に急いで行かなきゃならねえんだ」
その言葉を聞いたシャルダンの顔が一気に紅潮し怒鳴るように言う。
「ボ、ボク様を助けろ!! 命令だ、命令。そんな街、放っておけ!!」
驚くコレット。これが本当に人の上に立つ副領主の言葉か。だが対照的にアルドは表情一つ変えずにシャルダンの後ろに回ると、いきなりその太った尻を思い切り蹴り上げた。
ドン!!!
「ぎゃっ!! 痛っ!!!」
突然の激痛に尻を押さえ倒れるシャルダン。周りの従者は魔物の恐怖と、訳の分からない若者の行動にあたふたと混乱する。アルドが剣を抜きシャルダンに向けて言う。
「ふざけんなよ、お前。民を守る立場の人間だろ? さっさと自分から身を挺して街を守れよ」
「き、貴様……」
無様に尻を押さえながらシャルダンが若きアルドを睨みつける。
ドン!!!
「ぎゃっ!!」
再びアルドが尻を蹴りつける。
「じゃあ、ここであいつの餌になれ。ブタ野郎」
シャルダンとその従者たちの目には迫り来るトカゲの魔物の姿。恐怖と混乱の前に、その小さなプライドが一気に崩壊した。
「ご、ごめんなさい!! 反省します! 反省して民を大事にします!! だから、だからお助けください!!!」
尻の痛みを我慢して、地に頭をこすりつけ懇願するシャルダン。従者の者たちももう逃げられないと観念し、目の前の若き勇者に頭を下げる。
「アルドさん……」
コレットの困った視線。その目が『助けてあげて』と訴えている。温和で優しい彼は、基本このような弱者に甘い。アルドが言う。
「おい、あんた」
「は、はい!」
シャルダンが顔を上げて答える。
「副領主なんだろ? 民を大事にしろよ!!」
「は、ははっ!! 約束致します。このシャルダン・ザルコット、お約束は必ず守りますです!!」
アルドはシャルダンを一瞥してから、コレット共にトカゲの魔物へ向かって駆けだす。
勇者の旅の一ページ。アルドにとってそれはよくある出来事のひとつであった。
「き、貴様、誰だ!? ぶっ殺すぞ!!!」
無様な格好で尻を押さえながら、シャルダンが顔を真っ赤にして叫ぶ。絶対領主への暴行。周りの従者や女たち、領主兵の皆が顔色を変えてその黒髪の男を見つめる。アルドが言う。
「お前、随分偉くなったな。俺との約束も守っていねえみてえだし」
「シャルダン様!!」
お供の兵士が、倒れたままのシャルダンに肩を貸し起き上がらせる。痛みと怒りで興奮するシャルダン。その様子を見ていたスキンヘッドの店主が大声で言う。
「ア、アル!! 止めねえか!! 殺されるぞ!!」
助けに来たはずの飲んだくれが、なぜあそこに居て、あのような暴挙に出るのか。店主は訳がわからぬまま呆然とする。一緒にいたユーリシアも同じく声を出す。
「アル君、アル君、逃げて!!」
民の悲痛な叫び。恐怖。悪徳領主シャルダンが最も好むシチュエーション。少し落ち着きを戻したシャルダンががアルドに大声で言う。
「お前、一体誰だって言ってんだよ!! 死にたいのか!? ボク様はお前なんかと何の約束なんてしてないぞ!!」
それを聞いたアルドが腕を組み、少し笑って答える。
「ほお、マジで忘れちまったのか。じゃあまた尻を蹴り上げてやろうか? それともトカゲの餌にしてやろうか?? このブタ野郎」
「き、貴様!! 領主様に対して何たる暴言!! この場で斬り捨てて……」
主に対する侮辱。怒り狂う従者だったが、その肝心の主の顔が青ざめていることに気付き口を開けたまま固まる。
小刻みに震えるシャルダンの体。太った体から流れる汗。大胆不敵で怖いもの知らずだった絶対的領主が、何かに怯えている。
「お、お前……、いや、あなたはまさか……」
シャルダンは知っている。自分を助けた若者が、後にあの世界を救った英雄になったと言うことを。アルドが言う。
「俺との約束を守らずに、また民を虐めてんのか? やっぱてめえはクソブタ野郎だな」
「い、いや、ボク様は、違うんで……」
ドン!!!
「ひゃっ!?」
アルドが背に付けた鍬の柄を勢いよく地面に突き付ける。そして自分の背にいる多くの街の人を指差しシャルダンに言う。
「これが現実だろ? 領主として恥ずかしくねえのか??」
「そ、それは、その……」
あの丸々太ったシャルダンが小さく見える。皆はその不思議な光景をただただ見つめていた。
「何が起こってるんだ、アルの奴……」
離れた場所でのやり取り。その会話は皆には聞こえない。ただ尋常ではないことが起きているのは確か。一体何が起きているのか。どんな会話をしているのか。ただひとり金髪の少女以外、誰にも想像ができなかった。
「てめえの悪評は散々聞いた。ちょっと仕置きが必要だな」
アルドが真面目な顔で鍬の柄を手にシャルダンに言う。
「そ、そうか、ボク様に逆らったって言う農夫はあんたのことだったんだな……」
シャルダンは少し俯き、そしてこれまでとは違ったやや自信のある声で答える。その微妙な変化をアルドは逃さなかった。シャルダンが言う。
「あれから十数年、あんたももうあの頃と同じって訳じゃないでしょ? ボク様も違うんだよ。ほら、こんなに偉くなって部下もたくさん……」
そう言って指さす先にはずっとこちらを見つめるシャルダン精鋭部隊。
「ここはボク様だけの場所。治外法権。ここで起きたことは誰にも知られない。ねえ、この意味、分かる?」
黙って聞くアルド。シャルダンが顔を上げて叫ぶ。
「ぶっ殺してやるよ!! あの時の恨み、今日の蛮行。全部、全部お前に返してやるよ!!!!」
シャルダンはそう言うと一目散に精鋭部隊の後ろへと走り出す。そして大声で命じる。
「やれ!! あの農夫を討ち取れ!! ここにいる奴、全員処刑しろ!!!」
本性を現した悪徳領主シャルダン。アルドの鍬の柄を握る手に自然と力が入った。




