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大聖女選定~悪女は聖女の裏の顔~  作者: あまがみ


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悪女ロズリーヌ03

***


 会場の不必要な熱を下げるため、一旦バルコニーへ下がったロズリーヌはマルティーニと肩を寄せ合った。


「よくやったマルティーニ。拭き取ったワインは屋敷に帰ったらピエールに調べさせてくれ。毒が入っているだろうから、取り扱いは慎重に」


「かしこまりました」


「それから、そろそろ宝石泥棒の情報を集めに行ってくれ。すでに話題には出ているから、聞きやすいだろう」


「『女神の赤い首輪』の演出はそれも兼ねていたんですものね。さっすがローズ様! 行ってきます! ここで待っていてくださいね!」


 マルティーニが親指を立てて会場へ戻っていく。ロズリーヌは親指を立て返し、一人になると小さく息を吐いて星空を見上げた。


 夜風の冷気が心地良く髪をさらう。このままここで時間を潰していれば、マルティーニが必要な情報を集めてくれ、悪女ロズリーヌの演出で盛り上がった会場は徐々に熱を冷ますだろう。けれども悪女の噂はこの夜が明けても忘れられることはない。


(聖女ロズアトリスが悪女ロズアトリスと同一人物なんて、誰が思う?)


 老伯爵夫婦に引き取られた際、すでに【導き】の聖女として名を馳せていたロズアトリスを気遣って、老伯爵夫妻はロズアトリスにロズリーヌの名を与えてくれた。新米聖女の中でも中堅になりつつあり、次期聖女候補として囃されるようにもなったロズアトリスが未熟な貴族としてデビューするよりは、全く別人として登場する方が都合が良いだろうという配慮だった。そのおかげでロズアトリス──ロズリーヌは権力に群がる王侯貴族に絡めとられることなく、また、未熟さを強く指摘されることなく、思うように生活する自由を手に入れたのだが。一匹狼気質が仇となり、容姿端麗さが嫉妬まで集めるようになり、いつの間にか悪女と囃されるようになったのだった。


 もちろん、ロズリーヌだって悪女と言われて良い気はしないが、噂の類いがあれこれ悪事を働いたというものではなく、憶測に留まっている間は傍観することにしている。否定して回ってかえって話を大きくしたくないというのもある。むしろ悪女だなんだと言われて避けられていることが、ロズアトリスとロズリーヌの二重生活で忙しい彼女にとって好都合だったりする。


 悪女というレッテルに甘んじていれば、こうして一人で過ごす時間を確保できるから。


 ロズリーヌは目を閉じて胸いっぱいに外気を吸い込んだ。冷たい空気が身体の内を清めてくれるようだった。このような何もしない時間を贅沢だと思えるようになったのは、いつからだろう。そんなことを考えていると──。



ワァーッ



 会場から大きな歓声があがった。耳を澄ませてみると。


「チャリティーオークション史上最高額に違いない!」


「物凄い金額だ!」


 などという興奮した声が聞こえてきたので、ロズリーヌは気になって近くを通ったボーイに詳細を聞いてみた。


「『女神の赤い首輪』が二億ルーブで落札されたのですよ。おめでとうございます」


「……え!?」


 ロズリーヌは思わず目を瞬いた。


「二億ルーブだって!? あのネックレスはせいぜい五千万ルーブといったところだろう!?」


 本来の価値の四倍なんて。そもそも、二億なんて額はチャリティーオークションで打ち出される金額ではない。それに。


「二億なんて大金、いったい誰が払えるというのだ……」


「──私ですよ。ロズリーヌ・トリオール伯爵殿」


 これに答えたのはボーイではなかった。


 毅然とした声に、ロズリーヌは息を呑む。


 プラチナブロンドの長髪を首の後ろで一つに結わえた青年がこちらを見ている。


 黄金の瞳は夜の闇を切り裂くように鋭く、それでいてどこか艶やか。ネイビーの礼服に包まれた逞しい身体、彫刻のように整った顔立ちに、冷厳たる佇まい。


 ティモシー・ド・レピュセーズ。この国の第三皇子殿下。


(彼が……現れるとは。今まで一度も『ロズリーヌ』に話しかけてきたことなどなかったのに)


 ロズリーヌは動揺を押し隠して、優雅に礼をとった。


「──ご機嫌麗しゅう、殿下」


 ティモシーはまるでその仕草を吟味するかのように静かにこちらを見つめながら、隙の無い動作で隣までやって来た。


「こんばんはロズリーヌ嬢。お話をするのは、これが初めてですね」


「えぇ」


 ロズリーヌは端的に答えることで暗に会話をする気がないことを示したつもりだったのだが。


「おや? せっかく貴方と話すために高額でこちらの品物を競り落としたというのに、随分とそっけないのですね?」


 見透かしているのか、ティモシーはピリリと冷たい気を放ちながら、ロズリーヌの前に『女神の赤い首輪』を掲げた。


 ティモシーと親密になるのは避けたかった。悪女ロズリーヌが聖女ロズアトリスだと気づかれる訳にはいかないからだ。だからすぐ会話を打ち切ろうとしたのに、彼は会話を望んでいるようだ。


 しかし。


 そもそもなぜ、ロズリーヌとの会話を望んでいるのか?


 今までティモシーとはロズリーヌとして会話することはなかった。むしろ悪女と言われているからか、避けられているとさえ思っていたのに、どうして。


 彼に対する警戒心が膨れ上がり、ロズリーヌがどう言葉を返すべきか考えあぐねて黙っていると。


「……こちら、貴女にお返しいたします」


 徐にティモシーが『女神の赤い首輪』を握らせてくれ、ロズリーヌはさらに困惑することになった。


「な、なぜ、高額で落札したにもかかわらず、私に?」


 彼はバルコニーの柵に肘をついて、眼下の中庭に視線を向ける。


「お礼……ということにしておいてくれますか」


「お礼?」


「先ほど、貴女が言っていたでしょう」


 ティモシーはふっと笑い、バルコニーから下へ言葉を落とすように、一つ一つ丁寧に告げた。


「『偽善によって救われる人がいるならば、私は支持いたします。そもそも聖教会だけですべての人を救えるわけではありませんもの』と。まったくその通りだと思いまして。少し、悩んでいたのですが、貴方の言葉で晴れました」


 彼の横顔には穏やかさと冷徹さが同居している。ロズリーヌの知るティモシーは悩みなんて無縁の人物で、どうしてそのような顔をしているのかも分からなくて、妙に惹きつけられた。


「……精力的に活動されている皇子様のような方が悩みなんて」


「貴方は私の何を知っているのです?」


 ぴしゃりと突き放すような声が刺さり、ロズリーヌは言葉を失った。


「──冷たい人ですねっ」


 いつの間にか戻って来ていたマルティーニが不満を呟き、ロズリーヌの隣に控える。


「これは失敬」


 ティモシーは全く悪びれもせず口角を片方だけ上げて、『女神の赤い首輪』を顎で煽った。


「とにかくまぁ、そういうわけでお礼をと思い、そちらの品物を競り落として貴方の元へ返そうと思ったのですが。ロズリーヌさんはお気に召さなかったようですね」


「そんなことはありません」


 ロズリーヌは首を振る。驚きはしたものの、『女神の赤い首輪』が手元に戻って来たことは純粋に嬉しかった。彫刻家の家族には手放すことを話し、競売の許可を得たけれど、彼らが心の底で残念がっていることが分かっていたからである。


「これが私の手元にあるのは元の持ち主たちの意向でもありましたら、とても嬉しく思っています。ただ、とても高額で競り落とされたとお聞きしたので、驚いてしまって」


「今の『女神の赤い首輪』にはそれだけの価値がありますから、お気になさらず」


「【審美眼】ですか?」


「よくご存じで。そう、私の力【審美眼】です。ですから間違いありません」


 【審美眼】というのは、ティモシーが持つ【魔力】から発現した特別な力のことだ。彼の【審美眼】は、ものの真の価値を見出す力。彼が価値相応だと言うのなら、『女神の赤い首輪』の二億ルーブは妥当なのだろう──が。


「二億ルーブですよね? 何故そんなにも価値が上がったのでしょう?」


 さすがに相場の倍以上というのは不可思議だ。


 ティモシーはそんなロズリーヌの疑問に答えてくれた。


「『女神の赤い首輪』の価値は貴方が存在しているからこそ高いようです。『赤い首輪の女神像』は……貴方にそっくりでしょう?」


 ロズリーヌの代わりにマルティーニが何度も頷くと、ティモシーも満足そうに頷いた。


「『赤い首輪の女神像』は亡き天才彫刻家の理想の女神を形にしたものと聞いています。彫刻家が生きていて、その理想が実在していると知ったら、さぞ感激したことでしょう。彫刻家亡き後、『女神の赤い首輪』と『赤い首輪の女神像』を所有していた遺族が貴方に二つを譲ったのがその証拠です。『女神の赤い首輪』は貴方の元にあることが相応しいのですよ。そして『女神の赤い首輪』は貴方のものであるが故にさらに価値が上がるようです。貴方が持っている間に、二億跳んで百万、二百万と、増え続けていますよ」


「本当ですか?」


「さぁ、どうでしょう」


 弄ぶかのような悪戯な唇にロズリーヌの心臓は呻いた。たまらずマルティーニを呼び寄せ、扇子の裏で耳打ちする。


「……ティモシー殿下って、こんな人だったか?」


「はい。殿下は本来こういう方です」


 二つ返事で返されて、ロズリーヌの頭の中には疑問符がいくつも浮かんだ。ロズリーヌ──ロズアトリスの知るティモシーは、決してこのような、意地悪な物言いをする人物ではなかったからだ。

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