悪女ロズリーヌ02
皇子マクシムは聖女シャルルリエルの婚約者。二人は必ずセットで社交界に登場する。
「ごきげんよう、ロズリーヌ様。わたくしはこれでもかというくらい煌びやかなあのネックレスが貴方にはお似合だったので、ちょっと残念な気持ちになったわ。本当に『女神の赤い首輪』を手放すの?」
シャルルリエルはまるで本当に残念がっているかのような顔をしているが、言葉には棘がある。しかしその言葉の棘にも、ロズリーヌは顔色一つ変えなかった。
「もちろん。寄付金を集め、一人でも多くの人々に支援が行き渡れば、それに勝る喜びはないからな」
「そうやって自分の持っている物を手放して寄付金を集めなくてはならないなんて、貴族は大変ね。そんなことをするくらいなら何もせず、わたくしに任せてくれれば良いのに」
シャルルリエルが聖女である自分を主張し、白い祭服を着た胸に手を当てると。
「その通りです聖女様!」
「さすが、次期大聖女候補に選ばれるだけありますな!」
周りの貴族たちが囃し立てた。いつの間にか夜会の参加者たちが周囲に集まっている。 どうやら彼らの目的はシャルルリエルのようだ。
シャルルリエルは聖女としての神聖さと持ち前の愛らしさで、貴族たちを惹きつけている。聖職者の半数は貴族出身者だ。貴族たちの歓心を買うことで、聖教会内での影響力を強めるつもりなのだろう。シャルルリエルは無知で無邪気な聖女だと言われているけれど、その実、かなりしたたかで野心家であるというのがロズリーヌの評価だった。
「そういえば、最近何者かに襲われたと聞きましたよ? お怪我をされたとも聞きましたが、大丈夫ですか?」
ある青年貴族が問うと、シャルルリエルはさっと顔を下げて表情を暗くした。
「実は、先日大聖堂から帰るときに狙われて……。腕に怪我をしたんです」
彼女が細い指で腕をさすると、一同は気の毒にとため息を吐いた。
「でも、わたくしには聖力がありますから。暴力には決して屈しません!」
しかしシャルルリエルがそう胸を張れば、一変して拍手が沸き上がる。良くできた演目だ。ロズリーヌが内心彼女の見事な演技に感心していると、初老の男性貴族がこんなことを言った。
「あぁ、さすが正式な大聖女候補になられた聖女様は違うなぁ。最近では聖女シャルルリエル様が大規模に施しをしてくださるおかげで、我々貴族が仕方なく下々の者に支援をする必要が無くなった。だいたい、我々貴族はただでさえ多額の税金を納め、国に貢献しているのに、小金を納めるだけの貧民平民にまで金をばら撒かなくてはならないなんて、どうかしている。そもそもチャリティーを行う貴族がいるのは迷惑なんだ」
(……)
思わずロズリーヌはピキリと眉を動かして反応した。自分の噂や悪口、彼女を手放しで褒める賛辞は聞き流せても、これは聞き捨てならなかった。
しかし。
「聖女シャルルリエルなら身一つで寄付金を集められるうえに、聖力を際限なく使うことができる【無限】の力を駆使して、癒しを与え続けることができるからな!」
皇子マクシムが大きく頷き言うので、頭が痛くなって眉根を寄せてしまった。
(他でもない、貴方が言うのか?)
ロズリーヌは呆れていた。けれど辺りを見回してみる限り、ロズリーヌと同じ胸中の者はいなさそうだった。皆、うんうんと頷き、マクシムの言葉に耳を傾けている。
「さすが私のシャルルリエルだ。【導き】の聖女ロズアトリスとは比べものにならないくらい素晴らしい!」
「きゃっ嬉しい!」
人目もはばからずマクシムに抱き着くシャルルリエル。マルティーニは二人に分からないようケッと吐き捨てて、ロズリーヌに耳打ちした。
「相変わらず、嫌味な二人ですね。聖女シャルルリエルも男爵令嬢のくせに」
「彼女は自分の立場を使い分けるのが上手い。私も器用にそれができたら良かったのだがな。しかし、そんなことより。先の言葉は聞き捨てならん」
ロズリーヌは扇子の下でマルティーニにそう答えてから、扇子を閉じて手に打ち付けた。
パシン、と乾いた音が響くと、皆は恐々としてロズリーヌに注目した。
「当事者が言うのは慢心かもしれませんけれど。私は貴族の皆様主催のチャリティーを大変素晴らしいものだと思っています。聖職者たちの施しは義務ですが、貴族の皆様の施しは善意に基づく活動ですから」
「けれど平民たちは身の程も知らず、偽善者だと誹るだろう」
マクシムが不満そうに言い返したが、ロズリーヌはゆっくりと首を振った。
「言わせておけばよろしいのです、殿下。偽善でも善でしょう。その偽善によって救われる人がいるならば、私は支持いたします。そもそも聖教会だけですべての人を救えるわけではありませんもの」
「何を言うの!? 聖教会は! わたくしは! すべての人を救います! そのために聖女が、大聖女がいるのです! わたくしにはその力があります!」
ここぞとばかりにシャルルリエルが声高に宣言すると、貴族たちは歓声を上げた。しかしその歓声を断ち切るように、再びロズリーヌの扇子が鋭く音を立てる。
「理想を掲げるのは素晴らしいことです。それは認めましょう。けれど現実を見なくてはなりません。聖教会も手は尽くしていますが、必ずしもすべての人たちを救えるわけではありません。孤児はいなくなりません。貧しい人はいなくなりません。そもそも、仮にすべての問題が聖教会だけで解決できるのなら──皇室の存在意義が問われてしまいますよ?」
さっと皆の視線がマクシムに集まった。シャルルリエルもハッとした様子でマクシムを見る。
(自分の価値を主張するために、最大のパートナーである皇室……マクシム殿下の価値を下げる発言をしてしまったと気づいたようだな)
シャルルリエルも馬鹿ではない。表情に焦りを滲ませるくらいには、自分の発言の危うさを理解している。
一方、マクシムはというと。皆の視線を一身に受け、緊張した様子ではははと空笑いするのだった。
「え、えっと、我々皇室は、そのぅ、聖教会と協力していて……何人か聖女や聖人と血縁を結んでいる者もいて……」
「……それって、ただの聖教会の腰巾着という意味になると思いませんかロズリーヌ様?」
マルティーニがロズリーヌに耳打ちした声が聞こえていたのだろうか。マクシムはたじろいで「ワ、ワインを!」と近くを通りかかった侍従に申し付けた。
集まっていた貴族たちからはため息が漏れ、吐いた息とともに興味も口から出てしまったのか、取り巻きたちはそろそろと離れていった。マクシムはどこかほっと息を吐いたが、シャルルリエルが強く拳を握りしめるのをロズリーヌは見逃さなかった。
しばらくして、銀の盆に四つ、赤ワインが入ったワイングラスを乗せた侍従がやってきた。マクシムは自分の分だけグラスを取る。
「さ、さぁ、気分を落ち着けるためにワインでも飲もうじゃないか。君もワインを飲んで落ち着き給えロズリーヌ」
落ち着くのは貴方とシャルルリエルで十分だろう、と思いはしても口には出さず。ロズリーヌはシャルルリエルがグラスを取るのと、マルティーニが自分の分とロズリーヌの分を取って渡してくれるのを待った。
(……それにしても、最近襲われた、か)
そうして目を細める。
マゼンダの瞳が閃いたと思うと、ロズリーヌの視界の中に黄金の時計が現れた。シャルルリエルとマクシムの胸の前に表れたのは、残り時間がわずかとなった懐中時計──。
懐中時計は一日以内に死を迎える者に対して見える、タイムリミットだ。さらに、シャルルリエルとマクシムの懐中時計は残り五分を切っていた。
(な!? このワインに毒でも入っているのか!?)
どっと心臓が嫌な動きをしたが、ロズリーヌは表情には出さず、脇に侍るマルティーニの命の時間も確認した。
マルティーニの胸の前に現われたのは黄金の砂時計。ワインに毒が入っているにしても、二人のグラスだけらしい。ひとまずロズリーヌはゆっくり息を吐き──。
「シャルルリエルさん、失礼」
徐にシャルルリエルの首元に手を伸ばした。警戒したシャルルリエルが「何です?」と下から睨み上げてきて、ロズリーヌは冷静に告げた。
「御髪に、大きな蜘蛛が……」
「蜘蛛!? いやぁっ!!」
パリン!
シャルルリエルが取り落としたワイングラスが床で割れ、跳ねた赤ワインが彼女のドレスに小さな赤い染みをつくった。ロズリーヌはマルティーニに目配せをして、赤い染みを指さす。マルティーニは静かに頷いて、屈んでそっと床のワインをハンカチでふき取った。
一方、シャルルリエルが悲鳴を上げたことで、ホールの空気は張り詰めていた。貴族たちは震えるシャルルリエルと、微動だにせず立ち続けるロズリーヌを交互に見つめながら何事かと囁き合う。
「あぁ……お母様から譲り受けた大事なドレスに染みが!」
ここで突然シャルルリエルがはらはらと涙を流し始めた。マクシムが焦った様子で「そのドレスはつい先日私がプレゼントしたばかりだろう?」と言うと、足を強く踏んで黙らせたので、シャルルリエルの主張を鵜呑みにした貴族たちの囁きはどんどん大きくなっていった。
「母君から譲り受けた大切なドレスだって? 可哀想に」
「ロズリーヌ様がワインを引っかけたの?」
──あぁ、また悪女の仕業なのか。
そう囁かれるようになってから、ようやくロズリーヌは口を開いた。
「……シャルルリエルさん。おかわいそうに。そのドレス、わたくしが元通りにして差し上げましょうか?」
「ドレスを預かるふりをして、お母様の大事なドレスを捨ててしまうつもりでしょう! このドレスは渡さない!」
決して譲らないという目つきでロズリーヌを睨むシャルルリエル。
何でも茶番にしてしまう演技力は素晴らしく、こちらとしても観衆に悪女ロズリーヌを強く印象付けられるのでさほど不満は無いのだが。いつか彼女の嘘が虚言壁となって彼女を苦しめないか、不安でもある。
ロズリーヌが冷静にシャルルリエルの評価を下しながら、次の言葉を発しようと口を開いたところ。
「ロズリーヌ! この悪女!」
マクシムの大きな声が辺りに響いた。
そうしてマクシムは泣いて悲しむふりをしているシャルルリエルの肩を抱いてホールを出て行ってしまった。去っていく彼らの背に浮かぶ黄金の時計は、懐中時計から砂時計に変わっていた。
残されたロズリーヌには会場中の視線が刺さり、悪女の噂が荒波のように押し寄せていた。それでもロズリーヌは己に降り注ぐ貴族たちの冷たい視線や心無い罵倒を少しも歯牙にかけず、マルティーニとともに颯爽とホールを横切ってバルコニーへ向かうのだった。
(好きなだけ悪女だ何だと呼べば良い)
ロズリーヌが悪女と囃され、悪女の仮面が分厚くなればなるほど、もう一人のロズリーヌ──ロズアトリスが同一人物だという事実は隠されてゆくのだから。




