聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル03
ティモシーに具体的な頼みごとを託し、ロズアトリスが皇宮からトリオール邸へ帰って来た頃には、もう夜が明けていた。
少しでもいいから休んで欲しいというマルティーニとピエールの意向に沿い、ベッドに寝転がって束の間の休息をとる。眠れなかったけれど、ピエールが心身の休まるハーブティーを淹れてくれたからか、それともティモシーと共に飲んだホットミルクのおかげか。身体を起こしたときの調子は悪くなかった。
大一番の真っただ中にいるというのに、ロズアトリスの一日はいつも通り始まった。朝はピエール特製の朝食。マルティーニの手際の良い支度。ロズアトリスとして屋敷を出ると、日中はルドルダ大聖堂で聖務を全うした。ただ、ふとしたときにヴェルのことが頭をよぎり、落ち着かなかった。
深夜の皇宮でティモシーにはやってもらいたいことを伝えてある。おそらくティモシーはその通り動いてくれているだろう。それについては疑う余地はないが、上手くいくかが心配だった。それから、彼に罪の片棒を担がせてしまったことも、損害を与えてしまったことも申し訳なかった。そして。
(ロズリーヌには何もないのか……)
ロズリーヌにティモシーもノアも接触してこなかったことが、何故か気になって仕方がなかった。
ティモシーには婚約しようとまで言われ、ノアからはヴェルの情報を買っているにもかかわらず。ヴェルがどうなったのかの連絡もなければ、協力の要望もない。ロズアトリスとしてティモシーに任せたまま、高みの見物をするわけにはいかないので、ロズリーヌとして協力したかったのに、当てが外れてしまったのである。
(こんなことならロズリーヌとしてノアを尋ねておけば良かった。いや、今からでも間に合うか?)
ロズアトリスは聖務を終えて帰路についた馬車の中で、難しい顔をして腕を組んだ。エラヴァンシーとの約束の零時まではまだ時間がある。すぐにノアの元へ向かえば、あるいは彼の力になれるかもしれなかった。
思い立ったら即行動のロズアトリスは、馬車が屋敷に着くなり扉が開く前に飛び出して、自室に駆け込んだ。後を追って来たマルティーニが外出の支度を手伝ってくれ、ロズリーヌとして出かける準備が整ったところで、扉越しにピエールの声がした。
「ノア様がお越しです」
ロズリーヌは目を大きくして驚き、マルティーニと顔を見合わせた。だがすぐに気持ちを切り替えて、ピエールに彼をサロンに通すよう伝え、自身もサロンへ急いだ。
季節的に火をくべていない暖炉の前に用意されたカウチソファに、黒いローブを着て白い仮面をつけ、黒髪を肩口から流したノアが座っていた。ロズリーヌは挨拶をして、向き合える場所にある一人掛けのソファに腰かけた。
「どんな用件で私を訪ねたのだ?」
気持ちが逸るあまり、単刀直入な物言いになってしまう。けれどノアは気にする様子もなく言った。
「ヴェルが聖女シャルルリエルに拘束され、今は皇宮の牢で裁判を待つばかりなのを知っているか?」
ロズリーヌは首を縦に振った。
「話が早くて助かる。その件で、貴方に託したいものがあって来たんだ」
「私に託したいもの?」
ロズリーヌが問い返すと、ノアは頷いた。
「これを。……これだけは、貴方の判断に任せた方が良いような気がするんだ」
ローブの下から濃紺の小箱を取り出し、ローテーブルの上に滑らせる。ロズリーヌはすぐには小箱を手に取らず、ノアの様子を観察した。
唇には微笑の片鱗もなく、無表情。雰囲気は落ち着いているが、隙の無い風体には妙な緊張感がある。しばらく見つめていても何も言わないのは、ロズリーヌがどのような反応を見せようが小箱の中身を託す覚悟をしているということだ。
ロズリーヌは彼の覚悟を受け取った。
小箱を手に取り、そっと中身を見る。
「これは!?」
「貴方の役に立ててくれ。それでは、俺は少々忙しいのでこれでお暇させてもらおう」
目を見開いたロズリーヌを残し、ノアは早々に立ち上がった。そうして踵を返し、出ていってしまったのだった。
彼を目で見送って、もう一度小箱の中身に視線を落とす。
(どうして彼はこれを私に託したんだ?)
ロズリーヌは長考した。ノア、あるいはティモシーの意図を測りかねたこともあるが、そもそもこの小箱の中身をどうするべきなのか、判断を迫られていたからだ。
やがて結論に達したロズリーヌはすぐにでも行動に移そうと、ピエールとマルティーニを呼びつけた。
「これから外出する。ピエールは会う約束を取り付けてくれ。マルティーニは私の支度を手伝ってくれ。これから彼の人のところへ……」
そこまで言ってロズリーヌはふと疑問に思った。
(何故、彼は私を彼の人に会わせたいのだ? それも、こんな手土産を持たせて)
つまり、ノアにはロズリーヌを彼の人の元へ向かわせたい理由があるのだ。それがただロズリーヌに花を持たせたいという理由ではないことは、『狐』というあだ名を持つ彼の性格から推測できた。
「……やめた。もう少し考えてからにする」
ひとまず二人へ下した指示を取り消して、ロズリーヌはまた考えに耽った。
***
ルドルダ大聖堂の後陣には、再び昨日の役者たちが集められていた。
大聖女座に大聖女エラヴァンシー。その隣に聖配アドリアン。向かいに聖女シャルルリエル。そして聖女ロズアトリス。
「ロズアトリスさん。心なしか、顔色が悪いように見えますよ? もしかして、あれだけ彼を助けると豪語したのに、何も策を用意できなかったのかしら?」
シャルルリエルは自信に満ちた表情でくすくす笑った。
ロズアトリスは彼女を一瞥するだけに留め、大聖女エラヴァンシーに向き直った。主張は大聖女にするべきだと思っているからだ。
煽りに乗ってこないロズアトリスの横顔を、シャルルリエルは顎を上げて睨む。
大聖女エラヴァンシーはそんな二人を玉座から見下ろし、口を開いた。
「では、改めてロズアトリスの宣言を聞こう」
貫禄のある声が響き渡ると、空気が引き締まった。
ロズアトリスは、胸の奥の奥まで冷えた空気を吸った。
「──わたくしは、『事件の収束』をもって宝石ドロボウ事件の解決を宣言します」
「ふふ、事件の収束? それくらいの宣言なら、昨日のうちにできたでしょうに。悪あがきもできず、結局、そのまま収まったということ? ロズアトリスさんって、おっしゃるだけで何もできないんですね」
憐れむような目を向けながら、口元では可笑しそうに笑うシャルルリエル。
一方ロズアトリスは冷静な態度を崩すことなく、大聖女エラヴァンシーに向けて続けた。
「『事件の収束』とは、宝石ドロボウが二度と同じことを繰り返さないということです。そして、事件にかかわった者は事件をこれ以上詮索しないこと。事件に関する他の者の罪も問わないということです。わたくしは、聖女シャルルリエルが告解室での告白を晒したという罪をも、赦すべきだと考えます」
ロズアトリスがヴェールの下で目を動かしても、他人には分からない。シャルルリエルはロズアトリスに見られていることを知りもせず、まるで仇のように睨んでいる。
「宝石ドロボウの方をどうにもできないからって、わたくしへの当てつけですか? ひどいです……でも、残念でした」
にたり、とシャルルリエルは目を細めた。
「今、マクシムが皇帝陛下に『告解室での自白をもとに裁判を開くための法案』を出しに行ってくれています。ちょうど明日──今日かしら──に廷臣を交えた会議があるのですって。きっとこの法案はすぐに認められるでしょう。そうなれば、わたくしに落ち度はありません」
(やはり、一筋縄ではいかないな。大聖女エラヴァンシー様に次期大聖女候補に選ばれるだけある)
ロズアトリスは素直に心の中でシャルルリエルのことを賞賛した。シャルルリエルはかわいい見た目の裏にこうした賢い部分を隠し、人々の好感を集めて自分の理想を実現するのだ。嫌われても良い、自分の考えが正しいなら自ずと皆がついてくると考えているロズアトリスとは真逆。
とはいえ、聖教会の一員としてシャルルリエルの『告解室での自白をもとに裁判を開くための法案』なんてものを許可するわけにはいかない。
「その件は大聖女様の許可を得たものなのですか?」
シャルルリエルはきっぱりと「いいえ」と言った。
「どうして大聖女様の許可が必要なんです? 何もかも大聖女様の許可を得なければいけないのなら、大聖女様の意向にないことは絶対に実現しないことになりますよ? 事あるごとに平等を押し出しているくせに、それでは不平等ではありませんか?」
よくも大聖女エラヴァンシーの前で言えたものだなとロズアトリスは呆れた。ただ必ずしもすべてが間違った主張でないことが、余計にややこしい。
(聖教会の意向を大聖女様に集約するのは秩序のためだ。平等と同じくらい秩序が大事なことを、シャルルリエルは分かっていない)
ここで自分が秩序のことを説いても仕方がないと思ったロズアトリスは、一旦呑み込んだふりをすることにした。大聖女エラヴァンシーが黙って見守っているのなら、それに従うまでだ。
「貴方の主張は分かりました。その件については、わたくしではなく大聖女様や枢機卿の方々の判断にお任せいたします。今は、第一の試練です。大聖女様。わたくしとシャルルリエルの宣言がそろいました。この後はどうなるのです?」
ロズアトリスが促すと、大聖女エラヴァンシーはようやく口を開いた。
「試練には、初めと終わりはあれど、それまでだ。わたくしの提起を以てして開始し、二人の宣言を以てして終了する。次期大聖女が決定するのは三年と約半年後だ」
つまりはこれで終わりということだ。
ふぅ、とロズアトリスが人知れず息を吐いた、そのとき。
「シャーリー! 宝石ドロボウが!!」
大声でシャルルリエルの愛称を叫びながら、マクシムが後陣まで駆けこんで来た。
全員がマクシムに注目する。額に汗を浮かべ、荒い息をするマクシムの様子はいかにも緊急事態発生の象徴だった。
「どうしたのマクシム!? こうして駆け込んでくるなんて!」
シャルルリエルが問い質すように言うと、マクシムは息も切れ切れに答えた。
「そ、それが! さぞかし、恐怖に震えているだろうと、宝石ドロボウの様子を見に行ったら、姿がなく! 牢番に、聞いたら、釈放されたと言われたんだ!」
「何ですって!?」
思ってもみないことだったのだろう。シャルルリエルは信じられないという顔をして、「本当に? 間違いないの?」ともう一度確認した。しかしマクシムが「間違いない」と言い切るので、ぱっと表情を変え、指を唇に持ってくると歯を立てた。彼女の視線は定まらなくなっている。けれどしばらくするとその視線はロズアトリスに注がれた。
「まさか、貴方が……!?」
「──正確には、私が、です」
「!」
シャルルリエルの問いに答えたのは、男性の声だった。




