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大聖女選定~悪女は聖女の裏の顔~  作者: あまがみ


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聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル02

***


(どうヴェルを助け出す!?)


 トリオール邸に帰る間の馬車で、ロズアトリスは震える手を隠すことなく唇に当てていた。


 大神殿であったことを話してから真っ暗闇の外に視線を投げて、一言も話さなくなった主を、マルティーニは心配そうに見守ることしかできない。いつもなら彼女の気持ちを察して心配いらないと声をかけるロズアトリスだが、それどころではなかった。


(不当な捕縛をいくら主張しても、ヴェルが捕まっている以上、裁判は開かれてしまう。裁判が開かれれば貴族たちの怒りが集中し、自白をもって死刑が決まってしまう)


 明日の零時までにヴェルを自由にさせられなければ、ヴェルの命はない。彼の命は今やロズアトリスの手にかかっているのだ。


 見えない錘を乗せられているような重圧に、ロズアトリスは押しつぶされそうになりながらも、必死に考えを巡らせた。諦めるという選択肢はない。


 そうしてふと、ある考えに行き着いた。


 その瞬間、ある人の姿が頭の中に浮かび上がった。


 ──彼なら、あるいは。


 ロズアトリスの考えを確実に遂行してくれるであろう人物だ。しかしここでロズアトリスは迷った。


(どちらの彼にどちらの私で会いに行くべきか。ロズリーヌではどちらの彼にも説明ができない)


 ロズアトリスにできないことはロズリーヌに任せていた。けれど大神殿であったことをロズリーヌが知っていると示唆するわけにはいかない。


(かといってロズアトリスは裏の彼を知らず、表の彼との接点を自ら断ってしまった)


 俗世ではロズリーヌとして生きてきたことが、ここで弊害となるとは。そして自ら関係を断ったはずなのに、彼を頼ろうとしてしまう己の不甲斐なさに腹が立って仕方がなかった。けれど、その怒りもすぐに萎んだ。


(……そもそも、彼がどこにいるかも分からないではないか)


 彼のことを良く知らないという事実が追い打ちをかけ、ロズアトリスは打ちひしがれるのだった。


──キィ


 ここで音を立てて馬車の扉が開いた。


 外から扉を開けたのはピエールだった。いつの間にか馬車はトリオール邸の玄関についていたらしい。ロズアトリスは動かず、マルティーニはどうすれば良いのか分からないのか、今にも泣きそうな顔でロズアトリスとピエールの顔を交互に見る。


 敏感に事情を察したピエールが、ひとまず青い顔をした主を屋敷に入れようと手を伸ばした。しかしロズアトリスはそれを拒み、静かに口を開いた。


「──皇宮へ行く。準備をしてくれ」



***



 聖女シャルルリエルが大聖女エラヴァンシーに進言し、呼び出された聖女ロズアトリスがルドルダ大聖堂に入った。聖女シャルルリエルの後には、手錠をつけた少年を連れたマクシムが続いた。


 深更にその情報を得たティモシーは、長いため息を吐いた。


「……第一の試練の結果が出るか。ロズアトリス様はどこまでを知り、何をされていらっしゃったのだろうか」


 大聖女エラヴァンシーが『宝石ドロボウ事件を解決せよ』という第一の試練を下したことは、試練が下された三日後には把握していた。地下都市の代表取締役ノアとして、宝石ドロボウのことは事件が勃発した当初から関わっていたため、大聖女が宝石ドロボウ事件を取り上げたと知ったときは驚いたものだ。


 シャルルリエルが社交界で大々的に宝石ドロボウ事件を調査し始めたが、思うように情報を得られず、二の足を踏んでいたのはティモシー(あるいはノア)の情報統制の所為である。元々宝石ドロボウの情報は誰にも掴まれないよう手を回していたのだが、そのおかげでロズアトリスにまで何の情報も回っていなかったら……とティモシーは陰ながら心配していた。しかし、ロズアトリスはそもそも事件の調査をしている気配さえなく、ティモシーは彼女の真意を測りかねていた。


「ロズアトリス様が大聖女様の指示を無視なさるはずがない。だがどれだけ調べてもロズアトリス様が宝石ドロボウ事件を調査しているという情報は得られなかった。代わりに得られたのが、ローズが事件を調査しているということ……」


 何故、悪女と名高いロズリーヌ・トリオール伯爵が宝石ドロボウ事件に目を付けたのか。


(屋敷を襲撃され、命を狙われてまで動く理由は何なんだ?)


 ロズアトリスの真意も分からなければ、ロズリーヌの真意も分からない。ここで仮説を立てるなら──。


「どう思う、シリル。ローズはロズアトリス様の指示を受けて動いている……と思うか?」


「さぁ、私にはさっぱり」


 執務机を挟んで目の前に立つシリルは冷めた様子で告げる。ティモシーは全く意見交換に参加しようとしないシリルをじっとりと睨んだ。


「お前、ロズアトリス様が第一の試練をどうされているのか気にならないのか?」


「気になると言ったら彼の聖女様を慕っているのかと邪推するくせに」


 主の性格をよく分かっている。図星を突かれたティモシーは「それはそうだが」と認めつつ、言い方を変えることにした。


「聖女シャルルリエルが大聖女になっても良いのか?」


 シリルは答えを探し、彼にしては少々時間を取ってから口を開いた。


「……聖女シャルルリエルが大聖女になったら、地位を盤石なものとして確立し続けたい貴族たちは喜ぶでしょうね」


 ティモシーは手を組んで天井を仰ぎ見た。


 シリルの指摘はその通り。貴族のような有力者たちは第一の試練の結果を見てからどちらを支持するのか決め、本腰を入れようとしている。しかしすでに貴族たちの大半は、自分たちの特権を守り続けてくれるであろう聖女シャルルリエルに傾いている。反対に平民たちはよく奉仕へ出向いている聖女ロズアトリスを支持しているようだ。


「お前は貴族だが、どちらを推す?」


「貴方が推す方を選びます」


 従者として完璧な回答だ。


 ティモシーはシリルに向き直り、金色の瞳を閃かせた。


「私は何としてでもロズアトリス様を推す。たとえロズアトリス様が無秩序をもたらし、不平等を推進するお方であっても」


「では何故、宝石ドロボウ事件の犯人ヴェルの情報を、彼の聖女様に差し出さなかったのですか?」


 ティモシーは唇を引き結んだ。


 ロズアトリスからは婚約解消されてから音沙汰がない。それでもティモシーはいつでもロズアトリスの力になれるよう、宝石ドロボウ事件の詳細をまとめた資料を用意し、ヴェルから買い取るふりをした宝石も証拠として残していた。国内では足がつく宝石も、外国へ売り払ってしまえばいい。ティモシー、いや、ノアにはそれができたのにしなかったのだ。


 引き出しを開け、しまってある宝石ドロボウの資料を掴む。けれどティモシーは資料を戻し、引き出しを閉めると大きなため息を吐いた。


「……ロズアトリス様が自ら私を頼ってくださるのを待っていたんだ」


 伏せた瞳が見つめているのは契約書。『女神の赤い首輪』を奪おうとした人物の情報を与える代わりに『女神の赤い首輪』を譲り受け、地下通貨で一億稼ぐという、ロズリーヌと交わした契約を記したものだ。


「では何故、ロズリーヌ殿には情報を渡したのです?」


 答えを持っているのに、ティモシーは組んだ手を額に当てたまま固まっている。シリルは押し黙った主の後頭部を見つめながら呟いた。


「──私はそんな貴方を支持するのですよ」


「何か言ったか、シリル」


 シリルは間髪入れずに「いいえ」と答えた。


 しかしティモシーは素早く顔を上げると、下から睨み上げるように言った。


「言っておくが、私の心にあるのはロズアトリス様ただお一人だ。決して、断じて、ローズに恋をしているわけではない」


 シリルは思わず「何を言い出すのですか」と眉を寄せた。


「どうでも良いですよそんなこと。ロズリーヌ殿に心変わりしたから彼女に情報を渡したのだと解釈したと思ったのですか?」


「違うのか?」


 目を大きくするティモシーに、シリルは呆れてため息を吐いた。


「違います。誰が心変わり爆速単純男を支持するのですか。貴方の欠点はロズアトリス様が絡むと思考がポンコツになることですよ」


「心変わり爆速単純男!? ポンコツ!? ぶっきらぼうな堅物に言われたくない! 不愛想すぎて見合いに失敗したこと、知っているからな!」


「婚約破棄された人に言われたくありません」


「うっ……ロズアトリス様……」


 机に突っ伏し、項垂れるティモシー。


 シリルがまたポンコツになってしまった主人にほんの少し肩を下げた、そのとき。


──ガサッ


 バルコニーへ出る掃き出し窓の外から不審な音がして、二人は同時に口を閉じて音に集中した。


 目配せをして、シリルが腰に佩いた短剣を抜き、掃き出し窓へ近付く。


「──えっ」


 彼にしては珍しく驚いた声をあげるものだから、ティモシーはすぐに腰を浮かせた。大きく開いた目でこちらを見て、もう一度窓の外を見るシリルの視線を追って、ティモシーも外を見る。


 瞬間、ティモシーはバルコニーに飛び出た。


 銀の月光を白く反射し、神々しく輝く月の女神が傍の木に引っかかっていたからだ。


「ロズアトリス様!? どうしてそんなところにいらっしゃるのです!?」


 ティモシーの麗しの月光。聖女ロズアトリスが、木の上からこちらを見下ろしていたのだった。




「ロズアトリス様!? どうしてそんなところにいらっしゃるのです!?」


 ティモシーが驚いて珍しく大声をあげるのを、ロズアトリスは木の上から見下ろしていた。


 ロズアトリスとして面と向かって会うのは四カ月ぶり。まず何を言うべきか迷って、ロズアトリスは初めの言葉に詰まってしまった。


「……ティモシー殿下。お久しぶりです。こんな遅くに明かりがついているのが見えて、もしかしてと思って」


 貴方に会いに来ました、という言葉は出てこなかった。


(自ら関係を断ったのに。よく恥ずかしげもなく彼を訪ねられたな、私)


 自分でもどうしてこんなことをしているのか理解できていないロズアトリスは自問する。


 皇宮に赴いたロズアトリスは、当初、秘密裏にヴェルを助け出して逃がそうと考えていた。様々な策を考えたが、より確実なのがその方法だったからだ。悪いことだとは分かっていた。だが、そうでもしなければ間に合わないと思っていたのである。


 しかし、皇宮へ来て、こんな深夜に一部屋だけ明かりが点いているのを見たとき、希望の光を見たような気がした。


 もしかしてと彼の顔を頭に浮かべながら明かりの元へ行き。別人の部屋かもしれない、堂々と玄関から入るべきか、でも──ともだもだする思考を追いやって、まずは部屋を覗こうと木を登った。そしたら案の定、ティモシーが現われたというわけだ。


「……すみません、出直します」


 ロズアトリスはやはり、こんな風に彼を尋ねるのは良くないと思い、木から降りようとした。


「お待ちください! ロズアトリス様!」


 しかし、ティモシーに引き止められて、ロズアトリスは降ろしかけた足を止めた。


「どうぞお部屋へお上がりください。危ないですから、お手をお貸しします」


 ティモシーは器用にバルコニーの柵に立ち、両手を広げる。


「危ないですよ!?」


 ぎょっとしたロズアトリスが心配すると、ティモシーははちみつがとろけたように笑った。


「これくらい、大丈夫です。貴方を安全に降ろしてみせますよ。さぁ、こちらへ」


 ずい、と手を近付けてくる。


 ここで断ってもかえって危険を招くかもしれないと理由をつけて、ロズアトリスは彼の首へ腕を蒔きつけ、身を委ねた。ティモシーはロズアトリスを抱えた状態で軽々とバルコニーへ降り立ち、そのまま部屋に入ってソファにロズアトリスを座らせてくれた。


「お身体が冷えています。ホットミルクでも用意させましょう」


 ティモシーが言うと、シリルが察して部屋を出ていった。断る機会を逃したロズアトリスは「ありがとうございます」と礼を述べる。それを最後に、ロズアトリスは口を閉じてしまった。


 彼に話したいことがある。頼みたいことがある。喉まで出掛かっているのに、上手く言葉が作れないのだ。


 向かいに座ったティモシーも何も言わない。


 結局二人はシリルがホットミルクを乗せた盆を持って来るまで喋らなかった。


 シリルは部屋に入ると、まずロズアトリスにホットミルクを渡してくれた。ロズアトリスは大きめのカップに入ったホットミルクの水面を見つめる。次にホットミルクを受け取ったティモシーはすぐに口をつけた。ロズアトリスは遠慮していたが、ティモシーが口をつけたので自分も一口飲んだ。


 とろける甘さだった。おそらくはちみつが入っているのだろう。吐いた息がほっと宙で転がって、カップを持つ手から伝わるぬくもりに身体が解けてゆく。


「お口に合いましたか?」


「えぇ」


 ティモシーは「良かった」と優しく笑った。ロズアトリスはホットミルクと彼の温かい笑顔に気を取り直した。


「……実は、お願いがあって、殿下に会いに来ました」


「聞きましょう」


 前のめりになって、耳を傾けてくれる。


 ロズアトリスはティモシーに最初から説明した。大聖女エラヴァンシーから受け取った第一の試練の内容。先刻ルドルダ大聖堂であったこと。それからロズアトリスが第一の試練をどのように受け取ったのか。


「わたくしはシャルルリエルと争うつもりはありません。事件さえ解決すれば良いと思っています」


 カップの水面を見つめたまま語るロズアトリスに、ティモシーはなるほどと頷き、先を促す。


「では、お願いというのは何ですか?」


 ロズアトリスは一拍置いてから、顔を上げた。


「……しかし、わたくしはシャルルリエルの用意した答えに納得できませんでした。罪人の罪は裁かれるべきで、罪人は赦しを乞わねばなりません。けれど二度と罪を繰り返さぬよう、己を律して『生きる』べきなのです」


 瞳は見えずとも、引き締まった唇がロズアトリスの決意を如実に表している。


「この国の民は、不平等な法の下にさらされています。理不尽な判決と裁きだけの時代を繰り返させてはなりません。ですから殿下には、宝石ドロボウ事件の犯人の命を助けるために、協力してほしいのです」


「殿下に罪人の隠避、あるいは蔵匿の片棒を担げとおっしゃるのですか?」


 これまで黙って聞いていたシリルが口を出す。ティモシーはシリルを睨んで咎めたが、シリルは澄ました顔を崩さなかった。


 罪人を逃がすなどという行為に協力してくれと頼んでいるのだ。シリルが主を心配するのは当たり前だろう。だが、そうでもしなければ平民である犯人、ヴェルの命はない。そう情に訴えかけるように言えばシリルも納得し、ティモシーも動いてくれるかもしれなかった。


 しかし。


「えぇ、そうです。帝国法をいくつか破ることになるでしょう。罪悪感が残るかもしれません。宝石ドロボウの命を助けるために負った罪は償わねばならなくなります。そして──わたくしもですが──殿下は、それらを他の者たちに悟られることなく遂行しなければなりません。そうでないと捕まって裁判にかけられてしまいますからね」


 ロズアトリスはそう言い切った。


 ティモシーは穏やかな表情の裏に考えを隠していて、彼が何を思っているのかは全く読めない。一目で無表情だと分かるシリルと違って好意的にも見える分、厄介だった。


(だが、それなら──)


 かえって言葉を選ぶ必要はない。


 ロズアトリスは細い指先で己の胸を差し、言い切った。


「殿下には、わたくしと闇に堕ちる覚悟がおありですか?」


 冷たい空気を引き締める、気品。わざわざ深更に木を登ってまで頼みに来たはずなのに、下手に出ることも、取引を持ち掛けることもない。ただ、己が背負う罪をすべて明かしたうえで、ロズアトリスは彼自身に選択を委ねた。


 ティモシーは深く息を吸った。


「……罪を知り、それでも光を選ぼうとする貴方のためなら、喜んで堕天いたしましょう」


 まるで天使のような純真無垢な笑顔がロズアトリスに向けられた。


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