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大聖女選定~悪女は聖女の裏の顔~  作者: あまがみ


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聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル01

「準備ができたら、ルドルダ大聖堂の左翼の告解室へお行き。そこで罪を告白し、貴方のこれからの生き方を宣言し、その通りに生きるのだ」


 ヴェルの人生を手に入れたロズリーヌが最初に言い渡したのは、そのような内容だった。ヴェルは「でも、罪を告白したら捕まるんじゃ」と心配したが、教会は罪人や悪人を捕まえるところではないこと、告解室での子羊たちの秘密は決して外へ持ち出されないことを教えると、か細い声ではありながら「分かった」と言ってくれた。


 そうしてロズリーヌ──ロズアトリスは、ヴェルがやってくるのをルドルダ大聖堂の告解室で待ち続けた。三日経ち、一週間経っても彼が現れなくても、辛抱強く。


 ロズアトリスは、罪は子羊自らの意志で語られなければ意味がないと思っていた。自分を見つめ直し、罪を本当に悔い改めて、もう繰り返さないと誓ってもらわなければならないからだ。故に交渉の後からヴェルには会っていない。彼がどこで何をしているのかも調べていない。ロズアトリスはただ、彼を待った。


 しかし、十日経ってもヴェルは現れない。


 この日もロズアトリスは落胆したが、それでもまた明日なら来てくれるだろうかと希望を胸に抱いて私室に下がった。そうして祭服から普段使いのドレスに着替えていると、扉をノックする音が聞こえた。


「ローズ、いるかい? 私だ。アドリアン」


 大聖女エラヴァンシーの夫アドリアン。アドリアンは一般の聖職者だが、大聖女エラヴァンシーの遣いをしていることもある。ときどき私用で聖女ロズアトリスを尋ねてくることもあるので、彼が何の用で訪ねてきたのかロズアトリスは判断がつかなかった。


 返事をして扉を開けると、アドリアンは人の良さそうな笑顔を携え、手を差し出した。


「エラからだよ」


 一縷の穢れも無い真っ白い封筒が握られている。どうやら今回は大聖女エラヴァンシーの遣いだったらしい。


 ロズアトリスは礼をして封筒を受け取った。アドリアンの用はそれだけだったらしく、「じゃぁね。お仕事、お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」と言い残して去っていった。


 アドリアンが遠く離れていくのを確認してから、ロズアトリスは部屋に引っ込み、すぐさま封筒を開けた。



【聖女ロズアトリス

 本日零時

 大聖女座の前へ 参られたし

   大聖女エラヴァンシー】



 端的な言葉の羅列が、流れるような美しい文字で書かれていた。


 ロズアトリスは手紙を懐にしまい込んで考えた。


(私を呼び出す理由は何だ?)


 大聖女エラヴァンシーは、前触れなく彼女自らやってくることはよくあっても、大聖女の名を使って呼び出すことは稀だ。思い当たる節といえば試練についてだが──。


 ロズアトリスは憶測しながら帰路に着き、日付が変わる前に再び屋敷を出た。




 真夜中のルドルダ大聖堂は、静けさの中に肌を撫でるような底知れぬ怖ろしさがある。聖力が籠った特別なランプの白い光で、昼間と同じように明るい内部。浮かび上がった女神の石像や天使たちの壁画から、視線が降り注いでいる気がする。


 大理石の翼廊を進みながら、ロズアトリスは冷えた空気が身体をさらう感覚に、人知れず気を乱されていた。


(なんだか嫌な予感がする。ただの勘で済めば良いが)


 歩調が速くなる。約束の時間に合わせて来たつもりだったのに、結局約束の時間の三十分前に着いてしまった。


 しかし、大聖女エラヴァンシーはすでに大聖女座に座していた。頭上の宝冠、右手に携える権杖の煌めきのように、重苦しいはずの威光さえ輝いて見える。祭服を着たアドリアンが脇に控えているのは、近しい間柄の者なら謁見できるということを示す。


 ロズアトリスが恭しく挨拶をすると、大聖女エラヴァンシーも儀礼的な挨拶を返した。その一拍後。


「久しぶりねぇ、ローズ。ちゃんとご飯を食べてきた? 今日は遅いから、明日は昼からでもいいからねぇ」


 まるで家族の一員のような温かい眼差しで、エラヴァンシーは他愛のない話をするのだった。毎度この落差に慣れないロズアトリスは、硬さの残る声色で答える。


「えぇ、ピエールが用意してくれた夕食を食べてきました。たとえ徹夜になったとしても、明日もしっかり朝の祈りから出席いたしますよ」


「ローズは本当に真面目ねぇ。貴方のような人は、ちょっとくらい楽をしてもいいのよ。聖典にも安息日があって、休むことをお許しになっているでしょう」


「聖教会の安息日は土曜の日没から日曜の日没までですよね。明日は金曜ですよ」


 真面目なロズアトリスが暗に休む理由がないことを告げると、エラヴァンシーは「そういうことだけど、そういうことじゃないんだけどねぇ」と困ったように手を頬に添えた。


「ははは。楽をしない、頼らないという性格はローズの良いところだね」


 アドリアンは快活に笑いながらロズアトリスを評価したが、柔和な笑みの中に真面目な表情を残して

「でもね」と続ける。


「それは君の悪いところでもあるよ。自分に楽を許さない人は、他人にも楽を許せない。それに人に頼れるからこそ、人から頼られるものだ。よく覚えておきなさい」


 ロズアトリスはこのアドリアンの言葉をしっかりと考え、心に刻もうとした。……のだが。


「アディったら良いこと言うわねぇ!」


「照れるなぁ。いつも女神の御言葉かと思うくらい素晴らしい説教をするエラのおかげかなぁ」


「まぁ~好きになっちゃう。結婚してほしいわ」


「もうしてるよ」


 仲睦まじい夫婦の茶番が始まってしまい、真面目に考える機会を逃した。


(全く、このお二人は人目をはばからず。……でも、理想の夫婦だ)


 聖教会の最高位聖職者である大聖女と、一概の聖職者にすぎないその夫。二人の生活は一般とかけ離れている。それぞれの苦悩があることは想像に難くないが、それを感じさせない良好な関係を周囲に見せているのだから、さすがといったところだ。


 しばらく夫婦の会話をロズアトリスが盗み聞きしているという図が続き、二人がふと会話をやめたところで、ロズアトリスは別の誰かがやってきたことを察した。


「あら、ロズアトリスさん、お早いのね。わたくしの方が先に着いたかと思ったのに」


 朗らかに笑いながら登場したのはシャルルリエルだ。シャルルリエルは踊るような足取りでロズアトリスの左隣に立つと、大聖女と聖配に挨拶をした。大聖女は儀礼的な挨拶をし、そしてまた他愛のない会話を投げかけた。


「シャーリーはちゃんと晩ご飯食べた?」


 するとシャルルリエルはぴしゃりと言い放った。


「いくら大聖女様でも、プライベートに口出ししないでいただけますか?」


「ごめんなさい。出過ぎたことを言ったわね」


 エラヴァンシーは慌ててシャルルリエルに謝ったが、ロズアトリスはシャルルリエルを窘めた。


「大聖女様は貴方のプライベートを知りたかったのではなく、気遣ってくださっただけですよ。聖務の後、そんなに時間を空けずに集まることになったから、ちゃんと夕食を食べられただろうかと」


「どうしてそんな心配を大聖女様がなさるの? 余計なお世話というものではありません?」


 ベビーピンクの髪を首のあたりから後ろへ払うシャルルリエル。彼女に悪気はなく、干渉されているような気になるところが嫌なのだろうということは理解できる。だがロズアトリスは思う。


「他人の世話を焼かずして、どうして聖女と名乗れるのです?」


 シャルルリエルのにこやかだった表情に影が差す。


「聖職者には、この世界に和睦と豊かさをもたらすため、女神の教えを広めて人々を導く役割があり、それは人々の生活を守ることに繋がっています。ちゃんと食べられているかや、寝られているかなどを確認するのは、その人に健康であってほしい、最低限のことは困らなくても良いように配慮したい、という現れです」


 ロズアトリスの説教を、シャルルリエルはどのように受け取ったのだろうか。一瞬、冷ややかな目をこちらに向けたけれど、瞬きの間にシャルルリエルは表情を変えていた。


「そのような考え方もあるでしょうね」


 一言で一蹴する彼女の態度には、考えを改めようという気は感じられなかった。


(人には人の考え方があるが。彼女のような人間が増えたら、生きやすくなるものなのだろうか?)


 ロズアトリスは疑問を感じずにはいられなかった。


 シャルルリエルはロズアトリスがそのような疑問を感じていることなどつゆ知らず。「そんなことより」と手を合わせて話を変えた。


「第一の試練の話をしませんこと?」


 この一言で、ロズアトリスは理解した。この場を設けたのはシャルルリエルだということを。


「──そうだな」


 大聖女エラヴァンシーが空気を変え、深く息を吸う。


「今宵二人を呼び出したのは、聖女シャルルリエルより、第一の試練の終わりを宣言されたからだ」


(第一の試練の終わり!?)


 ロズアトリスは内心驚いたが、態度に現れないよう平静を装った。


「聖女シャルルリエル。宣言を」


 エラヴァンシーに呼ばれ、シャルルリエルは「はい」と返事をして大きく一歩前へ出た。


「わたくし、聖女シャルルリエルは、『宝石強盗の捕縛』をもって、第一の試練の完了を宣言します!」


「宝石強盗の捕縛!?」


 これにはさすがのロズアトリスも声を上げずにはいられなかった。


「宝石強盗の捕縛とは、一体!?」


 シャルルリエルはにこりと天使のような顔で微笑みながら、ロズアトリスを振り返った。そうして声を張り上げ、言った。


「宝石強盗をここへ!」


 翼廊の方から足音が二つ聞こえてくる。一つは規則的、一つは乱れた足取りだ。ロズアトリスはどくんどくんと耳の後ろで脈打つ心臓の音を聞きながら、足音の方へ視線を向けた。


「……っ!?」


 思わず叫びそうになった口を、唇を噛んで制する。


 手錠をかけられ、マクシムに引きずられるようにして翼廊からこちらへ向かってくるのは──。


(ヴェル!!)


 ひょろりと長い身体に、癖の強い黒髪、あどけなさの残る精悍な顔つき。そして印象的な紅い瞳は、紛れもなくヴェルだった。


 ヴェルを連れたマクシムがシャルルリエルの隣に並び、布を噛ませたヴェルの頭を掴んで無理矢理跪かせた。ヴェルは反抗的な目でマクシムを睨み上げる。


「この者が宝石強盗ですわ」


 シャルルリエルが自身に満ちた声で言う。エラヴァンシーはシャルルリエルとヴェルを一瞥し、唇を開いた。


「この者が宝石ドロボウ事件の犯人であるという証拠はあるのか?」


「証拠はありません。けれど、この者は自ら罪を告白したのです!」


「貴方は直接この者の告白を聞いたのか?」


 シャルルリエルは大きく頷く。


「もちろんです。愚かにも告解室で罪を告白したので、その場ですぐに捕縛いたしました。あ、ちゃんと騒ぎにならないよう気をつけましたよ」


 にこり、と笑ってみせるシャルルリエル。ヴェルはシャルルリエルを恨めしそうに睨み、ふとロズアトリスにも視線を向けた。恨みの籠ったヴェルの目に、ロズアトリスは「うそつき」と言われたような気がして、思わず叫んだ。


「告解室での告白は、女神と聖職者の中だけに留める秘密という決まりでしょう!?」


 しかしシャルルリエルは冷静に答える。


「そうですね。でも、こんな重要な事件の犯人を野放しにすることはできないでしょう? ロズアトリスさんも、大聖女様も、アドリアン様だって、経験がおありではなくて? 告解室で罪を告白されたとき。罪人が野放しになっている世の中と、罪を告白するだけで逃げおおせる罪人への怒りを。わたくしはこの第一の試練の最中に彼の告白を聞いたとき、このように思いました。『あぁ。これからの聖教会はこのような罪人を放っておかず、裁判にかけ、罪を償ってもらうよう働きかけなければならない』と」


 ロズアトリスは震えた。


 もちろん、ロズアトリスとて、シャルルリエルが言うような経験をしたことはある。しかし同時に、持つ者ばかりが優遇される今の裁判や、裁判そのものについても少なからず疑問を抱いていた。なぜなら心から反省をせず、罰を与えられたらそれで解決だと考える者がいるからだ。


 それならと、ロズアトリスはこう思う。


 心の底から反省し、二度と繰り返さないことを女神と聖職者の前で誓い、聖教会で奉仕に従事する者の気持ちを尊重したいと。


 そもそも罪の告白があったとき。聖教会は罪人の秘密を守りながら、罪人に心からの反省を促し、反省を示すため奉仕に従事することを提案し、説得するよう定めている。罪人を放っておくわけではないのだ。


「シャルルリエル。貴方は、平等でない裁判でこの子の命を天秤にかけようと言うのか。罪を認め、罪を償うことを告げたこの子の気持ちを踏みにじるのか!?」


 堪らなくなったロズアトリスが叫んでも、シャルルリエルはどこか現実を見ていないような愛らしい表情を崩さない。


「でも、罪人は罪人でしょう。悪いことをした人は裁かれるべきです」


「貴方の言いたいことは分かる。もちろん、秩序を守るためにはそうあるべきだとも思う。でも、その子に言い渡されるのは死刑だ! 貴族なら罪にも問われないのに!」


「じゃぁ、罪人を野放しにしろとおっしゃるの!?」


「野放しにはさせない! 彼の告白を聞いた貴方が、彼を贖罪の道へ導くべきだったのだ!」


「──粛に」


 エラヴァンシーの凛とした声が響き、ロズアトリスとシャルルリエルは口を噤んだ。エラヴァンシーは静かに二人を見つめた後、ヴェルに視線を注いだ。


「告解室での告白を、今一度ここで話せるか?」


 エラヴァンシーが問いかけると、ヴェルはこくりと頷いた。マクシムは不服そうな顔をして、ヴェルの口に噛ませた布を解いてやった。


 ヴェルは口が正しく動くことを確かめてから、ゆっくり、シャルルリエルの前で告白したという内容を口にした。


「俺は、ある人に『教会は罪人や悪人を捕まえるところではない。聖職者たちは告解室での秘密を決して漏らさない』と言われて、自分の罪を告白しに来たんだ。貴族たちの宝石を奪い、売って……親のいない子どもたちに食わせてやって、服や靴を買ってやることに使ったって。悪いことをしたとは思ってる。繰り返さないようにする。奉仕だって何だってやってやるって言った。……だから、命だけは助けてくださいって。あいつら……子どもたちを守らせてほしいって、お願いしたんだ。なのに……でも……うっ」


 嗚咽が漏れて話せなくなったヴェルは唇を噛み、ただひたすら涙を流し始めた。


 彼の気持ちは痛いほど分かった。『なのに』に続く気持ちも、『でも』に続く気持ちも。


「……っ」


 ロズアトリスは跪き、ヴェルを抱き締めた。腕の中のヴェルの身体が固まるのを感じたけれど、ロズアトリスは我慢できなかった。


 だって、この少年はこんなにも慈愛に満ちている。人のものを奪うのは罪だ。それは変わらない事実。けれど彼は奪ったものを売った金を自分には使わず、親を亡くし、生きるのに困っていた子どもたちに使ったのだ。まだ自分も子どもなのに。捕まったら死刑になると分かっていたのに。


 悪しきことをした魂が穢れるというのなら、この愛に満ちた彼の魂は穢れているのだろうか?


 どんな理由があろうとも犯した罪は裁かれなければならないけれど、時代の物差しで罪を量って良いのだろうか?


 酌量の余地はなく、この優しい命を奪えというのか?


 ロズアトリスには、できない。


 しかし、エラヴァンシーは淡々と告げる。


「……聖女シャルルリエルの話が嘘ではないことが裏付けられた。それでは、聖女シャルルリエルの『宝石強盗の捕縛をもって宝石ドロボウ事件の解決とする』という宣言を受け入れよう」


「エラヴァンシー様!」


 ロズアトリスは弾かれたように頭を上げ、エラヴァンシーに訴えた。


「こんなことがあってはなりません! この者の魂を女神の御許に送るには早すぎます!」


「彼の裁きを下すのは我々ではない。例え裁きが下り、この小さな子羊の魂が女神の御許へ行くことがあるならば、我々は祈るだけだ」


「エラヴァンシー様!」


「おっしゃる通りですわエラヴァンシー様!」


 シャルルリエルが勝ち誇ったような顔をして、跪いているロズアトリスを見下ろした。


「この者は裁判が始まるまで皇室の牢に入れておきます」


 マクシムがヴェルの腕を掴み、乱暴に立たせて連れて行こうとする。ロズアトリスはヴェルにしがみついたが、マクシムに蹴られて床に倒れ込んだ。


「あっ」


 ヴェルが床に倒れたロズアトリスを見て、声を上げる。


 ロズアトリスは床に腕を突っ伏して、ぐるぐる考えた。


(このままではいけない! 何とか、彼を助けなければ!)


 そうしてロズアトリスは拳を握り込んで立ち上がり、エラヴァンシーに進言した。


「エラヴァンシー様! まだわたくしは宣言をしていません! 宝石ドロボウ事件の解決は、わたくしにも課せられた使命でしょう!? わたくしが宣言するまで、待っていただけませんか!?」


「そんなこと、許せるわけ……!」


 否定しようとしたシャルルリエルを、エラヴァンシーの「そうだな」という声が制する。


「機会は平等に与えられるべきだ。ロズアトリスにも、宣言をする権利がある。しかし、彼の処遇を決めるためにも、時間は多く与えられぬ。明日の同じ時間に貴方の宣言を聞こうか、ロズアトリス」


「ありがとうございます、エラヴァンシー様」


 ロズアトリスは感情を全て押し殺して恭しく礼をした。シャルルリエルは不服そうな顔をしたけれど、すぐに「かしこまりました」と頷いた。


「ですが、罪人に逃げられては困りますので、彼は皇室の牢に入れておくところは変わりなく。良いですわね?」


「そのように」


 エラヴァンシーが頷き、ヴェルはマクシムに引きずられて後陣から離れていった。


 こちらを何度も振り返り、なんとも言えない表情をするヴェルを、ロズアトリスは拳を強く握って見送ることしかできなかった。


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