闇の代表取締役ノア09
***
地下都市の顔役ノアと巷の悪女ロズリーヌ伯爵の二度目の会合は、一週間と経たないうちに実現した。
場所は地下都市のノアの屋敷。一度目とは違い、ロズリーヌとマルティーニは一階のドローイングルームへ通された。
質の良い家具が配置されており、壁には絵画が飾ってある。ロズリーヌが暖炉を囲むように置かれたソファのうち一人掛けのソファに腰かけると、ノアは向かいの一人掛けソファに腰を下ろした。マルティーニは例のごとく、ロズリーヌの後ろに立って控える。
ノアは顔を曝していた。見紛う事なきティモシー殿下のかんばせだ。その後ろには、右目にモノクルをかけた短い黒髪の青年──。
「あーっ!」
突然マルティーニが叫び、青年を指さした。
「ローズ様! 思い出しました! あの声! この人です!」
「あの声?」
「先日の地下警察のまとめ役リュタンですよ! 表の名前はシリル・デュボワ! いっつも突然にゅっと現れる、影のうっすい殿下の護衛騎士兼小間使いです!」
「彼のことをよく知っているのか?」
棘のある言い方の裏に妙な親しみを感じたロズリーヌが問いかけると、マルティーニは唇を尖らせた。
「私がまだ見習いだった頃、戦闘訓練をしてくれた騎士様のところに、この人がいたんですよ。そのとき、ひと悶着ありまして」
「女性とひと悶着? どういうことだ?」
ノアがリュタンに視線を投げる。するとリュタンは淡々と答えた。
「手合わせがしたいと言うので少し付き合ったことがあるだけですよ」
この軽い説明がマルティーニに火を付けた。
「少し!? 私がやめてくれるよう泣きながら頼むまでボコボコにしてきたくせに! 絶対絶対、あの時のことは許しませんからね!!」
「負けを認めない方が悪い。それに君はボコボコにされて泣いたと言ったが、君が勝手にいろいろな物にぶつかってボコボコになって泣いただけだろう」
「だってすぐ気配を消して避けるんだもん! 突進しないと捕まらないと思って!」
「巨石を投げる【怪力】の持ち主とまともにやり合う訳がないだろう」
「弱虫! 逃げ虫!」
「イノシシ娘」
最終的に悪口を言い合うだけになり、ロズリーヌはマルティーニを、ノアはリュタンを、呆れながら手で制するのだった。
「……うちのマルティーニが申し訳ない」
「……こちらこそ、うちのリュタン……シリルが。すみません」
主たちは互いに頭を下げ合った。
それからしばらく場の熱が冷めるのを待って、ロズリーヌは話し出した。
「さて。今日此処へ来たのは、手紙で伝えた通り、貴方から『女神の赤い首輪』を奪おうとした者についての情報をもらうためだ」
ロズリーヌは自信たっぷり、堂々と言い切った。
くれと言ってもらえるものではないのに真っ向から宣言するなんて、愚の骨頂だ。普通なら一笑に伏されるだろう。
案の定、ノアは口の端を上げて笑った。
「その件は取引で手を引くことになったはずでは?」
「一方的な取引なので無効とする。……としても良いが、別の方法を取ることにした」
興味が湧いたのか、ノアが前のめりになる。
「別の方法とは?」
「私はこれで情報を買う」
ロズリーヌはマルティーニに携帯させていた鞄から小箱を取り出し、蓋を開けてみせた。
大粒のルビーのネックレス『女神の赤い首輪』がキラリと光る。
ノアは少々興味を削がれた様子で、ソファの背もたれに背をつけた。
「……宝石ドロボウの情報は売れない。例え二億の価値があるものでも、それ以上でも」
「分かっている。だから私が買うのは宝石ドロボウの情報ではない。私が買うのは『女神の赤い首輪』を盗もうとした人物についての情報だ」
「何を言って……」
そこまで口に出して気づいたのか、ノアは押し黙った。
今度はロズリーヌが口角を上げる。
『女神の赤い首輪』を盗もうとした人物と宝石ドロボウが同一人物だという証拠はどこにもない。ロズリーヌが求めているのは、あくまで自分たちが地下都市まで追いかけて逃がしてしまった人物の情報だ。それが結果的に宝石ドロボウと同一人物だったとしても、ロズリーヌはその情報を宝石ドロボウの情報として求めたわけではない。
とんでもない屁理屈ではあるが、間違ってはいない。
(さぁ、どうする。貴方が情報をくれないのなら、私はこの街の住人からこれで情報を買うぞ)
ロズリーヌはこの理屈で情報を得ることを決めたとき、ノアでなくとも地下都市の住人なら、少なくともあの日ロズリーヌたちが追って来た人物のことを知っているだろうと気がついた。狡猾なノアを相手にするより、地下都市の住人から直接情報を買ったほうが、遥かに簡単だろう。彼らは侵入者には厳しいが、仲間同士で喧嘩が絶えないくらいには個人の生活も重視している。一人くらい、金に目が眩んで情報を売る者もいるだろう。それでもロズリーヌがノアを通して情報を得ようとしている理由は、彼のことを尊重したいからだった。
彼は頑なに宝石ドロボウが誰なのかを隠そうとしている。そんな彼の知らないところでロズリーヌが地下都市の住人を買収し真相に辿り着いたら……彼の信頼を永遠に失うかもしれなかった。
それだけは嫌だった。何故か。決して、ノアとの繋がりを絶つには惜しいという理由だけではないというのは分かるのだけれど。
とにかくそういうわけで、ロズリーヌは真っ向から彼にこの取引を持ち掛けたのであった。
ノアは思案しているのか、額に手を当て、下を向いて黙っている。
と──
フフッ……ハハハハハハハ!
急に声を上げて笑い始めた。
「ハァ……失礼。貴方を丸め込めたと思っていた自分が可笑しくて。俺との取引を守りつつ反論できないところを突いてくるとは。やるじゃないか」
認められたことが嬉しくて、ロズリーヌは表情を緩ませた。
「ということは情報をくれるのか?」
「……まぁ、貴方にならあげても良いだろう」
「よし!」
嬉々とした様子のロズリーヌを、ノアは頬杖を突いて堪能し。
頃合いを見計らって。
「ただし、二億ルーブじゃ安い」
次の言葉を突き付けたのだった。
ロズリーヌは一瞬で難しい顔をした。
そうして真剣に言うのだった。
「……後払いでも良いだろうか?」
***
まだ夜も明けきらぬ暁。一部の屋根が落ち、壁もところどころ壊れ、隙間風がびゅうっと音を立てる荒れ果てた廃屋。
ロズリーヌはマルティーニを引き連れて、壊れて建付けが悪くなった扉から廃屋の中へ入った。
異臭が一気に鼻を突き、マルティーニが思わず顔をしかめる。一方ロズリーヌは何食わぬ顔で人の気配を探した。
古びているが形を残している家具を後目に、木くずの山を回避し、薄暗い室内を進んでいく。そうしてとある部屋の前まで来ると、複数人の子どもたちが身を寄せ合ってたくさんの毛布の上に寝転がっているのが見えた。
「……しんにゅうしゃだ!」
ロズリーヌがすっと目を細めるのと、二人の気配に気づいた一人の子どもが飛び起きて騒ぐのが同時だった。
叫び声で寝ていた他の子どもたちも目を覚まし、覚醒が早い子から順番に我先にと逃げて行く。けれどたった一人だけ、別の部屋からこちらへ戻って来る者がいた。
「俺たちの家に無断で入ってきたやつは誰だ!」
戻って来た少年が叫ぶ。長く伸びた癖の強い黒髪を首の後ろでまとめ、印象的な紅の瞳をした、ひょろりと背の高い少年だ。
「──ヴェル」
聞き込みをしていた日に出会った少年、ヴェル。
まさか、こうしてまた会うことになるとは。
ロズリーヌは去来した複雑な気持ちを押し込めるように、ゆっくりと口を開いた。
「……貴方に話があって来た。応じてくれるか?」
「誰かと思ったら聖人オジョーサマかよ。この場所はどうやって知った? 話って何だよ。どうしてここへ来たんだ?」
ヴェルは侵入者がロズリーヌだと知り興奮を抑えたが、警戒心は全く薄れていなかった。むしろロズリーヌがここへ来たことを不審がり、より緊張が増したようだ。
「貴方の居場所は彼女マルティーニが調べた。私がここへ来た理由は思い当たるのでは?」
ロズリーヌは一度言葉を切り、静かに言い放つ。
「──宝石ドロボウさん」
ヴェルは目を大きくして一瞬驚いた表情をした。しかし、すぐに挑戦的な目つきになった。
「ハッ俺が宝石ドロボウ? 証拠を見せてみろよ!」
「証拠はない」
「だったら……」
「だが証言はある。それから、私には貴族という身分がある。貴方は平民で、この国の法律は貴族のためにできている。証言さえあれば、私は貴方を罪人にできるのだ」
「……俺を脅す気かよ?」
勢いが萎んだところへ「脅されてくれるのか?」と追い打ちをかける。ヴェルは苦虫を嚙み潰したような顔をしてぐっと喉を鳴らした。
ヴェルの足には逃げそびれた子どもたちが纏わりついていた。
彼の視線が左右に泳ぐ。逃げ道を探している、あるいは子どもたちを逃がす経路を探っているのだろう。しかし、幼い子どもたちを逃がし、自分も逃げ果せるわけがない。
やがて観念したように、ヴェルは大きなため息を吐いた。
「……話はもう終わりかよ? 俺は……どうなるんだ?」
静かに問うヴェルに、ロズリーヌは優しく笑ってみせた。
「話は終わっていない。どこか座って話せるところはないか?」
ヴェルは乱暴に頭を掻き、「こっち」と不愛想に言って、奥の部屋へ案内してくれた。奥の部屋には不相応な真新しいグランドピアノが置かれていて、ロズリーヌは内心驚いた。しかし態度や口には出さず、ヴェルが己の腕に巻いていたハンカチを解いて敷いてくれたソファに座った。
「ありがとう。紳士だな」
ヴェルは「別に」と不愛想に口を尖らせた。そうしてマルティーニがロズリーヌの後ろに控えるところを注意深く観察しつつ、一人掛けのソファに腰かけると、すぐに話を切り出した。
「話っていうのは……何だ? 俺が宝石ドロボウだって話で終わりじゃねぇのか? お前の言う通り、俺は宝石ドロボウだ。これで、終わりだろう?」
「あっさりと認めるのだな」
「ここまで追いかけて来てよく言うよ」
全てを諦めているかのように、ヴェルの声には灯がない。
「それにお前、この間の夜、地下まで俺を追いかけて来ただろ? よくあの地下に入って出て来られたな?」
「あの街の領主と仲良くなったのだ」
「ノアと? へぇ。あいつの好みってお前みたいな女だったんだ」
ロズリーヌはなんだかヴェルが勘違いしているような気がしたが、彼の声にいくらか活力が戻ったので、訂正しないでいることにした。
「ノアには良くしてもらっている。貴方の情報を買ったのも、彼からだ」
ヴェルは「あいつ、俺の情報を売ったのか……やっぱり信用ならねぇ」と低く呟いて、自嘲気味に笑った。
「それで、俺の情報はどのくらいの価値があったんだ?」
ロズリーヌは顎に手を添え、ふぅむと考えるふりをしてから、マルティーニを振り返った。
「マルティーニ。私はどれだけ払ったのだったか?」
「彼が奪おうとした『女神の赤い首輪』。それから地下通貨で一億ですね」
マルティーニが事も無げに告げると、ヴェルは驚いて前のめりになった。
「はぁ!? それって普通は一生かかっても稼げる額じゃないぞ!? 俺の情報ってそんなに価値あったの!?」
「そうだ」
ロズリーヌが至極全うだというように頷けば、ヴェルは「なんで」と震えた。
「本来なら『女神の赤い首輪』と地下通貨一億でも足りないが、彼なりの妥協案だろう。人の命はお金に替えられないからな」
「そんな! うそだ! あいつはそんなやつじゃ!」
「彼は貴方が持って来た宝石を二つ返事で買い取っただろう。それは貴方が宝石を別のところに売れば、すぐに足がついて捕まってしまうと考えたからだ。それに彼は『宝石ドロボウ』の情報は決して売ってくれなかったよ」
「お前、さっき、俺の情報を売ってもらったって……」
「私が買ったのは『女神の赤い首輪を奪おうとして失敗し、地下都市に逃げ込んだ者の情報』だ。私の『女神の赤い首輪』を奪おうとした貴方が宝石ドロボウだ、と判断したのは私」
ヴェルは口を開けて何かを言おうとしたが、すぐに閉じて下を向いた。ロズリーヌは表情を見えないようにして考え込むヴェルの後頭部に語りかける。
「──彼は、私にすべてを委ねた」
ハッとして顔を上げたヴェルは、次いで言葉を失った。
窓から差し込む夜明けの陽光が、ロズリーヌを照らし出す。黒いはずの髪が白く輝き、顔には影が降りて表情が見えない。まるで、教会の女神像を前にしているかのような――。
ヴェルは思わず彼女に問いかけた。
「貴方は、俺をどうするつもりなんだ──?」
太陽が傾き、髪は闇を吸ったかのような黒髪に、顔の造りは気が強そうだけれど表情は柔らかく自然なロズリーヌが戻って来た。
「そのことだが。実は、私がここへ赴いたのは、貴方と交渉したかったからなのだ」
「……交渉って何だよ?」
「私は貴方を宝石ドロボウだと突き出さない。その代わり、貴方は再び盗みを働かないことを誓い、罪を償うために教会に従事し、奉仕を行うように、というものだ」
ヴェルは何を言っているんだという顔をした。
「誰がそんなことするか!」
「これは交渉だぞヴェル。私はいつでも貴方を捕まえることができる。どこへ隠れたって、見つけられる。捕まったら死刑だぞ」
本心は隠して脅しのような文句を並べる。何故ならこれは交渉だからだ。
「死にたくないだろう、ヴェル? あの子たちのためにも」
ヴェルがロズリーヌの背後に視線を動かした。視線の先にいるのは子どもたちだろう。先ほどから人の動く気配がしている。
『女神の赤い首輪』を盗もうとした犯人がヴェルだという情報を得たロズリーヌは、マルティーニに指示を出してヴェルのことを調べ上げていた。
彼はノアに宝石を売って得たお金をすべて孤児の子どもたちに使っていた。毎日お腹いっぱい食べさせ、綺麗な服と靴を買い与え、毛布を買って配っていたのである。
ロズリーヌはそれを知ったとき、ヴェルは子どもたちのためなら何でも受け入れると思った。そして同時に──。
「死にたくは、ない。でも、どのみち、俺が宝石を盗めず稼げなくなったら、ここのやつらはみんな飢えて死ぬ。だったら最後まで、この身体が動く限り、盗みまくってあいつらに食わしてやりたい」
彼が自己犠牲的な考えを持つことにも、気づいていた。
(まだ子どもなのに)
彼はロズリーヌと二歳しか違わない。けれど子どもは子ども。それも学びが足りず環境も不十分な所為で思考が偏りがちで、守ってくれる大人がいなくて失敗しても誰も助けてくれない崖っぷちの状態だ。
そんな彼を助けずしてどうする。
「……身を挺して守りたいものを守る男は好きだ」
にこりとロズリーヌが微笑めば、ヴェルは頬を染めた。しかし「だが」とロズリーヌが表情を引き締めると、ヴェルも表情を変えた。
「それでいいのか?」
「?」
不思議そうな顔をするヴェルに、ロズリーヌはこれから起こりうる現実を突きつける。
「貴方は死んでも本望かもしれないが、貴方を失ったここの子どもたちはどうなる? 貴方に頼って生きてきた子たちが、突然貴方がいなくなってやっていけると思うか?」
「!」
ヴェルは頭を殴られたような顔をした。
「で、でも……俺が宝石ドロボウをやめて奉仕なんかをするようになっても、こいつらは……」
「先ほどから何度も交渉だと言っているだろう? ノアから貴方は賢いと聞いている。ほら、交渉してごらん。私に条件を突きつけてみろ」
ヴェルのような跳ね返りのある性格をしている者には、一方的に押さえつけて与えるだけではもったいない。
口角を上げて挑戦的に笑ってみせれば、案の定、ヴェルは訝しげな顔をしたが、次の瞬間には考える素振りをみせた。ロズリーヌは見たかった彼の姿を見られたことにひとまず安堵し、彼が答えを出すのを待った。
しばらくして、答えを導き出したヴェルはロズリーヌの前に仁王立ちした。
「お、俺の人生全部やるから! あいつらの未来を救え!」
自分を交渉材料にして犠牲にしながらも、ロズリーヌを見下ろし、命令口調で言ってのける。自分はこういう人間なのだと全身で主張する姿に、ロズリーヌは至極満足してにっこりと笑った。
「大変結構」
そしてロズリーヌはマルティーニに指示を出し、ヴェルの目の前に書類を掲げた。
「交渉成立の証に、書類にサインを」
ヴェルはときおり首をひねりながらも書類を最後までじっくり読み、躊躇なく名前を書いた。
「これで貴方は私のものだ。私のためにその一生、捧げてもらうぞ」
空に高く上がった太陽の光を受けて輝くロズリーヌの笑顔。
ただ美しいだけのはずなのに、ヴェルには人生で一番忘れられない、とてつもなく恐ろしく、とてつもなく魅力的な笑顔となった。




