聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル05
今度は皆の視線が後陣に響いた声の主に集まる。
プラチナブロンドの長髪を首の後ろで結い、サファイアブルーの礼服に身を包んだ麗人。ティモシーが、白いばかりの大神殿に鮮やかな色を灯していた。
ティモシーは優雅でありつつ颯爽とした足取りでロズアトリスの隣まで来ると、まずは大聖女エラヴァンシーに頭を下げた。
「今宵はご機嫌麗しゅう、大聖女エラヴァンシー様。……私はロズアトリス様との婚約を解消していますが、此度の会合に同席する許可をいただけませんか?」
「殿下とは婚約を解消しましたが、最も信頼のおける協力者であることは変わりありません。どうか、お許しくださいませ」
すかさずロズアトリスがフォローすると、ティモシーはロズアトリスにはちみつがとろけたような笑みを向けた。
(な、なんだ!? この笑顔はどういう意味なんだ!?)
ティモシーの笑顔にロズアトリスが動揺している間に、エラヴァンシーはティモシーの同席を許可した。
正式にこの場に留まる権利を得たと同時に、発言の許可も得たティモシーは、改めてかねてよりの質問に答える。
「さて、聖女シャルルリエル殿。貴方のご質問にお答えいたしましょう。皇宮に投獄されていた宝石ドロボウとされる少年ですが、彼を釈放したのは私です。もちろん、ロズアトリス様の指示でね」
「釈放なんてあり得ませんわ! だって、あの少年は貴族たちの宝石を奪った罪人! そう告白したんですから!」
シャルルリエルは激しく反発した。
しかし、ティモシーはさらりと言う。
「そちらの件ですが。どうやら誤認だったようですよ」
「誤認!?」
ぽかんと口を開けて目を瞬かせるシャルルリエル。ロズアトリスは成り行きをティモシーに任せ、ひとまず見守ることにした。
「誤認って、そんな。どういうことです? 彼の告白が無効になるくらいの何かがあったということ?」
「えぇ、その通り。真犯人が被害者の貴族たちに名乗り出たのですよ。このようなカードを送りつけてね」
ティモシーの懐からトランプくらいの大きさのカードが出てくる。ティモシーがシャルルリエルにカードを差し出すと、シャルルリエルはそれをひったくるように奪い、マクシムと頭を突き合わせて覗き込んだ。
「『ごきげんよう 紳士淑女の皆々さま 先日は貴重な物をお貸しいただき まことに感謝申し上げます 月の光が溶け込むこの夜に 貴方の輝きをお返しに参上します 宝石ドロボウ もとい 闇の代表取締役ノア』!? 何、これ!? ノアという人物が真犯人!? まさか、ロズアトリスさんはこのことを知っていて!?」
(いや、知らん! 何それ!?)
ロズアトリスは心の中で狼狽えていた。
昨日の夜。ティモシーに、どうにか盗品を集め、皆の元に戻す術はないかと相談はした。何とかすると言ってもらえたから、ロズアトリスはてっきりノアとして預かっていた盗品をティモシーとして何らかの形で持ち主に返してくれるのだろうと思っていた。それが蓋を開けてみたら、わざわざノアとして罪を被るとは! ティモシーあるいはノアのことだから計算に基づく行為だろうが、破天荒にもほどがある。
当本人のティモシーはただただ余裕の微笑を浮かべ、驚くばかりのシャルルリエルとマクシムを片手であしらうかのように、淡々と事実を告げる。
「そのカードと共に盗品が返されたようです。つまり、宝石ドロボウ事件はもともとなかったことになったというわけですね」
「何!?」
「うそっ」
マクシムとシャルルリエルが焦った声を出す。
「で、でも! 盗品が返されたからといって罪は消えるわけではありませんわ! 早急にこのノアなる人物を捕らえて裁判にかけないと……」
それでも食らいつくシャルルリエルには根性がある。しかし可哀想なことに相手はティモシーだ。
「複数の貴族から華麗に宝石を奪ったこのノアなる人物が易々と捕まるとは思えませんが、もし捕まったとしても、裁判なんて開かれませんよ」
「何ですって!?」
(何だと!?)
これにはロズアトリスも心の中で叫び声を上げた。そもそもロズアトリスの予定では、『ノアではなくティモシーの手によって貴族の元へ宝石を返す』だった。市場に出回っていた盗品を何とかティモシーが買い集めたという、尤もらしい理由をつけて、真正面から問題なんて無かったことにしようとしたのだ。しかしどこで間違ったのか。
(犯人が挿げ替えられ、しかも真犯人は捕まっても裁判にかけられないなんて、どういうことだ?)
結果だけ見ればロズアトリスの理想に近いけれど、何が何やら。
一枚噛んでいる、むしろロズアトリスが発案したことのはずなのに、いつの間にかティモシーの独壇場を鑑賞する側に立つことになったロズアトリスは、シャルルリエルとマクシムと同じように、彼の一言一句にのめり込んでいた。
「裁判が開かれないなんて、どういうこと!?」
シャルルリエルの純粋な問いにロズアトリスも同意し、ティモシーの答えを待った。
するとティモシーは懐から紙束を出して言った。
「被害者の皆さんが、どういうわけか、こちらを私に提出してくれたのですよ」
紙束はカードよりも大事なものらしく、ティモシーは見せるだけでシャルルリエルやマクシムには渡そうとしなかった。
掲げられた紙束の内容が読めるところまで十分近付いたシャルルリエルが、大声を上げる。
「犯人を訴えないことを宣言する証明書!? 何ですか、これ!?」
ロズアトリスも一緒になって「何だそれ!」と声を出したい気分だった。そんなロズアトリスの様子を察したのか、ティモシーはロズアトリスに書類を貸してくれた。内容を読む限り、シャルルリエルが言ったように、書類は被害者たちが真犯人を訴えないことを宣言したもので、被害者たちのサインと血判、家紋の印まで押されていた。
(すごい……一縷の隙も無い。さすがだ)
どのようにこの書類を被害者たちに書かせたのかは分からないが、知らない方が良いような気もした。
「「この国では、窃盗罪は被害者からの訴えがなければ公訴されません。そういうわけで、この件はこれ以上何もありませんし、何でもなかったということです。あぁ、ちなみにマクシム兄上が提出した『告解室での自白をもとに裁判を開くための法案』は父上──皇帝陛下や我々、廷臣たちの大会議に上がることはありません。聖教会に関わることは大聖女様と枢機卿の皆様の過半数を超える同意がなければ、皇家が口を出すのはタブー。兄上の書類は条件を満たしていなかったので、私が却下しておきました」
「なっ!? どうしてお前がっ!」
「知らないんですか? 父上から直々に頼まれて、私が大会議の議題を精査しているのですよ」
にこり、と柔らかいが全く油断のない完璧な笑みがマクシムに向けられた。マクシムはぐうの音も出ず、黙るしかない。
ティモシーにすべての道を塞がれ、シャルルリエルとマクシムは沈黙した。二人が静かになったことを確認したティモシーは、ロズアトリスを振り返る。
「……私は常々、自由のない人々にいかにして自由を与えるのかを模索しています。そんな折、ロズアトリス様は、現在の法律の不平等さと、罪人が辿るべき道が裁判で完結するものではないことを訴えてくださいました。それで気づいたのです。この国、この国のすべての民のために、変わるべきところは変わり、変わらないで良いところは残していかねばならないのだと」
ロズアトリスはゆっくりと頷いた。彼と同じ考えを共有していることを誇りに思う。
(私は、これを求めていたのだ)
心が満たされている。
婚約者云々、皇帝に相応しい云々ではない。彼のことを自分という枷から解放したかったのは、彼に自分のために己を殺して支えてもらうのではなく、彼と同じところを目指して困難を打ち砕いていく協力関係になりたかったからなのだ。
「大聖女エラヴァンシー様。わたくしの宣言は変わりません。ですが、この場を借りて、大聖女様に協力を要請いたします。わたくしは『身分で罪が変わらない平等で妥当な裁判』と『罪を告白した未判決の罪人や判決後の罪人が己を律し、社会貢献を以てして罪を償う刑』を皇帝陛下に求めたいと思います。賛同していただけるなら、どうかご協力を」
ロズアトリスはゆっくりと礼をした。
大聖女エラヴァンシーは静かに頷く。
「貴方の宣言は受け入れた。二つの件については、検討しよう」
冷厳な声が少しだけ和らいでいたような気がした。
そうして大聖女エラヴァンシーは、改めて宣言した。
「聖女シャルルリエル。聖女ロズアトリス。二人の宣言を受け入れ、これを以て、第一の試練を終了とする」
カンッと権杖が床を叩く音が、ルドルダ大聖堂の鐘楼のように鳴り響いた。
聖女シャルルリエルは頭を下げたまま大聖女を見ようとせず。聖女ロズアトリスは堂々と背筋を伸ばし、第一の試練の終了を受け入れた。
「──ときに、シャルルリエル」
すべてが終わったはずなのに、エラヴァンシーに名を呼ばれたシャルルリエルはびくりと身体を震わせた。
「貴方は聖教会の最高位であるこのわたくしのことを、何だと思っているのだ?」
「……っつ」
シャルルリエルはうる、と目に涙を溜めた。
「自分の意見を持ち、貴方なりに民のことを考えたことは認めよう。しかし、秩序を守りなさい。この聖教会を取りまとめるのは大聖女たるこのわたくし。一介の聖女がそれを越えてはならぬ。以後、気をつけるように」
「……はい」
シャルルリエルは下を向いたまま震える声で返事をした。祭服を握る手が白くなるほど強張っているのを、ロズアトリスは見逃さなかった。




