闇の代表取締役ノア07
真っ直ぐ、削って整えられている岩肌の通りを進んでいく。突き当りに行き着くと、一際大きな屋敷があった。装飾が施された石造りの屋敷には、無数の開口部が設けられている。金属でできた扉の前には用心棒らしき屈強な男たちがいて、ノアが近付くと扉についた小さな通用口を開けてくれた。頭を低くして扉をくぐる際に、扉の分厚さと壁の分厚さが地上の倍はあることに気づく。
すぐ傍に控えていたのか侍従が近寄ってきて、「おかえりなさいませ」と挨拶をした。ノアは挨拶を返し、ロズリーヌとマルティーニを二階の部屋まで案内した。
執務机に革張りの椅子。ぎっしり本が収められた本棚に、来客用のソファとローテーブル。ダークブラウンで統一された厳かな部屋を、モザイクランプの橙色の光が灯している。火を燃やしているのに息苦しくないのは、天井が高く、大きな窓があって、パイプを這わせた換気口がいくつも用意されているからだろう。
ソファにかけるよう促され、ロズリーヌはソファに座った。ノアは向かいのソファに腰かける。マルティーニはロズリーヌの後ろに回って控えていることにしたようだ。
「──貴方が闇の代表取締役と自分を称したのは、地下都市の顔役だからか?」
ロズリーヌは時間が惜しくて、すぐ口を開いた。ノアは「いかにも」と頷く。
「この地下都市はいつからあるのだ?」
「定かではないが、現皇帝が地下水道整備に着工した頃からだろう」
「現皇帝が地下水道整備に着工した頃からとすると、貴方は最初から此処の顔役ではなかったということだな? 貴方はいつからここの顔役に?」
「俺は子どもの頃に偶然ここへ迷い込んで、この世界を知った。当時ここまでの建造物はなく、人々はただ剥き出しの露店で商売をしていただけだったが。俺が私財を投じてここまでの都市を創り上げたんだ。それで最近、顔役になった」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、ノアは事情を説明した。ロズリーヌはその様子にノアの自負を感じ取った。
けれど、そもそもの疑問が残る。
「どうして地下都市を創り上げたのだ? これだけの都市を創れるということは、貴方はお金に困っていない裕福な人物のはずだ。何も地下に身を置かなくたって良いのではないか?」
「貴方は、この地下都市を見てどう思った?」
問いに問いで返され、ロズリーヌの思考は停止した。まっさらになった頭の中に、先ほど初めてこの地下都市を目にしたときの感情が流れ込んできた。
「──光の届かない暗い地下で、橙色のランプが灯ったところだけに、人々の生活が息づいている。そんな、この不思議な空間が……まるで別世界に迷い込んだようで、俺はいたく気に入ってね」
ロズリーヌが真剣な顔で何度も頷くと、ノアはくすりと音を立てた。そうして首を大きな窓の方へ回し、街の様子を眺めながら続ける。
「人々の生活は地上でも此処でも大して変わらない。けれど、なんだか、此処は知らない世界だった。妖しさと日常と、幻想と現実の狭間のような。俺はそんなこの場所に興味を駆り立てられて、私財を投げ打ち、十年で今の街を創り上げたんだ。最後にこの屋敷を建てたが、この屋敷が出来上がる頃に俺は顔役になって、この世界を手に入れた」
哀愁漂う声色。彼はこの一瞬で、これまでの十年間を振り返ったのだろう。彼の歳で十年といえば、ほとんど青春を費やしたと言っても過言ではないはずだ。
「……十年。貴方はとても充実した時間を過ごしたのだな」
ノアはゆっくりと頭を上下させた。
ロズリーヌも窓の外へ視線を投げる。
橙色の街。一つ、また一つとランプを灯して、この街はできあがっていったのだろう。きっと、どんな人たちが暮らし、どんな人生を歩んでくれるのだろうと期待しながら。
「顔役というからには、相応の役目も担っているのか?」
大事な街や人々を守るために働いているのだろうと予想して問いかけると、ノアは「おっしゃる通り」と答えた。
「治安維持。地上と地下の市場や交易の監督などを少々。ただ、ここでは法律など通用しないので司法とは無縁。教会もないので聖なる助けは届かない。お望みとあらば街を案内するが、どうする?」
「是非」
ノアは「では」と立ち上がり、再びロズリーヌをエスコートして屋敷の外へ出た。マルティーニは後ろからひっそりと気配を消してついてくる。
街の建物はほとんど全て石と金属でできていた。高さは地上の一階建て、もしくは二階建てくらい。建物と建物の間には鎖が張られ、無数のモザイクランプが吊り下げられている。それがほぼ一直線に並んで密接に建っており、路地のような隙間はない。時折建物と建物の間が開いていると思うと、金属製の水道管が通っていた。
「よぉノア。そっちの上等な服着たねぇちゃんたちは、さっきの大立ち回りのねぇちゃんたちだな?」
露店で肉を串焼きにしている屈強な男が声をかけてきた。ロズリーヌとマルティーニに向けられているのは品定めの目つき。
一方ノアは、ロズリーヌが見たことのない四角い銅貨を男に渡しながら答えるのだった。
「警戒するのは構わないが、彼女には演技でも協力的な姿勢を見せておいた方が無難だぞ。一瞬で何十人も伸した【怪力】を持つ彼女がいるからな」
マルティーニがえへんと胸を張る。
「それから、俺も黙っていない」
一言付け加えれば、男は口をへの字に曲げながら、串焼きを二本ノアに渡した。ノアは串焼きの一本をロズリーヌに、もう一本をマルティーニに渡してくれる。
「食べてごらん」
先ほどからずっと、肉の脂が焼ける匂いと、スパイシーな香りに食欲を刺激されていた。ロズリーヌは警戒心なんてそっちのけで、肉汁が浮いたつやつやの串焼き肉を頬張った。絶妙な塩気に引き立てられた脂の甘さが口中に広がり、感激した。一歩後ろに控えているマルティーニからはあまりの美味しさに見悶えている音が聞こえてくる。
「これ、すごく美味しい! 彼はかなり凄腕のシェフだな。うちのピエールと同じくらい」
「ふふ。俺から串焼き専門のシェフに任命しておこう。まだお腹に空きは? 甘いものもどうだ?」
「食べたい」
「こちらへ」
反対側の露店へ案内される。今度の露店商は女性で、ナッツの蜂蜜漬けの入った瓶と、大きなチーズが並べられた店だった。
ノアが商品を頼む。すると女性はチーズを薄くスライスして鉄板で焼き、その上にナッツのはちみつ漬けを乗せたものを二つ用意してくれた。ロズリーヌとマルティーニは直接女性からそれを受け取った。
かじると口の中でナッツの香ばしさと蜂蜜の甘さがチーズの塩気と調和した。シンプルながらこれも絶品。露店のスイーツとしておくにはもったいないくらいだ。
「こうするとまた味が変わって良いよ」
ノアが黒胡椒を振りかけてくれる。
どんな味になるのだろうと期待してかじり、またもや感動した。ピリリとした刺激が病みつきになる。
「美味しすぎる。胡椒か……先ほどのお肉にも香辛料が使われていたようだけれど、庶民にはなかなか手が出せない高級なものだろう? ここでは皆が手に入れられるくらい安価なものなのか?」
「表の市場を破壊しない程度に、特殊な方法で流通させているんだ」
「特殊な方法……特別な……四角い銅貨。特別な通貨か?」
ノアは頷き、感嘆の息を漏らした。
「それに気づくとは、さすがだな。ここではもちろん聖レピュセーズ帝国の貨幣も使われているが、特別な貨幣も使われていて、表と著しく価値の違う物にはこの特別な貨幣を使うことになっている」
目の前に銅貨を出して見せてくれる。ロズリーヌが手を出せば、そこへ一枚置いてくれた。
狐の紋章が焼き印された銅貨だ。裏を向けると100という数字が記されていた。
「数字は帝国の貨幣との釣り合いを示している。100が金貨、10が銀貨、1が銅貨だ」
ということはロズリーヌが持っている狐銅貨は帝国の金貨に相当するということだ。
「すごい。一つの街どころか、国ではないか──」
ガシャン!
突然、ロズリーヌの言葉を、何かが壊れる大きな音が遮った。
瞬時にノアの視線がそちらへ向き、一拍遅れてロズリーヌも目を向ける。
二人の男性が殴り合いをしていた。片方が吹っ飛ばされて周りの物を壊せば、もう片方も吹っ飛ばされて別の物が壊れる。ついには地面に伏して代わる代わる馬乗りになり、殴打が続くようになった。
「……此処を動かないように。行ってくる」
見かねたノアがロズリーヌとマルティーニを残して、殴り合う男たちへ向かって行った。男たちの体躯はノアより一回りも二回りも大きい。心配になったロズリーヌは、マルティーニと共にひっそりとノアの後について男たちに近付いた。
「おいお前たち! やめろ! それ以上続けるなら地下警察を呼ぶぞ!」
ノアが叫んでも喧嘩は収まらない。男たちの耳には周りの音が入っていないようで、ノアは仕方がないといった様子で声を張り上げた。
「リュタン!」
「はっ。お呼びですかノア様」
前髪の長いもっさりとした黒髪に、黒装束の青年がどこからか降ってきて、ノアの隣に控えた。ロズリーヌとマルティーニが目を大きくして驚いているうちに、ノアは端的な指示を出す。
「仕事だ。連行して互いの話を聞いてやれ」
「かしこまりました。──集まれ!」
リュタンと呼ばれた男が大きな声で呼ぶと、これまたどこからか現れた同じ黒装束を着た人物たちが集まってきて男たちを引き剥がし、何処かへずるずると引っ張っていったのだった。
「……あの人たち、お屋敷に忍び込んで来た『お客様たち』ではありませんか?」
マルティーニに耳打ちされ、ロズリーヌは頷いた。
月明かりの下、屋敷を襲撃した華麗な身のこなしの『お客様たち』。狭く薄暗い地下暮らしならその身のこなしも頷ける。彼らが突然街中で消えたのは、知らない地下通路を使って地下へ潜伏したからだったのだろう。
「うーん……なんか、リュタンと呼ばれている方の声、何処かで聞いたことのあるような……」
マルティーニはリュタンと呼ばれた男の横顔を見ながら首を傾げる。ロズリーヌもはて、と彼を観察してみるが、ピンと来ないのだった。
二人がそんなことを考えているとは知らずに、ノアはリュタンを詰めている。
「怠慢だぞリュタン。地下警察はお前に全権を任せてあるだろう。俺が介入する前に片付けないか」
「貴方の護衛をしつつ小間使いもして街の治安維持まで手が回るとでも?」
主らしきノアに向かって、堂々と言い返すリュタン。しかしノアも負けてはいない。
「お前、地下警察全員を俺の護衛に回しているだろう? 俺が知らないとでも思ったか? 職権乱用するな。降ろすぞ」
「分かりました。今後は分からないように職権乱用します」
ノアは「お前」と低い声を出したが、リュタンはあっけらかんとした顔で(無表情で)「持ち場に戻ります」とそれらしいことを言って姿を消した。
一人になったノアに、ロズリーヌは静かに近付いた。
「……地下警察? 私の屋敷を襲った者たちが?」
眉を顰めて言うと、ノアはため息を吐いた。
「その節は申し訳なかった。貴方たちを殺す気はなかったんだが、こちらも断れなくてね。リュタンには体面だけ整えろと言ったんだが、どこまでするつもりだったのか」
(私の屋敷を襲ったのは別の人物の依頼ということが確定、か)
ロズリーヌはノアが思わず滑らせた口から答えを導き出し、何食わぬ顔でノアの話の続きに耳を傾けた。
「彼らの三分の二はもともと裏家業をしていた後ろ暗い奴らで、なかなか彼らを完璧に御するのは難しいようでね。時々一部の者が野蛮な依頼を受けてしまうんだ」
「危険ではないのか?」
「安全とは言えない。だが、灯を付けたり消したりするように人は変われないから、彼らにも時間が必要だと思っている。街として成り立つくらいにはここではみんな弁えているから、希望はある」
言っている傍からまた喧嘩が起こったようで、怒号が響いてきた。今度は女性同士の喧嘩らしく、片方はフライパンを、片方はめん棒を持っている。これにはすかさず地下警察が向かったけれど、女が振りかぶったフライパンが手から抜けて、こちらへ飛んできた。
「!」
構えたロズリーヌの前にマルティーニより先にノアが滑り出て、剣を収めた鞘でフライパンを叩き落とした。
「──まぁ、自衛の術は持っていないとやっていけないかもしれないな。貴方はやっていけるだろうか?」
挑戦的な言葉を投げかけられ、ロズリーヌは腕を組んでノアを見つめ返した。そうしているとすぐ後ろでまた喧嘩が起こりそうな気配がした。
ロズリーヌは咄嗟にノアの鞘から剣を抜き、後ろで誰かに罵声を浴びせていた男の首元に切っ先を突き付けた。
思わず醜い言葉を呑み込む男。喧嘩は始まる前に収拾がついたようだ。
ロズリーヌはノアを振り返って口角を上げた。
「多少の心得はある」
「そのようだ」
ノアの声は満足そうだった。




