闇の代表取締役ノア06
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ノアの襲撃から一ヵ月半。あれからどれだけ調べても彼の尻尾は掴めなかった。
ピエールが捕まえた『お客様たち』から情報を聞き出そうとしても、彼らは一切口を割らず。また、彼らを無罪放免で解放し、泳がせてみたものの、追跡したマルティーニが不覚にも彼らを見失ってしまう事態となった。マルティーニ曰く、街中で忽然と姿を消した、らしい。
当然、宝石ドロボウについても進展がないまま時は過ぎ。そしてついに第三皇子ティモシー主催の仮面舞踏会──宝石ドロボウを罠にかける作戦を決行する日を迎えることになったのだった。
すれ違う者の顔も見分けられぬような黄昏時に、仮面舞踏会は始まった。
トリオール邸のホールは黒と紅を基調とした様相に変えられ、シャンデリアの灯りも絞られていた。唯一白に金の装飾の施された衣装を着る楽団や、食事の並べられた長テーブルがぼうっと浮かび上がって見える。飾られたままの絵画や場所を変えて残された一部の像にも仮面がつけられ、怪しくも艶めかしいヴェールに包まれた会場は、それだけで招待客たちを高揚させた。
招待客たちはいつもより自然体で会話やダンスに興じていた。仮面で顔を隠しているだけで心が開放的になるのだから不思議なものだ。
ロズリーヌもまた、そのうちの一人だった。
顔の上半分にバイオレットの仮面をつけ、ミュールのドレスに身を包み、胸元には『女神の赤い首輪』。会場内の様子に注意を払いながらも、普段は話さないような人たちと会話をして、ダンスに誘われ、この一時ばかりはすべてを忘れて仮面舞踏会を楽しんでいた。
──ガラン ガラン
どこからともなくベルが鳴った。次の一曲で仮面舞踏会はおしまいという合図だ。
いつの間にそんな時間になったのだろうと、ロズリーヌがふと視線を懐中時計に落としたときだった。
「一曲、いかがですか?」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、顔の上半分を見事な装飾の施された黒い仮面で隠した男性が立っていた。プラチナブロンドの髪を高い位置で一つに結い上げ、黒いリボンをしている。インディゴの礼服にマントを身に付けていても分かる、体躯の良さ。胸元にはピンキッシュレッドのルビーのブローチ『薔薇の恵み』。
誰か分かっても名を出さないのが仮面舞踏会のルール。ロズリーヌが「喜んで」と答えて手を出せば、身体を攫うように抱かれて、いつの間にかホールの真ん中へ躍り出ていた。
左右に揺れるのも、くるりと回るのも息が合う。ダンスが上手いからというよりは、波長が合うのだ。合わせた手の指先一つの動きさえ、心地が良い。
「……お上手ですね」
「……そちらこそ」
お互いに本当に言いたい言葉ではないことを理解していながら踏み込まない。何故ならいま二人が顔を合わせているのは仮面舞踏会だからだ。
曲が佳境に入り、激しさを増していく。
参加者たちの笑い声が大きくなり、興奮が最高潮に達し──
リィィィン!
最後の音が打ち響いて、参加者たちは仮面を一斉に脱いで天に向かって投げ捨てた。
しかし。二人は身体を寄せ合い、見つめ合ったままだった。
何を考えているか分からないはちみつ色の瞳がロズリーヌを捕らえて放さない。疑問も、逃げたいという気持ちも浮かばず。むしろもっと、彼の瞳に溺れていたいような──。
ふ、と彼の指先がロズリーヌの唇を撫でた。
「ずっと、何処かが似ていると思っていた。──唇だ」
心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。
誰に、なんて、口が裂けても聞き返せない。だって、ロズアトリスが晒しているのは唇だけ。その名が口から出ようものなら、曖昧だった疑惑が確かな形を持ってしまう。
咄嗟に逃げようと身体が反応して、彼の腕の中でもがいた。けれど腰を抱く彼の腕は全く緩まなかった。
ふるふると震えるロズリーヌの唇を、ティモシーは目を細めてゆっくりとなぞった。
しかし。
次の瞬間にはロズリーヌを放し、ティモシーは仮面を脱ぎ捨てて高らかに宣言した。
「仮面舞踏会はこれにて終了! 皆さま怪しくも美しい仮面舞踏会にご参加ありがとうございました!」
ティモシーが恭しく礼をすると、皆もそれぞれ礼をして、仮面舞踏会はお開きとなった。
ロズリーヌは抜けそうになった腰を労わりながら、招待客たちを見送るためにホールの出入り口へ急いだ。
顔が火照っていることには気がついている。けれど仮面を外さないわけにもいかず、ロズリーヌは仮面を取って招待客一人ひとりに声をかけ、安全に帰路へ着けるよう蝋燭を手渡した。すぐにティモシーも隣に並んだけれど、幸い照明を落としていたからか、誰にも赤くなった顔を指摘されることはなかった。
最後の客を見送ったところで、視界の端に映ったピエールが『準備完了』の合図をした。
楽しい時間は終わり。ロズリーヌの頭の中がスイッチを押したように切り替わる。
さぁ、作戦決行だ。
ロズリーヌは片付けをしなければならないと言って、逃げるようにティモシーの元を去ろうとした。
しかし。
「!」
無言で手首を掴まれ、引き止められてしまった。
(まずい!)
ロズリーヌは焦った。
何がまずいかって、すべてだ。彼が先ほどうやむやになった「誰に唇が似ているのか」を口に出すかもしれないこと。それから、こうして引き止められていること自体。
「すまないっ! マルティーニが私を待っているので!」
悪手だと分かっていながら、ロズリーヌはティモシーの手を振り払うことしかできなかった。
ホールの別の出入り口から廊下へ出て、そのまま屋敷の裏口まで走って外へ飛び出すと、行列を作る馬車を追いかけた。
どの馬車にも四隅にランタンが点けられている。それだけでなく馬車の中にも橙色の光は灯っていて、夜の闇に光の道ができていた。このランタンは夜道を襲う宝石ドロボウの対策にロズリーヌが提案し、仮面舞踏会の招待客全員に配給したものだった。
ロズリーヌはようやく自分の馬車を見つけて飛び込むと、馬車の中で待っていたマルティーニが声を上げた。
「良かった! 間に合いましたね!」
「遅くなってすまない。……さぁ、ここからが本番だな。気合を入れるのだ」
遅くなった理由は述べず、ロズリーヌは珍しく両の頬を叩いて気合を入れた。そうでもしなければ、さっきのことを思い出してしまいそうだったからだ。幸いマルティーニはこれから始まる計画に興奮している様子で、いつもと違う主人の様子に疑問を抱くことはなかった。
二人の乗った馬車はトリオール邸を離れ、街中へと移動した。
トリオール邸は皇族や貴族の中でも伝統的な上流者たちの館が立ち並ぶ区域とは離れた場所に建っているので、招待客たちの帰路が長くなる。ちょうど、宝石ドロボウが狙いやすい状況だ。
馬車は渋滞で停まり、動き、動いてはまた停まりを繰り返している。けれどもまだどの馬車からも悲鳴が上がっていないのは、ランタンで煌々と馬車の内外を照らしているからだろう。いつも闇の中で静まり返っている街は、馬車の灯のおかげで眠りから覚めたようだった。
だが、それも束の間のことだった。ほとんど同時に、ランタンの光が消えていったのである。
街は宵闇の中に沈黙するかと思われた。
しかし。まばらに光が灯り始める。それぞれの馬車のランタンに、新しく蝋燭が入れられたのだ。
もちろんロズリーヌとマルティーニが乗っている馬車のランタンの灯も消えていた。けれど、もたついているふりをして、外のランタンにも中のランタンにも、新しい灯は入れなかった。
そのためロズリーヌとマルティーニの乗った馬車の辺りは真っ暗闇だった。かろうじて差し込む銀の月光に、二人の顔らしきものが白くぼんやりと浮かび上がっている。
しばらくそのまま、二人は時が来るのを待った。
すると。
パリン!
馬車の窓が割られた!
ロズリーヌはすかさず自身の胸元に手を伸ばした。誰かの腕とぶつかる。その腕を躊躇なく掴むと、思ったよりも細かった。
「くそっ!」
中低音の声が悪態を吐く中、ロズリーヌは【導き】の力を発動させた。その人物の胸元にあたる部分に黄金の砂時計が現れる。
馬車に侵入した人物はロズリーヌの手を振り払って扉を蹴破り、外へ飛び出した。
黒い影を追いかけて、ロズリーヌとマルティーニも飛び出す。
しかし、すでにそれらしき影は消えていた。辺りを見回しても黄金の砂時計は見当たらない。
「こんなに早く、一体全体どこへ!? まさか、【魔力】で消えた!?」
驚くマルティーニの隣で、ロズリーヌは静かに神経を研ぎ澄ませ、集中していた。
ゴトッ
何かの音が間近で聞こえた。
まさかと思ってドレスが汚れることも構わずに屈み、這いつくばって馬車の下を覗くと、馬車の下にはマンホールがあった。
「此処だ! マルティーニ! 馬車を持ち上げろ!」
「かしこまりました!」
マルティーニが二つ返事で軽々と御者ごと馬車を持ち上げる。
「後からついて来い!」
ロズリーヌはドレスを身体に巻き付け、マンホールを開けて狭く真っ暗な穴に迷わず飛び込んだ。
地下水道に繋がる穴は、一人通るのでやっと。ロズリーヌはドレスを汚しながら狭い穴の中を下っていき、地下水道へ出た。
地下水道はロズリーヌの身長なら身を屈めなくても通れるくらい充分な大きさの穴倉だった。けれど明りが無いので左右が分からず、ランタンを持って来なかったことを悔やんでいると。
カツン
音が聞こえて、ロズリーヌはその方向へ顔を向けた。
黄金の砂時計が角を曲がっていくのが見える。今はそれだけが頼りだった。
ロズリーヌは躊躇することなく、黄金の砂時計が消えた方向へつま先を向けた。
黄金の砂時計を持つ者は暗くて何も見えないはずの地下水道を把握しているようだった。距離は縮まるばかりか、暗闇に慣れないロズリーヌが覚束ない足取りでふらふらしている間にどんどん開いていったが、黄金の砂時計のおかげでかろうじて向かう先だけは見失わなかった。
果てしなく続くのではないかと思われるほどの暗闇。酷い匂い。蝙蝠が羽ばたき顔にぶつかっても、ロズリーヌは決してめげることなく地下水道を進んでいった。
そして。
突然、目を眩しい光が突き刺した。
思わず目を瞑り、慣れてきた頃に開いて──。
「……なんだ、これ……!」
驚愕して、思わず声を漏らした。
街が広がっていたのだ。紛れもない、地下に!
岩をくりぬいたところに扉をつけた、無数の家。色とりどりのテントを張った露店。煌々と輝くモザイクランプが地面を覆うように、はたまた天を覆うように、下にも上にも所狭しと並べられ、光に満ち溢れている。されど太陽のない地下。どんなにランプが灯っていても、闇の影が潜んでいる。それがまた幻想的で、この世ではない別の何処かに迷い込んでしまったかのようだった。
(地下にこんな場所があるなんて……)
さすがのロズリーヌも理解が追い付かなかった。けれど停止しかけた思考を冷静な部分が駆り立てて、今は宝石ドロボウを追わなければという結論を叩き出した。
ロズリーヌはごくりと喉を下し、階段を降りて、地下都市へ足を踏み入れた。
途端、辺りを囲まれてしまった。
「汚れているが上等な服を着ている」
「よそ者だ!」
「どこから来たのよ!?」
彼らの服装は地上のものと変わりない。言葉も聖帝国のものだから、異国の者たちが街を創ったわけではなさそうだった。とはいえ『よそ者』扱いされ、歓迎されてはいない。
ロズリーヌは彼らを刺激しないよう注意しながら声を張り上げた。
「私はロズリーヌ・トリオール! 私の宝石を奪おうとした盗人を追いかけて此処へ来ました! どうか道を開けてください!」
「そんなこと知るか!」
恰幅が良く身体の大きな男が怒号を響かせた。
「ここへは許可のある奴しか入れねぇ! そういうルールだ! 追い出せ!」
大きな男の合図で複数人が襲い掛かって来る。
(分が悪い。マルティーニがいれば……!)
ロズリーヌが足を引き、後退しようとしたそのとき。
「えいやぁ!」
威勢の良い女の声が響き渡ったと思うと、どこからか飛び出して来た人物が男に飛び蹴りを食らわせた。蹴られた男は吹っ飛んでいき、凄まじい音を立てて露店に頭から突っ込んだ。
「お待たせしましたローズ様! お怪我ありませんか?」
橙色の髪を振り乱し、若草色のドレスのスカートを大きく広げ、マルティーニが華麗に着地する。頼れる用心棒の登場に、ロズリーヌは口角を上げて「大丈夫だ」と答えた。
男が蹴り飛ばされたのを見た周りの者たちが武器を片手に集まって来る。こうなってしまっては言葉だけで解決できまいと悟ったロズリーヌは、マルティーニに指示を出す。
「やむを得ん。大怪我させない程度に制圧せよ!」
「お任せください!」
地下の住人たちが押し寄せて来た。
「てやっ!」
マルティーニがどんっと先頭の男を掌で押すと、後ろに控えていた人々もろともドミノ倒しになった。斧を持って飛び掛かって来た男には後ろ蹴りを食らわせる。蹴りを受けた男は二、三人の上に覆いかぶさり、下敷きになった者たちは身動きが取れなくなった。マルティーニが腕を一振り、足を一振りするだけで、あっという間に人の山ができあがっていく。
きゃぁきゃぁと、男衆がドレスを着ている若い女にまるで歯が立たないことに戦慄した女たちが騒ぎはじめたところで──
パン、パン、パン、パン。
乾いた拍手が悲鳴とどよめきを割った。
拍手の源に視線を移したロズリーヌは唇を引き結んだ。
顔の上半分に、白くのっぺりとした仮面。艶やかな黒髪を流し、黒いローブを纏った人物が、優雅に手を叩いているのである。
(ノア!)
「ノア様!」
目を見開くロズリーヌを後目に、女たちが白い仮面と黒いローブの人物──ノアに駆け寄った。
「暴れている奴がいると聞いて来てみれば、たった一人の小柄な女性とは。お嬢さん、【魔法】を持っているのですね?」
ノアがマルティーニに問いかける。
「えぇ【怪力】の【魔法】を少々」
マルティーニが得意げに乱れた髪を掻き上げると、地下都市の住人たちに動揺が広がった。
ただ一人、ノアだけが態度を崩さずに頷く。
「皆、聞いたか? 彼女に力では勝てない。ここは俺が取り持つ。分かったなら下がれ」
殺気立っていた地下の住人たちは途端に大人しくなり、武器を下げた。そうしてそれぞれの日常へ戻っていった。
ノアは言葉だけで彼らの怒りを鎮め、納得させてみせたのだ。ロズリーヌは目を細めて彼を見た。
「貴方たちを俺の屋敷へ案内しよう。こちらへどうぞ」
ノアが腕を広げて通りの先を示す。
案内を断って馬車へ侵入した者を追いかけたいところだが、無下にするわけにもいかない。
ロズリーヌが無言でノアの隣に並ぶと、ノアは慣れた様子で腕を出した。彼の腕を一瞥してから手を絡める。
踏み出された一歩が全く無理のない歩幅で、ロズリーヌは少なからず驚いた。あの夜の会合でも思ったことだが、この男は礼儀が身についている。それもスマートに。これだけの熟練度なら、付け焼刃で身に付けたものではあるまい。
(ノアは貴族なのか?)
ロズリーヌは思案しながらノアのエスコートに従った。




