闇の代表取締役ノア03
「……」
「……」
何故かスイーツやスコーンはそっちのけで、見つめ合う時間が生まれる。
「食べないの?」
「貴方が食べるのを待とうと思って」
「私も貴方が食べるのを待つつもりだった」
あはは、とティモシーは口元を手で覆い隠して無邪気に笑った。
「これでは永遠にどちらも食べられないね。ここは一つ、同時に食べることを提案しよう。どうだろう?」
「そうしよう」
ロズリーヌはマカロンを摘み、ティモシーはスコーンを割ってイチゴジャムとクロテッドクリームをたっぷり塗ったものを口に近付けた。
二人とも横目でお互いを確認しながら同時に口を開け──ロズリーヌはマカロンを口に含んだけれど、ティモシーはスコーンを食べなかった。これには騙された気分になった。
「同時にと言ったのに……」
「口がちっちゃいなと驚いてしまってね。小さなマカロンをかじるなんて。お腹も小さいのかな? お皿にあるものを全部食べることはできる?」
「これくらいなら食べられる」
「ふぅん。本当かな。ローズが食べられなかったら、私が食べるよ」
ティモシーはさらりと言って、紅茶を手に取り、飲み下した。
ロズリーヌは甘いものが得意ではない彼を煩わせるわけにはいかないと、お皿に盛ってもらったお菓子を張り切って食べ進めた。マカロン、カヌレ、それからもくもくとケーキを頬張っていると、くすくすティモシーに笑われてしまった。
「どうして笑う?」
「私が甘いものは得意ではないと言ったから、気を遣っているというのは分かっているのだけれど。私のために頑張ってくれているのだと思うと可愛らしくて。小さい口で次々と食べる姿はリスみたいだ」
膨れた頬をつつかれて、ロズリーヌの顔が熱を帯びた。
「は、恥ずかしい……。すまない、はしたなかっただろう……」
ずっと持ったままだったフォークを置くと、ティモシーは「可愛かったのに」と残念がった。
「私は貴方がたくさん食べている姿を見るのが好きみたいだ。遠慮なく食べてほしい」
「私だって、貴方が食べているところを見たい」
ロズリーヌは彼のお皿を持ち上げ、クロテッドクリームとジャムを塗ったまま置かれているスコーンを差し出した。
「それじゃぁ、今度こそ同時に食べよう。こちらの半分は貴方に」
ティモシーは割ってそのままだった片割れのスコーンに、アプリコットジャムとクロテッドクリームをたっぷり塗って、ロズリーヌに渡した。
それぞれスコーンを持って見つめ合う。ロズリーヌが彼の唇にスコーンを近付けると口を開けたので、今度は食べる気があるとみた。
(……なんだか悪戯な彼に翻弄されている気がする)
とは思えども、ロズリーヌは無邪気な彼を楽しんでいた。次はどんな戯れをしてくるのだろうかと期待さえして、彼の手ずからスコーンをかじる。
すると。
ふわりと額にプラチナブロンドの髪が下りてきて、はちみつ色の瞳が目の前に──。
思わず口を離したところで、スコーンに二つの歯形がついていることに気がついた。
(私がかじったスコーンを横からかじられた!)
瞬間、ぼわっとロズリーヌの顔が真っ赤になった。
「……初心な反応をするんだね。キスマーク付きの手紙をくれるくらいなのに」
「キスマーク付きの手紙!?」
身に覚えのないことを言われ、ロズリーヌは思わず大きな声を出してしまった。
ティモシーは徐に懐へ手を滑らせ、指の間に封筒を挟んで取り出すと、ロズリーヌの目の前に掲げてみせた。
「あ……」
白い封筒の裏。ちょうどロズリーヌがサインしたところに、深みのあるブルーベリーのような色合いのキスマークがついていた。
(私の提案を受け入れてもらえるよう祈ったときについたのか!)
手紙を送る前に、封筒に顔を寄せたことを思い出す。
「それは誤解だ!」
意図してつけたものではないという意味だったのだが。
「貴方のものではないと?」
言葉足らずでまた別の誤解を生みそうになり、ロズリーヌは焦った。
「いや、確かに私のものだが、それは事故で」
「つまり私の純情を弄んだと」
「違う! 断じてそんなことはない! 私は真面目に貴方と向き合うつもりだ!」
「ほう。真面目にって、どういう?」
細められたはちみつ色の瞳が圧をかけてくるので、ロズリーヌはしどろもどろになった。
「それは、その、貴方と様々な経験をすることで、貴方がどんな人なのか知って、私がどんな人なのか知ってもらって……。それから将来どうするのかや、どうなりたいかを話し合ったりして……ティム?」
ティモシーは口元に手を当て、くつくつと声を殺して笑っている。
「いやぁ、本当に面白い。貴方といると楽しくて時間を忘れそうだ」
そう零して、ティモシーは皿に残されていたスコーンを平らげた。紅茶も口に運び、堪能するように味わう。
(な、何だ? 何なんだ!?)
何事も無かったかのような優雅な所作に、ロズリーヌは狐に食わされたような気分になった。
今後決めなければならないことを改めて整理し、招待客の選考はティモシーが、招待客への手紙の手配はロズリーヌがすることにして、この日はお開きとなった。
ロズリーヌがティモシーを玄関まで送ると、ティモシーの侍従が馬車を用意して待っていた。
「それでは、また」
別れ際にティモシーはロズリーヌの指先に唇を落とし、馬車に乗り込んだ。
これくらいの挨拶には慣れているはずなのに。
馬車が走り出し、徐々に遠くなっていって跡形もなく消えてもなお、ロズリーヌはその場を離れられなかった。
茜色に染まっていた空に闇が差したところで、やっとロズリーヌは踵を返し、自室へ移動した。
彼の唇が触れた指先を見つめながら。
自室に入り、勘だけで執務机まで歩く。足が執務机に当たるところまで来て、ようやく視線が指から逸れ──ロズリーヌは異変に気づいた。
机の真ん中に闇よりも深い、真っ黒な封筒が置かれている。
──いつの間に!?
ドッと心臓が嫌な動きをして、身体が冷えた。
ロズリーヌはすぐさま侍従を呼ぶベルを鳴らし、人が来るのを待たずして、封のされていない封筒を指先で開いた。ちょうど手紙を摘み出したところで、ベルの音を聞きつけたマルティーニとピエールが飛び込んでくる。
【悪女ロズリーヌ・トリオール伯爵
ただちに 『怪盗』の捜索を中止せよ
さもなくば お前は後悔することになる
闇の代表取締役 ノア】
「ノア!? これ、あの少年が言っていた大悪党ノアって奴からの手紙ですか!?」
後ろから覗き込んで手紙を読んだマルティーニが青い顔をする。その隣で、ピエールも眉間にしわを寄せていた。ロズリーヌは動揺を表情や声には出さず、冷静に告げる。
「私がこの部屋に入ったとき、この手紙はすでに机に置いてあった。侍従の誰かが置いたのか? 何者かが侵入した形跡は?」
「早急に調べます」
ピエールは頭を下げ、部屋を出ていった。
「もしこのお屋敷の使用人が誰も手紙を置いていないということになったら、大悪党ノアがここへ……ローズ様のお部屋まで侵入したってことですよね?」
「あるいは彼の手下が入り込んだか。いずれにしても、ノアという人物は存在していて、しかも私に直接手紙を届ける術を持っているということだ」
マルティーニがごくりと喉を鳴らす。
「どうするんですか? この手紙、どう見ても脅しですよね? 犯人捜しはやめますか?」
ロズリーヌは即「いや」と否定した。
「宝石ドロボウに大事な物を奪われた友人がいるのだ。引き下がるわけにはいかない。宝石ドロボウ探しは続ける。これは長らく手に入れられなかった、重要な手がかりだ。ノアという人物は宝石ドロボウ事件に関わっている」
「犯人かもしれない、ということですよね?」
ロズリーヌが頷くと、マルティーニはしばらく考えてから「かしこまりました」と返事をした。
「ローズ様、警備を強化しましょう。ピエールに手配させます。それからしばらく私、このお部屋で寝起きしても良いですか?」
ロズリーヌが「そうしてくれ」と答えると、マルティーニは飛び上がって喜んだ。
「わぁいやったぁ! ローズ様と一緒!」
これまでの緊張感のある空気が一掃され、ロズリーヌは苦笑した。
その後の調べで、侍従は誰も手紙を受け取ってもいなければ、見てもいないことが分かった。もちろん侵入者についても、何の証拠もそれらしき人物の影すらも出て来ないのであった。




