第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ02
ロズリーヌは横目でティモシーを盗み見ながら、さすがだと心の中で賞賛した。
マクシムは二番目の皇子だが、ゆくゆくはシャルルリエルの夫となり、皇家を出ることが決まっている。一方ティモシーはロズアトリスと婚約を解消し皇家に残ることになったので、立太子さえするかもしれないという期待が残されていた。そんな皇子が手紙に一つ残らず目を通すと言ったのだ。ここで食いつかない権力者はいない。
視線に気づいたのか、ティモシーがこちらを向いた。ロズリーヌは、物申すなら今だと口を開いた。
しかし、ティモシーが小首を傾げて一歩足を後ろに踏み出し、彼の身体が一段下がったので、気を取られて言葉が出なかった。彼はロズリーヌと共に中庭へ降りようとしていたのである。
段差を安全に降りられるよう気遣って、ティモシーの手がロズリーヌの身体にそっと添えられている。ロズリーヌの視界には庭ではなく彼しか映っていないので、彼の腕の中に飛び込むようで躊躇した。
くんっと繋いでいる手を軽く引っ張られる。
いつまでも戸惑っている訳にもいかず、ロズリーヌは足を踏み出して中庭に降り立った。
小さな花から背の高い花が敷き詰められた、自然の景色そのもののような中庭。ホールから伸びた石畳の先には大きな丸い噴水があり、周りを遊歩道が囲っている。ティモシーは、とくとくと流れる噴水の周りの遊歩道を歩いて裏側まで来ると、足を止めた。
「――ありがとうございます。助けていただいて」
ロズリーヌは開口一番に礼を言った。ティモシーが「お気になさらず」と言いながら噴水の淵にハンカチをひいてくれ、座るよう促すので、甘えることにして腰を下ろした。ティモシーも隣に腰を下ろす。
「むしろ私が謝らなければならないでしょう。咄嗟にあのような提案をしてしまいましたが、厄介なことになったとは思っていませんか?」
ロズリーヌは首を振った。
「むしろ好都合です。社交場の主催はわたくしも考えていたのですが、伯爵位であるわたくしの主催では招待できる方が限られているので口に出せなかったのです」
「三ヵ月後というのはどうでしたか? イミテーションのアクセサリーを作成する期間、そして身に付けるのが定着するくらいの時期を狙ったつもりだったのですが」
「それについても同意見です。すぐに催してしまってはイミテーションのアクセサリーを作らせる時間が無く、身に付けることも定着しない。かといって遅すぎては焦れてしまいますから、良い頃合いだと思います。わたくしもそのくらいの時期を提案したでしょう」
「つまり私と貴方は同じことを考えていたということですね」
うまいことを言う。彼とは事前に打ち合わせをしていなくても意見が合うのだと思うと、嬉しいような気もする。けれど実際は単純に彼が聡明だから、こちらの手の内が把握されているに過ぎない。
それより、ロズリーヌは彼に物申したいことがあった。
先ほど気が散って飲み込んでしまった言葉を形にする。
「……それより、問題は私を婚約者とおっしゃられたことです。私はお手紙を出しましたよね?」
「そうでしたか? 行き違いですかね。私のところには届いていませんよ?」
にっこりと、妙に親しみやすい笑みを向けられる。
(嘘だな。手紙に書かれていた日時に殿下はいらっしゃらなかった。私の手紙を読んで来るのをやめたはずだ)
そう思うものの、彼が手紙を読んだはずだという証拠はない。であれば、口頭ではっきりと伝えるのが最適だろう。
「殿下、私……」
「そうだ。少し、散歩しませんか?」
「いや……」
「お嫌ですか?」
こちらを見つめる、ねだるような瞳にあっさりと陥落し、ロズリーヌは気がつくと頷いていた。するとティモシーがほっと笑みを綻ばせるものだから、ロズリーヌの胸はきゅっとするのだった。
ティモシーがロズリーヌの手を自身の腕に絡ませ、二人同時に足を踏み出した。
脇の花々が無造作に、けれど計算されたようにどれも美しく咲き誇る遊歩道を、噴水の水音を聞きながらゆったりと回る。足を踏み出すタイミングも、相手がどちらへ向かって歩きたいのかも分かるので、身体を寄せていても不自由はない。
ロズリーヌには当たり前の感覚だが、彼はどう思っているのだろうか。
気になって目を上げると、彼のはちみつ色の目とかち合った。
「どうしました? 私の顔に何か気になるものでもついていますか?」
さっと視線を下げるロズリーヌ。
「そういうわけでは。それより、私は殿下とは……」
「では、私の顔に見蕩れていたのですね。貴方の好みの顔ですか?」
「ち、違います!」
慌てて否定したが、ティモシーは聞いているのかいないのか、真剣な顔でこちらをじぃっと見つめたまま動かないでいる。ロズリーヌは息を殺して唇を引き結んだ。
「……私は貴方の顔、好きですよ。目じりの上がった鮮やかなマゼンダの目。花弁のような唇。それから、こうして熟れる頬」
大きな手が触れるとぼっと顔が熱くなって、ロズリーヌは思わず彼の傍から逃げ出し、急いで噴水の水面を覗き込んだ。揺らめく水鏡に、真っ赤に熟れた自分の顔が映っている。恥ずかしい!
「私を揶揄って遊んでいるんだな!?」
「社交界で私は狐と言われているのですよ」
思わず大きな声を出したが、さらりと返されて毒気を抜かれた。
狐というのは狡猾な者を指す言葉だ。ロズアトリスとして接している時はティモシーのことを悪い人だと思ったことは無いが、賢い人だとは思っていた。ロズリーヌとしては、やはり賢いという印象に変わりはないのだが、確かにそれだけでは少々表現不足であるように思えた。とはいえ悪いというのも、狡いというのも、違う気がする。言うなれば──。
「──貴方は狡いとも悪いとも言い難い。蠱惑的なのでしょう」
そう、いわゆる魔性。見目の美しさや計算された表情はさることながら、洗練された立ち居振る舞いに、明晰な頭脳で繰る言葉。全く隙が無く距離さえ感じるのに、ふと彼の唇から微笑や冗談が零れれば、彼に近付けたような感覚がするのだ。
ロズリーヌの指摘に、ティモシーは不思議そうな顔で答えた。
「蠱惑的ですか? 初めて言われました。そう言ってくださるということは、貴方は私をそのような目で見ていると捉えても?」
「そういうところを言っているのですが」
「おや、そうでしたか。気づかなかった」
くすくすと笑うティモシー。本当に、こういうところだ。
「人によってはそういうところが狐っぽいと思うのでしょう」
自分でも分かっているくせに、というのは呑み込んでおいて、そう告げると、ティモシーは呟くように言った。
「──人は早々変われないようだ」
彼には珍しく愁いを帯びているような気がして、思わず聞き返す。
「変わろうと思ったことがあるのですか?」
「ある人の隣に並び立つために改心したはずでした。でも、その必要が無くなった途端、元に戻ったらしい。どうやら元来の性悪は足掻いたところで変わらないようです」
自嘲気味に口角を上げている。
いつも自信ありげな彼が垣間見せた、そっと枕に顔を預けるような姿。彼をこのままにはしておけないと、ロズリーヌはすぐさま首を振った。
「言い方を変えましょう、殿下」
「言い方を変える?」
「改心したのではなく、貴方の内にある清らかな部分が表に出て来るようになっただけ。性悪ではなく、昔の殿下は未熟だっただけ。それならば、変われなかったと嘆く必要はないでしょう」
二人の間を爽やかな風が吹き抜ける。雲間から差した光の筋が、ロズリーヌの黒髪を白く発光させ、ティモシーは眩しさに目を細めた。
「……へぇ。聖職者のような言い方をするんだな」
何気ない一言に、ロズリーヌの心臓は跳ねた。
(しまった! 私が聖女ロズアトリスだということは気づかれてはならないのに!)
聖職者らしい言い回しの所為で正体が知られるとは思えないが、万一のことを考えて疑いを持たせるのは得策ではない。
「聖職者だなんて、とんでもない」
ロズリーヌは余裕たっぷりの笑みを取り繕って、胸元の首飾りを指先でなぞった。
「私は、悪女と呼ばれる女ですよ?」
ニヒルに微笑むロズリーヌを、ティモシーはじっと見つめる。
そうして、くすりと笑みを落とした。
「悪い意味ではありませんよ。ただ少し意外で……いや。イミテーションの話を持ち掛けたのは、皆がこれ以上被害に遭わないようにでしょう?」
黙っていると、ティモシーはそれを無言の肯定と捉えた。
「貴方はもともとお優しい方なのですね。ますます興味が湧きました。実は、ずっと貴方が喜んでくれそうなデートの場所を探していたのですが思いつかず、お誘いできなかったのですが。たった今、良い場所を思いついたので、お誘いの手紙を書きますね」
「……でーと?」
思わぬ流れに澄ました悪女の仮面が剝がれ、ロズリーヌはきょとんとした素の表情を晒してしまった。
ティモシーはそんなロズリーヌの表情を撫でるように優しく見つめて。
「それでは、また今度」
優雅に礼をして去って行った。
ロズリーヌは数拍後に婚約の申し入れを断れなかったことに気がつき、慌てて会場を探したが、すでに彼の姿はどこにもないのだった。




