第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ03
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聖レピュセーズ帝国の王都カロックス。カロックスには聖教会の中心であるルドルダ大聖堂が位置しており、数多くの教会が設けられていることで有名だ。しかし来訪者が最も胸を打たれるのは、洗練された白く輝く街並みである。白壁が太陽光を反射させるため、日中は街全体が輝いているように見え、黄昏時には茜や黄金に染まり、陽が落ちれば月光を受けて淡い光を放つ。その美しさは聖なる国の首都として相応しく、また、多くの聖職者や信者たちが奉仕を行っているおかげで塵も少なく衛生的な街だった。
「本当にカロックスは美しい都ですね。我が領地とは大違いです」
マルティーニが眩しい街を見回しながら、うっとりとした表情をする。
「それに、美しいだけでなく、いつ見ても栄えていて美味しそうなものがいっぱいですぅ」
うっとりしていたのは香ばしいにおいを嗅いでいたからかもしれない。
ロズリーヌとマルティーニが立つのは、カロックスの街中。建国当初からの伝統貴族たちが住む区域と、爵位を賜ってから百年未満の新興貴族の住む区域の間にある『カロックスの胃袋』とも呼ばれる食品市場のはずれだ。どうしてこんなところにいるのかというと、宝石ドロボウ事件の調査のためだった。
「お昼も食べましたが、今日はずっと朝から調査をしていますし、体力の消耗が激しい分、お腹も早く空いているような気がします。ローズ様はどうですか?」
腹ペコな仔猫のような目を向けられて、ロズリーヌは「好きな物を買っておいで」と微笑んだ。マルティーニは「やったぁ」と嬉しそうに駆けて行って、すぐ傍の露店で茶色いパンを買って戻って来た。休憩がてら二人でつまむことにする。
「美味しいな。私が幼かったときに食べたパンはもっと黒くて固かったのに」
「おいたわしやローズ様。……孤児だった頃のローズ様は、ここから馬車で三日はかかる田舎町にいらっしゃったんですよね?」
ロズリーヌは屋敷でピエールが出してくれるものよりも硬いパンを噛み締めながら、当時のことを振り返る。
「いつもお腹が空いていて、いつも寒くて仕方なかった。この目のおかげで酷い扱いもされたよ。【予言】の力で大聖女様が私を見出してくれなかったら、私は死んでいたかもしれない」
「大聖女様は命の恩人ですね」
ロズリーヌは深く頷いた。
「そうだ。トリオール伯爵と伯爵夫人との出会いも大聖女様のお導きがあってこそ。御祖父様と御祖母様は早くに子どもを亡くされ、長年大聖堂に通われていたため大聖女様と親交が深かった。伯爵夫妻に初めて会った日は、今でも覚えているよ」
遠い昔を思い出し、ロズリーヌは空を仰いだ。
聖女として、初めて【聖力】の施しを行ったのがトリオール伯爵夫妻だった。トリオール伯爵夫妻はロズリーヌが覚えたばかりの祈りの言葉を告げ、【聖力】を注ぐと涙して、幼いロズリーヌを仰天させたのだった。
「何故だか分からないが、その日のうちにトリオール伯爵夫妻は私を養子に迎えたいと大聖女様に進言してくれてね。私はよく分からないまま養女になったが、トリオール伯爵夫妻は私を本当の娘のように慈しんでくれたよ……」
トリオール伯爵夫妻との思い出を話していると目が熱くなってきて、ロズリーヌは途中で話すのをやめた。マルティーニはロズリーヌの心中を察したのか、「そういえば」と話を変えてくれた。
「パンの話なんですが。数カ月前から市場が潤っているそうで、質が良くなっているようですよ。ここ五年で庶民の間でもちょっと良い物を買う人が増え、貧民を見かける頻度も少なくなったとか」
「ほう。現在の国王陛下と大聖女エラヴァンシー様の功績だろうか。帝国王様が大聖女様のお声に耳を貸すようになって、ここ二十年余りでたくさんの改革が行われたからな。特に公衆衛生の模範都市となるよう、地下下水道を導入されたのは大きい」
それはカロックスが美しい理由でもある。地下下水道の導入によって公衆衛生の向上がもたらされ、意識改革も行われた。人々は生活しやすくなり、病気で倒れる者が減って労働力の低下も防がれている。カロックスは非常に安定しているのだ。
「……だが、こんな街でも宝石ドロボウのような事件が起こる。嘆かわしいことだな」
ロズリーヌの横顔はこの街ではない別の何かを視ている。マルティーニは静かに主の憂いを見守った。
「さて、調査の続きをしようか」
気を取り直したロズリーヌが地図を広げると、マルティーニは「はい」と元気な返事をした。
「この辺りが三番目の被害があったところだが、これまでと同じように特段変わったところはなさそうだな」
朝のうちから事件が発生した場所を一か所ずつ巡っているのだが、今のところ有力な手掛かりは掴めていない。
「ここで聞き込みをしても、他のところと同じく誰も犯人を見ていなかったのだろう?」
「おっしゃる通りでございます」
ロズリーヌはふぅむと唸った。
暗闇で犯行が行われたにしても、誰も見ていないというのはおかしい。何か裏があるに違いないのに、解決の糸口さえ見つからないのはどういうわけなのか。ロズリーヌは街の様相に視線を投げた。
美しい白壁の街並み。道路は馬車も走りやすいように整備された石畳で、地下下水道への出入り口の穴には金属の蓋がはめ込まれている。どこへ行っても同じだ。
調査は夕方に差し掛かり、夕食を控えた食品街には香ばしいにおいが漂い始めていた。
(──良い街だ)
賑わってきた街を、ロズリーヌは目を細めて眺める。帝国王のみならず、大聖女エラヴァンシーが提言して今の形になった都市はロズリーヌにとっても誇りだった。
けれど、決して完璧ではない。
影の落ちた狭い路地で、痩せた少年少女たちがこちらを見つめている。
都市は発展した。聖教会の奉仕活動も行われている。しかし、すべての人が満足に暮らせているわけではなかった。
徐に、ロズリーヌは少年少女たちに近付いた。
「貴方たち。そこで何をしているのだ?」
突然話しかけられた子どもたちは身を寄せ合って警戒した。そのうちの一人、一番歳上そうな、長く伸びた癖の強い黒髪を首の後ろでまとめており、ひょろりと縦に長い少年が幼い子たちを庇うように立った。
「なんだ、お前。教会の奴らもいないのに、俺たちに話しかけるなんて。そうか、わかったぞ。汚らわしいと罵るためか?」
口の端を吊り上げる少年。痩せて顔がこけているが、印象的な深い赤色の瞳を鋭く光らせている。
彼の気持ちは痛いほど分かった。傍で守ってくれる人がいないと余裕がなく、誰も信用できなくなるのだ。ロズリーヌも孤児だった頃に経験している。
(妙に親しみを見せたらかえって警戒し、離れてしまうだろうな。ここはただ、事務的に)
とはいえ淡々とした物言いでは、何も話してくれないだろう。そこでロズリーヌは彼を安心させるためにも、意識してゆっくり言葉を紡ぐことにした。
「私はただ、貴方たちに聞きたいことがあって、近付いたのだ。貴方たちはこのあたりのことに詳しそうで、貴方は随分賢そうだからな」
「俺が賢そうだって?」
少年がぽかんと口を開けて驚いた顔をすると、彼の後ろに隠れていた少年少女たちがぽこぽこと顔を出した。
「そうなんだ! ヴェルにいちゃんはかしこいんだ!」
「わたしたちみんなの めんどうをみてくれるのよ」
「そこらのやつには まけないくらい けんかもつよいんだ!」
口々にヴェルという少年を褒める子どもたち。ヴェルと呼ばれた少年は焦った様子で子どもたちをぐいぐい路地の奥へ押し込んで、「大人しくしてろ!」と指示を出してこちらへ向き直った。けれど幼い少年少女たちが聞くわけも無く。ヴェルがこちらまでやってくるのを追ってきて、こちらの様子を伺いながら彼の足元にまとわりつくのだった。
ヴェルは大きなため息を吐いて乱暴に頭を掻いた。
「俺を褒めるなんて、とりあえずお前が普通の貴族じゃないってことは分かった。……それで、何を聞きたいんだよ?」
腕を組んでこちらを牽制している様子だが、声は和らいでいる。少しなら話をしてやっても良いと思われるくらいには認められたらしい。
ロズリーヌはまず礼を言ってから切り出すことにした。
「応じてくれてありがとう。実は、最近貴族や商家の宝石を奪う怪盗なる者の調査をしているのだ。何かを見たり聞いたりしたことはないか?」
「ふぅん。怪盗ねぇ。調査してどうするんだ? 犯人を捕まえて死刑にでもするのかよ?」
「盗みは他人の財産の略奪に当たり、すでに三件も起こっているから同一犯なら重罪だな。しかも被害者は身分が高い。もし犯人が平民なら、貴方の言う通り死刑だろうな」
この国の法律は平等ではない。身分で刑罰が決められており、今回のような事件なら、身分が高ければ罰金や厳重注意となるものの、平民なら死刑といった差がある。
何も知らない幼い子どもたちはヴェルの足元で騒ぐ。
「じゅーざいってなに?」
「しけいってなに?」
「へいみんってなに?」
ヴェルの服を引っ張り、初めて知った単語がどういう意味なのかを尋ねた。しかしヴェルが「お前たちが知る必要は無い!」と一喝すると、子どもたちはそれぞれ不満そうにしながらも静かになった。
「それは、俺だって知ってる。俺が聞きたかったのはそういうことじゃない。お前はどうするのかって聞いてるんだ」
ヴェルは苛立った様子でロズリーヌを睨んだ。子ども(おそらくロズリーヌとそう歳は離れていないだろうが)とはいえ統率者的な立場にある者だからか威圧感がある。しかし、ロズリーヌは全く臆することなく言い放った。
「良心に従って行動する」
ヴェルがまた意外そうな顔をする。
「見るからにワガママそうなオジョーサマのくせに、教会のやつらみたいなことを言うんだな」
「な!?」
(聖職者っぽいということだよな!?)
別人からも同じようなことを言われるとは思わず、ロズリーヌは内心焦って扇子を広げ、ひそひそとマルティーニに確認した。
「殿下にもそう言われたけれど、私ってそんなに聖職者っぽいか?」
「はい。ローズ様は根っからの聖職者だと思います」
二つ返事で頷かれてロズリーヌはうっと言葉を喉に詰まらせた。ティモシーの前でぼろを出さないためには常日頃からの意識が大切かもしれないと思えども、思想あるいは性格とも言える部分をどのように隠せば良いのか分からない。
ひとまずロズリーヌは咳払いをして取り繕うことにする。
「ま、まぁ、毎週聖餐式にも出席していて、奉仕活動もしているからな。私は敬虔な信者なのだ」
はははと笑ってみせるとヴェルは訝し気な顔をしたが、すぐに表情を改めた。
「俺にはお前が貴族だろうが教会のやつらだろうがどうでも良いけど。悪くない答えだった。それで、怪盗、だっけ。俺たちはその怪盗ってやつがここらに出たとき、別のところにいたからわからない。なぁ、お前たち」
子どもたちはこくこく頷いた。
「……そうか」
残念そうにロズリーヌが呟くと、ヴェルは「ま、そういうことだ」と踵を返した。
「今度会うことがあったら、その怪盗ってやつに奪われる前にお前の持ってる宝石くれよ。そしたらその分働いてやっても良いぜ。じゃーな」
ひらひらと後ろ手で手を振り、ヴェルは子どもたちと共に路地の奥へ消えていった。
「……もう夕方です。そろそろ帰りましょうかローズ様」
「そうだな」
ヴェルと子どもたちが見えなくなるのを待ってから、ロズリーヌも歩き出した。
半日を費やして犯行現場を回ったが、ついに決定的な手掛かりは何も得られなかった。重たいドレスを引きずり回して足を棒にした甲斐が無い。思わずため息が出る。
「はぁ」
「おい、聖人オジョーサマ」
「わぁ!?」
気を抜いていたら呼びかけられて、ロズリーヌは飛び上がりそうになるくらい驚いた。見ると建物の隙間に先ほどの少年ヴェルの頭が生えているではないか。
「なぜそんな狭いところに!?」
「良い人そーなオジョーサマにいいこと教えてやろうと思って。来た道を戻るより先回りの方が速いだろ」
「それはそうだが」
建物の隙間はロズリーヌが両手を広げたくらいの大きさしかない。よくもまぁ、こんなところを先回りの場所として選んだなと感心するくらいだ。
「そんなことより。なぁ、俺のいい話、聞きたいだろ?」
促されて、素直に頷く。するとヴェルはにやりと笑った。
「大悪党ノアって、オジョーサマは知ってるか?」
「大悪党ノア? いや、知らない」
「最近裏社会を牛耳ってるやつだよ。悪いことなら何でもやるやつで、ここらで起こる犯罪は全部そいつの仕業って言われてるくらいなんだ。たぶん、貴族のやつらとも繋がってると思う。調べてみな。何か分かるかもしれないぜ」
「ありがとう。良い情報だな。でもどうして教えてくれるのだ?」
ロズリーヌが何気なく問いかけると、ヴェルは苦い顔をした。
「俺はあいつが嫌いなんだ」
それだけ零すとヴェルは「今度こそ、じゃーな」と隙間に引っ込み、あっという間に暗がりに潜んでしまったのだった。




