65 家庭科室での談笑
前回に引き続き家庭科室のお話です!
家庭科室内は、水を打ったように静かになる。
八神先輩の雷に怯えてか、誰もが口を閉ざしていた。
そして、暫しの沈黙の後に、家庭科部員さん達及び北條さん達二人が、メレンゲを立てる為に泡立て器を動かす、しゃかしゃかという音だけが響き始める。
「あの」
ふと、私は口を開く。
八神先輩の逆鱗に触れないように、小さな声で。
「どうして、皆さんここに? 生徒会のお仕事は?」
私は家庭科室に入ってから、ずっと考えていた疑問を口にする。
「今日は休みで、悠里と満月が料理部の体験入部をする、と言うから見学に来た」
「て、言うのが建前で、本当は綾部さんの快気祝いにケーキを食べさせてくれる、て言う八神先輩に乗っかったの」
緋之瀬先輩が私の問いに答え、亜木津先輩がそれの補足を告げる。
体験入部が建前で……私の快気祝い?
「え?」
いやいやいや、私って快気祝いして貰える程、生徒会組と親しくなりましたっけ?!
私は意外な回答に、思わず目を瞬かせて、素っ頓狂な声を上げる。
「どうした、そんなアホ面を晒して。そんなにケーキが嬉しかったのか?」
黙れ青鬼、この野郎。
人を勝手に食いしん坊みたいに言うな!
後、アホ面は失礼でしょう。
「て、天条くん。女の子にアホ面は……酷い、と思うよ?」
おずおずと田沼くんが注意すると、天条くんはそっぽを向く。
「話は分かりましたが、何で急に快気祝いなんてやろうと思ったんです? 八神先輩の許可、取れたんですか」
「交友も兼ねて、快気祝いをしようと言い出したのは北條だ。許可は、安泉と北條が取った」
「北條さんと、安泉さんが……」
緋之瀬先輩の視線が、ケーキ作りに精を出す北條さんと安泉さんに向く。
私はそれに倣うように、二人に目を遣った。
安泉さんは手伝っただけで、きっと私の少な過ぎる交友関係に気遣った節がある。
元凶は栞宮先輩と思いきや、北條さんか。
私は何か、彼女に気にされるような事をしただろうか?
してない、よね……。
あ、北條さんの鼻先にクリームが……。
思案しながら、北條さんを観察していると、不意に混ぜていたボールの中身――生クリームが北條さんの鼻先に跳ねた。
「満月ちゃん、付いてるよ?」
「あ……!」
目敏くそれに気が付いた栞宮先輩が、北條さんの鼻先より生クリームを指先で拭うと、そのままぺろりと舐め取る。
そして、「ん、甘いね」なんて笑う。
なんだ、この甘い雰囲気は。
これがヒロイン補正、ヒロインイベントか。
こんなスチルあった気がする。
画面越しなら普通に見れたけど、生で見るとなると、胸焼けしそう。
今時、鼻先に生クリームを付ける女子高生が居るとは、驚きだ。
後、天条くんが物凄い表情で、二人を睨んでるんだけど。
まるで、般若みたいなんだけど。
実は青鬼じゃなくて、般若だったとか……ない、ない。
「あーやべちゃんっ!」
「……何か?」
「今、オレと満月ちゃん見てたよね? 妬いた? ねぇ、妬いちゃった?」
「いいえ? 別に。何とも思いませんでしたが」
「冷たい! 綾部ちゃんが氷のように冷たい!」
私の視線に気が付いたらしい栞宮先輩が、勘違い甚だしい事を口走った。
勿論、いつも通りの対応でそれを否定すれば、さも傷付いた風に声を上げる。
また八神先輩に睨まれるから、話し掛けないでくれないだろうか?
と言う、本音を言わなかっただけ、良心的だと思って頂きたい。
……ほら、八神先輩が一瞬、睨んできたじゃないですか。
「て、て、天条くんっ……す、凄い恐い顔になってるよ?」
「蒼樹、落ち着け」
「綾部さんが怯えちゃうでしょ?」
いや、亜木津先輩、怯えはしませんけど。
若干漏れ出している妖気は煩わしいですが。
どちらかと言うと、田沼くんの方が怯えてますよ。
私は素知らぬ顔で、ケーキ作りをする安泉さんを観察した。
田沼くん、緋之瀬先輩、亜木津先輩に加えて、瀬戸くんが「妖気漏れてる! 八神先輩めっちゃ睨んでるぞ?!」と小声で叫ぶ。
それにより、般若化していた天条くんは、妖気を引っ込めていた。
私は横目で天条くんが妖気を抑えるのを確認すると、また視線を戻す。
ふと、安泉さんと目が合うと、彼女は少しはにかんだように笑う。
私もつられるように、口元に笑みを浮かべた。
そうして、八神先輩、安泉さん含む家庭科部に加え、北條さんと栞宮先輩の手により数ホールのケーキが完成する。
所要時間は、約一時間程。
完成したケーキは、いちごのショートケーキだった。
ケーキは綺麗に切り分けられると、皆に分配される。
勿論、私達見学者にもだ。
私の目の前には、フォークと共に配られたショートケーキが二切れ。
皆、一様に一切れであるのに対し、何故私だけ二切れかと言うと……安泉さんと、北條さんの両方から頂いたからである。
因みに、八神先輩は何も言って来ないので、私の分配はこれで良いらしい。
「綾部さん、綾部さん! 食べて食べて!」
「あ、あの、綾部さん……食べきれなかったら、私の分、持って、帰っても、大丈夫、だから」
自主的に安泉さんの隣の席へと避難すれば、空いた隣に北條さんが座り、嬉々として見つめてきた。
安泉さんは、二切れのケーキをちらりと見てから、そう気遣わし気に言う。
……何だろう、この両手に花感は。
「ありがとう、安泉さん。大丈夫、二切れとも頂くよ」
私はそう言って二人に笑むと、フォークを手に取り、二人のケーキを口に運ぶ。
程よく甘い、そのケーキは私の好みに合っていて、とても美味しかった。
どちらかと言うと、安泉さんが甘さ抑え目で、北條さんは分量きっちり、て感じだろうか?
私がケーキを食べるのを見ていた北條さんが「どうどう?」と聞いてくるのに、私は「美味しいよ」と返す。
すると、北條さんは「やったぁ!」と嬉しそうにガッツポーズを取った。
美少女のガッツポーズは多分、需要が高いと思われる。
天条くん、ちょっと北條さん見過ぎでは?
おまけに、私や生徒会以外の人間を見る時より、百倍目が優しいんだけど。
ガッツポーズをする北條さんと彼女を見つめる天条くんに苦笑しつつ、私は今度は安泉さんにも「美味しいよ」と伝える。
それを聞いた安泉さんは、少し照れたように頬を染めて、「ありがとう」と恥ずかしそうに笑う。
私の友人は相も変わらず可愛い。
女子力高いし、密かに男子に人気があったり……ちょっと心配だな。
私はそんな事を考えつつも、ケーキを食べ進めた。
他の面子も、各々ケーキを食べ始めている。
時折、こちらに視線を向けている気がするが、きっと北條さんを見ているに違いない。
席移動に対して、瀬戸くんと田沼くんが名残惜しそうに私を見てきたのも、きっと気のせいだろう。
緋之瀬先輩と亜木津先輩が、じっとこちらを見ていたのも気のせいだ、うん。
天条くんが北條さんの隣に移動しようとした際、栞宮先輩に先を越され、 目を丸くした後、恨めしそうな視線を送っていたのは、現実だろうが。
家庭科部の面子は各々好きな所――――私達から少し離れた場所に座り、八神先輩は我が物顔で、私の目の前に座った。
多分、家庭科部さん達はこの面子に入り込む勇気はなかったのだろうと思う。
何だか、申し訳ない。
「ねぇねぇ、綾部ちゃん。そのケーキ、オレも手伝ったんだけど?」
「そうですか。ありがとうございます。ご馳走様でした」
「待って、ねぇ、何か心込もってないよ? オレにだけ当たり強くない?」
「……気のせいでは?」
北條さんに貰ったケーキを食べ進めていると、栞宮先輩がにこにこと楽し気に笑みを浮かべ、話し掛けてくる。
勿論、私はいつも通りの塩対応。
不平不満の混じった瞳で、こちらをじっと見つめてきても、変わらず塩対応だ。
そうすると、栞宮先輩は頬を膨らませて、いじけたような表情を浮かべたかと思うと、隣の北條さんに「綾部ちゃんがオレだけに優しくない!」と愚痴り始める。
栞宮先輩の愚痴を聞く北條さんは、「嫌よ嫌よも好きの内、て言いますよね!」と何処かズレた回答を満面の笑みで繰り出していた。
……何言ってるんだ、この先輩は。
そして、北條さん。
変な事を言わないで。
絶対にないから。
変なフラグを建設しようとしないで!
私が内心荒れる中、そんな事を知る筈もない二人の会話は続く。
胃の痛くなるような、会話はやめて……!
「……綾部」
え、今度は何?
栞宮先輩と北條さんの会話を、げんなりしながら聞いていると、不意に八神先輩が口を開く。
思わず、「あ、はい」と生返事を返す私に、八神先輩は無表情で続ける。
「二度目はねぇ」
「?!!」
え、え……え?
突然に告げられた言葉に、私は目を丸くして、暫く固まった。
いや、あの、二度目はない?
ごめんなさい、真意を図りかねます。
保健室で言ってたのは、もう生徒会に関係者だってバレてるから違うし。
どう言う……?
言葉が足らな過ぎて分からない。
もしかして、心配して……な訳ないですね、はい。
ここで自惚れてはいけない。
ヒロイン側も悪役側も須らく敵!
取り敢えず、この件は保留で。
告げるだけ告げて、口を閉ざしてしまった八神先輩に、私は悶々としながらも残りのケーキを口に運んだ。




