第9話 【榊真司という男】
地下倉庫の扉が、ゆっくり開いた。
立っていたのは岸本だった。
だが先ほどまでの強気は消えている。
顔は疲れ切り、まるで十年老けたようだった。
榊真司はUSBをポケットへ入れる。
「“一人じゃない”って、どういう意味です?」
岸本は答えない。
代わりに倉庫の中を見回した。
消去されたパソコン。
開かれた箱。
散乱した書類。
そして、小さく笑った。
「……結局、ここまで来たか」
遥が言う。
「何人いたんですか」
岸本は目を閉じた。
数秒。
やがて、観念したように口を開く。
「三人だ」
空気が止まった。
「三年前の相沢美咲。その前年に介護士が一人。さらに、その二年前――研修医が一人」
遥の顔から血の気が引く。
榊だけが静かだった。
まるで予想していたように。
岸本は続ける。
「全部、表向きは個人の問題として処理された」
「処理、ね」
榊が低く繰り返す。
岸本は壁にもたれた。
「……病院だけじゃない。どこも同じだ。人手不足の現場では誰かが壊れる」
「だから隠した?」
「そうしなければ病院が終わる」
榊は笑わなかった。
怒りも見せない。
ただ冷たく言う。
「もう終わってますよ」
岸本が俯く。
その時だった。
遥が、ふと気づく。
「……榊さん」
「なんです?」
「なんで、そんなに詳しいんですか」
地下倉庫が静まり返る。
遥は続けた。
「録音、労基、示談、内部告発……慣れすぎてる」
岸本もゆっくり顔を上げた。
二人の視線が榊へ向く。
榊はしばらく黙っていた。
やがて、諦めたように息を吐く。
「……十年前、俺も病院にいたんですよ」
遥が目を見開く。
榊は古い棚へ視線を向けた。
「大学病院の人事課でした」
「人事……?」
「退職処理担当です」
その言葉に、地下の空気が変わる。
榊の声は静かだった。
「辞めた職員の書類を作る。理由を整える。問題が大きくならないよう調整する」
岸本が呟く。
「まさか……」
「そう。俺は“隠す側”でした」
遥は言葉を失う。
榊は続けた。
「最初は普通の仕事だと思ってた。でも、そのうち慣れるんですよ。“突然辞めた看護師”にも、“壊れた研修医”にも」
地下の蛍光灯が小さく唸る。
「人は壊れる。現場は回る。仕方ない。みんなそう言う」
榊の目に、初めて僅かな感情が浮かぶ。
後悔だった。
「ある日、一人の看護師が自殺した」
遥の呼吸が止まる。
「俺が退職理由を書き換えた。“家庭の事情”って」
岸本が小さく言う。
「……それで壊れたのか」
榊は笑った。
乾いた笑いだった。
「壊れた? 違うな」
そして静かに告げる。
「気づいただけです」
「何に……?」
榊は遥を見る。
「組織は、人を守らない」
その言葉には妙な重みがあった。
遥は初めて理解する。
榊真司は正義の味方じゃない。
復讐者でもない。
“壊れる構造”を知り尽くした人間だ。
その時。
地下倉庫の外で、複数の足音が響いた。
岸本の顔色が変わる。
「……まずい」
「誰です?」
岸本は小さく呟く。
「病院長だ」




