第84話 【利益の使い道】
施設長室。
夕方。
「どうぞ」
西田は呼ばれて部屋へ入った。
施設長が笑顔で迎える。
「座ってください」
テーブルの上にはコーヒーが二つ。
「この前の会議の件ですか?」
西田が聞く。
施設長は頷いた。
「本社が期待しています」
「私に?」
「ええ」
施設長は笑った。
「将来的には管理職も考えています」
西田は少しだけ驚いた。
考えたこともなかった。
ただの介護士だった自分が。
管理職。
数年前なら想像もしなかった。
「私には荷が重いですよ」
施設長は首を横に振る。
「そんなことありません」
そして真面目な顔になる。
「西田さんは現場を知っています」
「……」
「それが大事なんです」
その言葉は嬉しかった。
施設長は続ける。
「現場を知らない経営は失敗します」
「そうですね」
「でも」
施設長がコーヒーを置く。
「経営を知らない現場も失敗します」
西田は黙った。
どこかで聞いたことがあるような言葉だった。
「利益って嫌われますよね」
施設長が苦笑する。
「介護業界では特に」
「まあ……」
西田も苦笑した。
「でも利益がなかったら」
施設長は窓の外を見る。
「今の給料も払えません」
「……」
「看護師も集まりません」
「……」
「この人員配置もできません」
その通りだった。
反論できない。
「私たちは慈善事業じゃありません」
施設長は言う。
「株式会社です」
静かな声だった。
「利益を出す義務があります」
義務。
西田はその言葉を初めて意識した。
病院とは違う。
社会福祉法人とも違う。
株式会社なのだ。
「でも」
西田は口を開いた。
「利用者が第一じゃないんですか」
施設長は笑った。
「もちろんです」
即答だった。
「利用者第一です」
「なら」
「利用者第一だから利益が必要なんです」
施設長は迷いなく言った。
「順番が逆なんですよ」
西田は黙った。
施設長の言葉は理解できる。
理解できるのだ。
だから困る。
夜。
西田は一人で施設を歩いていた。
食堂。
ラウンジ。
談話スペース。
利用者たちの笑顔。
家族の笑顔。
職員の笑顔。
以前勤めていた施設では見られなかった光景。
あの頃は。
人が辞める。
利用者が怒る。
職員が疲弊する。
毎日が綱渡りだった。
今は違う。
だから西田は思う。
もし利益を追うことで、
これが維持できるなら。
それは悪いことなのだろうか。
その時だった。
「西田さん」
振り返る。
高梨だった。
夜勤入りらしい。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
短い沈黙。
高梨が聞く。
「本社との会議、どうでしたか」
西田は少し迷った。
そして正直に答えた。
「違和感はあった」
高梨の表情がわずかに動く。
「でも」
西田は続ける。
「間違っているとも思えない」
高梨は黙った。
「俺さ」
西田が笑う。
「前の施設に戻れって言われたら無理だよ」
その笑顔は少し寂しかった。
「絶対無理だ」
高梨は何も言わない。
言えなかった。
西田の言葉は本心だからだ。
そしてそれは。
高梨自身も理解していることだった。
理解しているからこそ。
苦しかった。




