第83話 【会議室の数字】
佐伯の葬儀から数日後。
施設はいつも通り動いていた。
利用者は食堂で談笑し、
家族は面会に訪れ、
職員は業務をこなす。
まるで何も変わらない。
だが西田は知っていた。
佐伯の部屋が空になったことを。
毎朝、
無意識にその部屋へ目が向いてしまうことを。
「寂しいですね」
若い介護士が呟いた。
「そうだな」
西田は短く答えた。
「でも良い最期だったと思います」
「うん」
それは本心だった。
あれ以上望めないほど穏やかな最期だった。
西田は以前勤めていた施設を思い出す。
夜勤中の急変。
家族が間に合わない看取り。
死後処置をしながら鳴り続けるコール。
「早く終わらせなきゃ」
そんな言葉が飛び交う現場。
佐伯の最期とは真逆だった。
だから西田は改めて思う。
この施設は間違っていない。
昼過ぎ。
施設長から声が掛かった。
「西田さん」
「はい」
「会議出られますか?」
「会議?」
「本部とのオンライン会議です」
西田は少し驚いた。
普段は管理職しか参加しない。
「なぜ私が?」
施設長は笑った。
「現場代表です」
会議室へ入る。
大型モニター。
画面の向こうには本社の人間が並んでいた。
スーツ姿。
若い男性。
経営企画部。
そんな肩書きが並ぶ。
「では始めます」
会議が始まった。
最初は普通だった。
入居率。
採用状況。
離職率。
どれも良好。
本社側も満足そうだった。
だが、
途中から話題が変わった。
「訪問看護件数ですが」
画面の男性が言った。
「先月は目標未達です」
西田の眉がわずかに動く。
目標。
訪問件数に?
「理由は分析されていますか?」
施設長が答える。
「看取り利用者の死亡が重なりました」
「なるほど」
男性は頷く。
そして次の言葉を口にした。
「なら補填しましょう」
会議室が静かになる。
補填。
その言葉が西田の耳に残った。
利用者が亡くなった。
だから件数が減った。
それは当然だ。
なのに。
補填。
まるで売上の話だった。
いや。
実際に売上の話なのだろう。
だが西田には少しだけ違和感があった。
「終末期利用者の訪問計画見直しをお願いします」
本社の男性は続ける。
「状態変化リスクの再評価も」
「承知しました」
施設長が答える。
会議はそのまま終わった。
不正な話は一つも出ていない。
違法な指示もない。
全て正論だった。
全てルールの中だった。
だが。
会議室を出たあとも、
西田の胸には小さな棘が残っていた。
「施設長」
「はい」
「補填って何ですか?」
施設長は少しだけ考えた。
そして穏やかに答える。
「会社ですから」
それだけだった。
夕方。
高梨は記録を確認していた。
その中に、
本日更新された訪問計画書があった。
ある利用者。
訪問回数。
週7回。
週10回へ変更。
理由。
状態変化リスクあり。
高梨はしばらく画面を見つめていた。
その利用者は先週と何も変わっていない。
少なくとも。
高梨にはそう見えていた。
その時だった。
スマートフォンが震える。
差出人。
榊真司。
本文は短かった。
『話がしたい』
高梨は画面を見つめたまま動かなかった。
そして静かに目を閉じる。
いよいよ。
引き返せない場所へ近づいている気がした。




