第78話 【白い封筒】
施設視察が始まって一週間。
榊は未だに答えを見つけられずにいた。
利用者は満足している。
家族も感謝している。
職員の離職率も低い。
現場も穏やかだ。
匿名告発があったとは思えないほど。
その日も施設内を歩いていた。
昼過ぎ。
廊下には昼食を終えた利用者たちが談笑している。
職員も慌ただしくはない。
むしろ余裕がある。
「本当に良い施設だな」
思わず呟いた。
本音だった。
「そう思いますか?」
突然声がした。
振り返る。
女性だった。
三十代前半。
看護師。
名札には
高梨 真由
と書かれている。
「失礼しました」
女性は頭を下げた。
「聞こえてしまって」
「いや」
榊は苦笑した。
「事実だろう」
高梨は少しだけ考えた。
そして言う。
「利用者さんにとっては」
短い言葉だった。
しかし榊は反応した。
「職員にとってもだろう」
「そうですね」
高梨は頷く。
「多分」
多分。
その言葉が引っ掛かった。
「何か問題でもあるのか?」
榊は聞いた。
高梨は首を横に振る。
「ありません」
即答だった。
しかし表情が固い。
「利用者さんは幸せです」
「うん」
「ご家族も感謝しています」
「そうだな」
「職員も恵まれています」
そこまで言ってから、
高梨は小さく息を吐いた。
「だから難しいんです」
榊は黙った。
高梨はそれ以上何も言わなかった。
軽く会釈をして去っていく。
その背中を見ながら、
榊は違和感を覚えた。
夜。
ホテル。
榊が資料を読み返していると、
フロントから連絡が入った。
「お客様にお届け物です」
ロビーへ向かう。
差出人は書かれていない。
白い封筒だった。
部屋へ戻り中を開く。
入っていたのはコピー用紙数枚。
訪問看護実績一覧
榊は眉をひそめた。
施設の内部資料だった。
さらに一枚。
手書きのメモ。
私はこの施設が嫌いではありません。
むしろ好きです。
利用者さんも職員も守りたいと思っています。
ですが、このままではいけないと思っています。
榊は続きを読む。
誰も疑問を持たなくなっています。
必要だから行っているのか。
請求できるから行っているのか。
その境界が曖昧になっています。
最後に名前はなかった。
しかし榊には分かっていた。
高梨だ。
今日会ったばかりの看護師。
資料へ目を落とす。
訪問記録。
二人訪問。
二人訪問。
二人訪問。
二人訪問。
異常なほど並んでいる。
そしてある利用者の記録で、
榊の手が止まった。
午前九時。
訪問。
午後一時。
訪問。
午後四時。
訪問。
午後七時。
訪問。
全て二人訪問。
榊は椅子にもたれた。
まだ不正とは言えない。
記録も残っている。
実施もされている。
利用者から苦情もない。
だが。
「本当に必要だったのか……」
初めて。
榊の中で疑問が形になり始めていた。
窓の外では雨が降っていた。
そしてその頃。
施設の夜勤室では、
高梨真由が一人、
記録画面を見つめていた。
利用者のため。
家族のため。
職員のため。
会社のため。
その全てが正しい。
だからこそ。
彼女は悩んでいた。




