第33話 【報酬】
数週間後。
東陵総合中央病院は、表向きの平穏を取り戻していた。
病院長は辞任。
高坂師長の件は「職場環境上の問題を含む重大事案」として第三者委員会が設置された。
ニュースも数日は騒いだ。
だが世間の関心は、すぐ別の話題へ移っていく。
病院は止まらない。
止められない。
——
遥は病棟へ戻っていた。
ナースステーション。
モニター音。
点滴交換。
申し送り。
いつもの景色。
それでも時々、ふと思う。
夜勤中。
静かな病室を歩いている時。
あの旧研究棟は、まだ病院のどこかに残っているんじゃないかと。
「宮下さん、カルテお願い」
「あ、はい」
日常は戻る。
でも。
完全には戻らない。
——
柴崎刑事は異動になった。
表向きは通常人事。
だが本人は理解していた。
“触りすぎた”。
送別の挨拶で柴崎は笑っていた。
「まぁ、死ななかっただけマシだ」
そう言っていたが、
目は笑っていなかった。
——
榊真司は、病院近くの古い喫茶店にいた。
窓際席。
ブラックコーヒー。
テーブルには封筒。
黒田から渡されたもの。
結局、受け取った。
中には現金と、
簡単な契約書類。
“案件協力費”。
金額はかなり大きかった。
榊は封筒を見つめる。
人が死んだ案件のあとに受け取る金。
昔なら嫌悪感があった。
だが今は、
そこまで揺れない自分がいる。
その事実のほうが嫌だった。
店のドアベルが鳴る。
遥だった。
私服姿。
仕事帰りらしい。
「ここでしたか」
榊は小さく笑う。
「よく見つけましたね」
「柴崎さんに聞きました」
遥は向かいへ座る。
そして封筒を見る。
何か察した顔になる。
「……それ、報酬ですか」
榊は頷く。
遥は少し黙った。
やがて聞く。
「受け取るんですね」
榊は窓の外を見る。
夕方。
病院へ向かう救急車が通る。
「現場って、結局金で回ってる部分もあるんですよ」
静かな声だった。
「綺麗事だけじゃ、人は残らない」
遥はすぐには返せない。
それも現実だった。
榊は続ける。
「だから兄貴たちみたいなのが生まれる」
「でも間違ってます」
遥ははっきり言った。
榊は少し笑う。
「ええ」
「じゃあなんで……」
遥は途中で止まる。
聞きたかった。
でも怖かった。
榊が、本当に向こう側へ行ってしまいそうで。
榊はコーヒーを一口飲む。
そして静かに言った。
「俺、昔は“暴けば変わる”って思ってたんです」
遥は黙って聞く。
「でも実際は違った」
「壊れるのって、だいたい現場なんですよ」
その言葉が重い。
榊は続ける。
「だから最近、わからなくなる」
遥が小さく聞く。
「……何がですか」
榊は少し考える。
そして苦く笑った。
「どこまで壊せば正解なのか」
店内に静かな音楽が流れている。
外では、また救急車が走っていく。
遥はその音を聞きながら思った。
この人は今、
ものすごく危うい場所に立っている。
正義側でも。
悪側でもない。
その境界。




